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あの森

 家に着くと、江弥華は工房に籠った。

「掃除の続きするか」

「夕飯作ったけど、食べる?」

「……風呂、入っていい?」

「……まだ……寝ないの?」

 返ってくるのは「ああ」だけだった。

 七大十は少し後ろから江弥華の背中を見守った。

 凄まじい集中力だ。

 腰を下ろす。

 夜が更けていた。

 やることがなくなった。後は寝るだけだ。

(けど――)

 七大十は江弥華に視線を送った。

 丸まった背中。ヤスリをかける右手だけが微かに動いている。

 (——寝ない方がいいよな。だって仕事してんだもん。なのにオレが寝てたらいい気しないもんな……)

 七大十は唇を噛んで項垂れた。視界に入った鎖を持ち上げる。そして音が出ないように弄った。

 引っ張ってみる。胸骨が引かれる感覚。しかし鎖は伸びなかった。

 だが、掃除や家事をしているときは家中を動き回っていた。

(この差はなんだろう)

 試しに体を倒してみる。

 胸から鎖がチャリと伸びた。

(手で、引くのは、ダメ。体が離れるのは……オッケー)

 七大十の背中が床につく。気付かぬうちに思考が怠慢になる。

(……江弥華が……鎖を引く、ときは握ってる……。今は、江弥華……放してる。だから——)

 視界がぼやけ、江弥華が二重に見え——。

 木を削る音に静かな寝息が混ざった。

(……)

(…………)

(………………)

 ――ドン。

 突如、顔の横に何かが落ちてきた。

「……ん? あ……?」

 目を擦りながら身を起こすと、頭上から

「起きろ」

 と冷たい声を浴びせられた。

 一気に覚醒した七大十が顔を上げる。

 睥睨する江弥華と目が合った。心なしか昨日より目が開いていない気がする。

「ごめん! 寝てた!!」

 慌てて立ち上がり、背嚢を背負うと「う」と声が漏れるほど重かった。

 目の前を江弥華が去っていく。

 出発らしい。

 右手には紙袋を提げていた。

 追いかけたとき、江弥華の髪が濡れていることに気が付いた。

 服も着替えている。

 食卓を振り返ると、流しの横に皿が立て掛けられて水滴を落としていた。

(……それくらい、言ってくれたらやったのに……)

 鎖が胸の中をチクリと刺したような気がした。

 江弥華を追って踏み出した足がやけに重い。

 七大十が小さく頭を振って、短く息を吐いた。

 鋭く、玄関を出ていく江弥華の背中を見つめた。

 家を出ると、江弥華は人の流れに逆らって歩いていた。

 庁舎とは逆方向だ。

 高級住宅街を抜け、土地も家屋も小さくなり、工房やら工務店やらの文字が目に付くようになった。

 路地に入り、二、三度角を折れ、江弥華が民家の戸を叩いた。

「あ、ちょっと待って下さーい!」

 と声がして、生白い肌のひょろりとした男が出てきた。

「……え……?」

 男は時が止まったように固まった。

「発注頂いた櫛だ」

 江弥華が紙袋を突きつける。

 男は青ざめた顔で受け取りを拒否した。

「……早いです……だってまだ……」

「別に、渡す日にちはいつでもいいだろ。ただ――」

 江弥華が声を落とした。男の腹に突きつけた紙袋に皺が寄る。

「——私の友人を泣かせるなよ」

 そしてパッと手を離した。落下する紙袋を、慌てて男が拾う。

「……いけると思いますか?」

「さあな。ただ私にできることは全てやった。あとはあなた次第だ」

 胸の鎖が引かれた。

 七大十は、立ち去っていく江弥華の後を追いながら振り返る。

 男が紙袋を開けながら、目を硬く閉じ、勢いをつけるように体を上下に揺らしている。

 七大十は首を傾げた。

「あれさ、円さんの櫛じゃなかったっけ?」

 江弥華がニヤリと笑って鼻を鳴らした。

「円が受け入れてくれればな」

 その声は半ば祝うように、嬉しそうだった。

「……え、どういうこと?」

 七大十は首を捻った。

 江弥華はすでにいつもの調子に戻り、何も言わずに庁舎の方向へ足を向けた。

(……まあ誕生日プレゼントかな)

