三つ巴とみたらし
東京駅そっくりの庁舎が見えてきた。豪快な笑い声が聞こえてくる。
しかし江弥華が庁舎に踏み入れた瞬間、息を飲む音が広がった。
さっきまで喧騒が嘘のように静まり返る。
受付に並ぶ者。テーブル席で作戦会議を開いている者。
誰もが江弥華を見つめていた。
七大十は緩む口元を隠すように鼻の下を擦った。そして自慢するように胸を張った。
だが、江弥華が一級用の受付に爪先を向けた瞬間、その動線上にいる陰陽師たちが一斉に顔を逸した。
江弥華が一歩進むたびに人混みが割れる。近くを通り過ぎるときには、上官を前にした軍人のように背筋を伸ばしていた。
彼らの反応は相手が一級だからか、それとも江弥華だからなのか。
七大十は後者だろうなと、後ろを振り返って考えた。
緊張していた陰陽師たちが佐天に気づいて挨拶している。軽く手を挙げた彼らの顔は安堵に満ちていた。憔悴しきった彼らの式神でさえ会釈している。
(……何したんだよ江弥華)
七大十は心の中で問いかけた。
江弥華が受付の前で足を止める。
七大十は自分にも関係がある事柄だからと、深く考えず江弥華の隣に立った。
対応に来た受付嬢が「は?」と丸くした目をこちらに向けた。
「下がれ」
と隣から冷たい声が突き刺す。
「……はい、すいません」
七大十が肩を落として下がる。
隣に亜子が立っていた。
さりげなく距離を取ろうと片足に体重を掛けたとき、亜子がぬっと顔をこちらに近づけた。
「……ヤバ、あんた」
(お前にだけは言われたくねえよ!)
その言葉をグッと堪えて、「へへ」と頭を掻く。
「報告書、確かに受け取りました」
朗らかな声に七大十は前を向いた。
受付嬢が安堵の表情で報告書を胸に抱いている。佐天も満足げに頷いている。
帰るかと、江弥華が身を翻したのを確かめて、七大十が踵を返した。
「あ、ちょっとお待ちください!」
受付嬢が慌てて呼び止めた。
「江弥華様に二件、指名依頼が入っています」
受付カウンターに依頼書が並べられた。
「ヒヒヒ……」と亜子が含み笑う。
妙な胸騒ぎを覚えた。
確認せずにはいられなかった。
気付けば江弥華の横から依頼書を見ていた。
下がれとは言われなかった。
江弥華の瞳が見開いたまま固まっている。
受付嬢が江弥華の反応に気付かぬまま、依頼内容の説明に入る。
「一件目は、稲光大悟郎様から。場所は牛鬼の森。依頼内容は鬼の掃討。二件目は——」
と受付嬢が二枚目の依頼書に指す。
「鷹架佐天様から。場所は——牛鬼の森ですね。依頼内容は……三級陰陽師の同行指南を、頼みたいそうですが……」
受付嬢が視線を上げた。江弥華の顔色を見たのだろう、受付嬢が姿勢を正すふりで一歩引き、佐天に視線を送った。
「おや、そんなこともあるんだね~」
と佐天が颯爽と躍り出る。
「さっき言った頼み事ってこれなんだよね。断られたちゃったけど」
佐天が指で自分の依頼書を叩いた。
カウンターに肘を置き、「でもーー」と江弥華の顔を覗き込む。
「どうだろう? 同じ場所で二つも指名依頼を片付けられるなんて、かなり効率的だと思うけど?」
江弥華は依然、固まったままだった。
見開いた瞳を手元に並んだ依頼に縫い付けている。
「……断る」
聞こえた江弥華の声は、どこか願望じみていた。
佐天が体を反転させた。カウンターにもたれて天井を仰ぎ、
「あー、やっぱりダメかー」
あっさり引き下がった。
江弥華の表情が固まったまま、目だけがゆっくり佐天を向いた。
「……なぜだ。なぜ私なんだ」
自分に問いかけるような口調で、佐天に言った。
佐天がため息をついて答える。
「……一人、面倒な子がいてね。九葉の人間なんだけど。その子が革命軍みたいなのを作り始めてさ。なんか、僕らを倒せば昇級できると思ってるみたいなんだよね」
「……私である必要がないだろう。佐天と渾蔵なら一瞬で潰せるはずだ」
「それじゃあ、彼らは何も得ないだろう? 余計に反発心を煽るだけだ」
「それなら尚更、私は不適切だ」