 庁舎が見えたタイミングで、七大十は無理やり結論付けた。

 江弥華の後ろについて階段を上がる。

 庁舎の三階に併設された食堂から、ガヤガヤとした話し声と、美味しそうな匂いが漂ってきた。

 そういえば、朝食がまだだったと、七大十の足が速まる。

 食堂はほぼ満席だった。

 食事と会話に夢中で、誰も江弥華に気づいていない。

 江弥華が来ても静かにならない唯一の場所かも知れないと、七大十は少し嬉しく食堂を見回した。

 一般の人も入れるのか、楽しげに話す袴姿の女性や、本を見ながら食事している学生もいた。しかしやはり陰陽師と陰陽庁職員が多い。

 そして床で食事する式神たち。

 七大十の上気した頬が下がった。

 皆ではないが、椅子を許された式神に比べて、服も顔も荒んで見える。

 やたらと一口が小さい。目を閉じて、ゆっくりと噛む姿が、七大十には涙を堪えているように映った。

 誰に買われたか。

 自分の意思を介在できないのに、ここまで扱いに差ができる。それがこの世界なんだと、七大十はやっと実感した。

(オレは……どっちなんだろう)

 七大十は、注文しに厨房へ向かう江弥華の背中に視線を送った。

 江弥華が丼ものの注文カウンターに立つ。

「何がいい?」

 聞かれて、七大十が他のカウンターに目をやる。

「丼にしろ」

 と江弥華が言うので、

「じゃあ、天丼?」

 と七大十は思いついた単語を口にした。

 江弥華が頷き、注文を取りに来た厨房のおばちゃんに、二本指を立てた。

「天丼を二つ」

「あいよ」

 と厨房のおばちゃんが盆を用意し、一分と待たずに天丼を置く。

 代金を払った江弥華が盆を持って席を探した。

「一番後ろの端っこの席、空いてない?」

 と七大十が言うと、江弥華が無言で向かった。

 七大十は江弥華が座れるか確認しつつ、厨房横のお冷を取りに行った。

 水滴の付いたピカピカのやかんが二つと、ベコベコにへこんだやかん一つ。そして湯呑みも綺麗なものと欠けているものとが分けて置かれていた。

「――めんどくさ」

 七大十が顔をしかめて吐き捨てた。

 けれど江弥華が気を悪くするかもしれない。いや、気にしなさそうだが、他の陰陽師からどう思われるか分からない。

 七大十は食堂のルールに従うことにした。

(江弥華のためだから——)

 寧ろ嬉々として、江弥華の分は綺麗な方を使った。

 盆の上に、透き通ったお茶と綺麗な湯呑と、茶葉が浮いたお茶と欠けた湯呑を載せて、席に向かう。

「丼ものが好きなの?」

 と、七大十が自分の盆をテーブルに置いてから「あ」と気づいて、すぐに盆を持ち上げた。

 床かテーブルか、聞いてない。

「皿一枚で効率的……何してる?」

 と江弥華が振り返って眉を顰めた。そして江弥華が椅子を顎で示す。

「座れ」

「え、いいの?」

「は?」と江弥華が言って、周りを一瞥し、気付いたように「ああ」と声を漏らした。

「床で食われる方が気が散る」

 そしてまた、江弥華が顎で着席を促した。

「じゃあ……」

 と七大十が盆をテーブルの上に置く。

 椅子に座るだけなのに、妙に嬉しく照れ臭かった。

 きっと、江弥華の隣だから、というのも関係あると思う。

 江弥華との間に会話はなかった。

 隣から箸の音だけが聞こえる。

 七大十も天丼を頬張るが、自分の咀嚼音がやけに大きく聞こえた。江弥華にまで届いているんじゃないかと、七大十は咀嚼のペースを落とす。

 周りの騒めきが遠くなった気がして顔を上げると、会話に花を咲かせていた陰陽師たちが黙々と米を掻き込んでいた。

 どんどんと江弥華の周囲から席を立っていく。

(……どうしてそこまで怖がられてんだろう。江弥華は気づいてるのかな……?)