「いいや。君が適任だ。だからどうだろう。同行指南、受けてくれるかな?」
「いや、断る」
「ハハハッ! そういうところが、彼らに良い刺激を与えられるんだ」
佐天が嬉しそうに笑ったときだった。
「話は終わったか?」
と野太い声が飛んできた。
刺青だらけの上裸を晒し、金塊が嵌った右腕を、ぐるりと回してやって来る。
「大悟郎……」と江弥華が目を細め、
「やあ、大悟郎さん」と佐天が手を挙げた。
「約束を果たして貰うぞ、江弥華」
と、大悟郎が意地悪く笑った、江弥華を見下ろした。
「……なんのことだ?」
見上げた江弥華が平坦な声で返す。
「惚けるなよ……」
大悟郎がニヤリと笑って、一枚の紙切れを広げた。
『転生者売買契約書』
そこにあった自分の名前を見つけて、七大十は書面に目を走らせた。
その特記事項に、『条件付き価格につき、三両也』と記されていた。加えてその下に条件内容が続いている。
『牛鬼の森内の鬼の掃討および、牛鬼の動向調査を無償にて請け負うこと。その時に得た素材の所有権は全て購入者に依存する』
と。
(そう……だったんだ)
七大十は、自分を式神にするために、江弥華が金銭以外の契約を交わしていたことに驚いた。
そして嬉しかった。
江弥華は自分を買うために、金と時間を支払っていたことが、堪らなくーー。
心に火が灯ったようだった。しかし炎が燃え上がり、七大十は抑え込むようにその場にしゃがみ込んだ。
拳で塞いだ口から「〜〜〜〜!」と声にならない叫びが漏れる。
しかしーー。
「断る。今は無理だ」
と江弥華が言い放った。
「「「は?」」」
と三人の声が重なった。
口と目を丸くして、顔を上げると、七大十と同じ顔が二つ、江弥華に向けられていた。
「護符の納期が近いんだ。それの日時は決めてなかった筈だ」
と江弥華が顎で契約書を指して言った。
佐天が何かを問いかけるように、大悟郎に目線を向けた。それに対して大悟郎が頭を掻きながら黙礼を返すと、佐天が小さくため息をついた。
「そういう訳だ」
と江弥華が帰ろう、七大十の鎖を引いたときだった。
「あれ、今日って決めてたよ?」
子供の声がした。
「オイラ聞いてもん」
大悟郎の膝裏から、かん太が顔を出した。
江弥華が鎖を離し、振り返る。
「……私は記憶にないぞ、かん太」
口調は優しかった。しかし江弥華は疑いの目を向けている。
大悟郎と佐天もそうだった。しかし期待の色が透けている。
「ホントだよ!」
とかん太がむくれた顔で訴えた。
三人の大人から疑いの目を向けられた小さな体に、七大十が応援の目を向ける。
「オイラ、メモしてたんだから!」
かん太が懐から、何かを取り出した。
握りしめた拳の隙間から覗いた紙片に、『みたらし』の文字が見切れて見える。
「十月の八日、牛鬼の森って」
と、かん太が拳を開いた。
三人がかん太の手の中を覗き込み、江弥華が舌打ちして、体を引いた。
できた隙間に七大十が顔を入れて見る。
団子屋の伝票の裏に薄く、しかし確かに『十月八日 牛鬼の森』と書いてあった。
「……と、いうことみたいだけど、お二方?」
佐天が嬉しそうに、大悟郎と江弥華に視線を送った。
まだ思い出せないのか、大悟郎が首を捻りながら「今日だったみたいだが?」と江弥華を見る。
「正直覚えていないが、そうなんだろ」
と江弥華が肩を落とした。そして——。
「だが、済まん。この仕事はきっちりやりたい。円の……友達の大事な櫛になるんだ」
江弥華が頭を下げた。
誰もが目を丸くする中、江弥華が口を開いた。
「三日……いや、一晩でいい。時間をくれ。必ず終わらせる」
と。
いつの間にか、ピリついた空気が弛緩していた。
佐天と大悟郎が互いを見合い、仕方ないという顔を、まだ頭を下げている江弥華に向ける。
「そういうことなら、きっちりやらんとだな」と大悟郎が頭を掻いてそっぽを向き、
「本当に一晩で間に合うのかい?」と佐天は優し気に聞いた。
「ああ、必ず」
と江弥華が顔を上げる。
(……え、何で急にオッケーになった?)