 と七大十が隣を盗み見た。

 何を考えてるか分からない、いつもの無表情で江弥華が機械的に天ぷらを口に運んでいる。

 視線に気づいた江弥華が、半分以上残った七大十の丼を一瞥した。

「……私は待たんからな」

 冷たく言われて、七大十は急いで食べ進めた。

「ここ座ってもいい?」

 かん太がドンと盆を置いたのは、そのときだった。

 かん太が返事を待たずに、七大十の対面に座った。

「牛鬼調査、本当に楽しみにしてたんだ」

 と言ったかん太の盆には、ミックスフライ定食と山盛りのご飯、そしてきつねうどんが所狭しと乗っていた。

「めっちゃ食うじゃん……!」

 七大十が思わず呟けば、「働き盛りの育ち盛りだから」とかん太は鼻を高くして笑った。

「でもその前に三級指南だね。どこまで行くの?」

 かん太が江弥華に問いかけるが、江弥華は「さあな」と顔を上げずに答えた。

「縄張りには入るんじゃないか?」

「え、それ大丈夫なの?」

「浅瀬では鍛錬にならんだろ」

 会話に入れず、取り残された七大十が寂しく天ぷらを口運んだ。詳しい内容はわからないが、顔だけは参加させて。

 それに気づいたかん太が、

「七大十兄ちゃんが転生した最初に目覚めた森、覚えてる?」

 と笑顔を向けた。

 七大十が首肯を返す。

「あの森全体を牛鬼の森ってオイラたちは呼んでるんだ。で、七大十兄ちゃんがオイラと出会ったあの辺りが浅瀬。鉄炮でも倒せるくらいの雑魚しかいないんだ、普通はね」

 と、かん太の顔に真剣味が帯びた。

 七大十は転生したときのことを思い出して、かん太のセリフを引き継ぐ。

「……でも、牛鬼が襲って来た」

「そう」とかん太が口の中のフライを飲み込んで続ける。

「牛鬼は海松橿(みるかし)っていう土蜘蛛の女王を中心に、完璧な社会を築いてる」

 かん太が、盆の真ん中に「海松橿ね」とメンチカツを置き、周りを「これは土蜘蛛ぉ〜」と唐揚げで囲んだ。そしてエビフライの尻尾を摘んで、唐揚げの外側を歩かせるように動かした。

「そして尻尾が牛鬼。獲物を獲ったり、縄張りに入ってきた敵を追い出したりするのが仕事。だからまず浅瀬には出ないはずなんだ」

「よく知ってるな」

 言って、江弥華が最後の一口を口に運んだ。

「まあね。一生懸命勉強して、将来は絶対、陰陽師になるんだ!」

 かん太が胸を張る。

「そうか。頑張れよ」

 と江弥華が湯呑に手を伸ばす。嚥下して「行くぞ」と席を立った。

「えッ! もう!?」

 七大十が急いで丼に残った米をかき込んだ。

 口いっぱいの飯を噛みながら、ふと思う。

(……じゃあ何で、あそこに牛鬼がいたんだ? しかも絶対、オレを狙ってたよな……)

「急げ」と鎖が引かれる。

 七大十は椅子からズレ落ちるのを耐えて、口の中の物を飲み込んだ。

「ごめん、お待たせ!」

 と席を立つ。

 去り際にかん太を振り向いた。

 まだ盆の上には、全然食べ物が残っている。

「ズズズゥー」とうどんを豪快に啜りながら、かん太は親指を上げた。

 そしてモグモグと頬を膨らませ、パチンとウインクを飛ばした。

「あんま、遅れんなよ」

 七大十は優しく言い残して、食堂を飛び出した。


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