取り残された七大十が三人も顔を順に見回す。
「え? あれ?」とかん太も同じく大悟郎と江弥華を交互に見やって「今日行く流れだったじゃん!」と頭を抱えた。
大悟郎が親のような目でかん太を見下ろし、
「お前も大人になったら分かる」
とかん太の頭を軽く叩いた。
「江弥華。出発は明日の昼過ぎだ。飯はちゃんと食ってこいよ」
「ああ、恩に着る」
そして大悟郎は江弥華に後ろ手を上げながら去っていった。その背中を、かん太が慌てて追いかけ、「説明してよ!」と何度もこちらを振り返りながら帰っていく。
「……ところで江弥華……」
佐天が申し訳なさそうに切り出し、江弥華が面倒臭そうに振り返った。
「何だ?」
「同行指南の件なんだけど……」
佐天がポリポリと頬を掻く。
江弥華が意地の悪い笑みを浮かべた。
「その前に大悟郎との契約に乗っかって私を利用しようとした件について、謝罪を頂こう。私も謝ったんだ、安い物だろう?」
それを聞いた瞬間、
「なん……ですって……?」
佐天に後ろに控えていた亜子の髪が、文字通り逆立った。毛束の一本一本が触手のように蠢く。髪の間から覗く血走った眼が殺気を放った。
(ヤバい……!)
反射的に七大十は前に出た。
同時に、
「亜子」と佐天が手をあげる。
亜子の髪がゆっくりと、まるで「納得いかない」と言いたげに降りていく。
それを後ろ目に確かめた佐天が視線をこちらに向けた。
「言いたいことがあるならどうぞ」
そう言われているような気がした。前に出てしまった手前、おずおずと戻ることもできず、七大十は口を開いた。
「……穏便に……穏便にいきましょう……。穏便にね」
最後は後ろを振り返って念を押した。
瞬間、グンと鎖が引っ張られた。
七大十がよろめいた。
「うお!?」
思わず飛び出した声が大きくて、若干の恥ずかしさを抱えながら江弥華の後ろに引き下がる。
「くふ……ッ」
「ヒヒヒ……」
目の前のコンビが揃って肩を震わせていた。
しかしそれもわずかな間だった。
佐天が生真面目な表情で頭を下げる。
「悪かった。どうしても君に指南して欲しかったんだ」
フッと、江弥華が満足げに鼻を鳴らした。
「分かった。もののついでだ。受けてやる」
「本当かい!?」
「ただし、やり方は私に一存してもらう」
「当然。最初からそのつもりだったさ」
「その言葉、忘れるなよ」
江弥華が踵を返す。
七大十は一応、佐天たちに会釈してから江弥華を追った。振り返り際に佐天が頷き返してくれたのが目の端に入った。
(ああいう陰陽師もいるんだな……)
そう思いながら前を向くと、江弥華との差が開いていた。
「やべ、鎖が引かれる」
と、早歩きで追いかけた。
本業の納期を自分で早めたせいで鬼気迫る表情なのだろう。
人混みは大きく裂け、来るときよりもずっと歩きやすかった。




