灰人種
【メッセージ】
この32話には、タイトルにもある「灰人種」という人種についての言及があります。
ある人種が奴隷ではなくなった後も偏見が残っている理由や、それがなぜ武尊の父王殺しと地上への逃亡につながっているのかを説明するためです。
その中では、人種差別や奴隷制度について、作中の過去の歴史として語られる場面があります。ただし、作中では一部の人物に偏見が残っているものの、差別や奴隷制度そのものを肯定する意図はありません。
筆者自身も、また主人公の冴島陣も、そうした差別や偏見を肯定する立場ではありません。
かなり注意して推敲したつもりですが、「ここはまずくない?」と思われるところがありましたら、ぜひ教えてください。
ご意見やご指摘を伺ったうえで、自分でも「ここはまずいかもしれない」と感じたところがあれば、積極的に書き換えていきたいと思っています。
仁徳天皇陵から瀬織津に戻った冴島と愛梨は、加多弥の指示で精密検査を受けることになった。死から甦った二人の肉体に異常がないか調べるためである。
宿禰が未完成の禁忌魔法を組み合わせ、改良して造った不老不死の魔法に不備があっても不思議ではないと、加多弥が考えたからだった。仮に不老不死の魔法が完璧であったとしても、二人の肉体や精神が死を体験したことで変質していることを加多弥が恐れたのだ。
冴島の精神が宿っている湊大地の肉体に問題は見つからなかった。また冴島の精神も同様に異常はなかった。目を覚まさない愛梨の肉体の精密検査も同時に行ったが、健康体であること以外に異常は見つからなかった。
加多弥は、脳の再生中に意識を取り戻した冴島と、なかなか目を覚まさない愛梨との明らかな差異に不安を覚えていた。理由はわからない。ただ、何かがおかしいと感じていたのだ。未完だった禁忌の術を使って死亡した人間を甦らせているのだから、何が起きても不思議ではない。だが、どうしても嫌な予感が拭えなかった。
しかし、冴島はその答えを知っていた。冴島の精神が宿っている湊大地の肉体には、宿禰の魔術・魔法の知識がコピーされている。それらの知識に紐づく記憶も断片的に残っている。だから、不老不死の術を完成させた時に、宿禰が何を考えていたのかということも記憶として残っているのだ。
3つの術を組み合わせる際、宿禰が自分に都合のいいように術を改良した時の思考まで、記憶として脳に残っている。宿禰は国王として、そして上位の魔法使いとして命を狙われる可能性まで考慮していた。必然的に、命を狙われて死亡しても、すぐに意識を取り戻し、敵に対して即座に反撃できることを術に組み込む必要があったのだ。
不老不死の術をかけられた本人は、死亡すると自動的に不死の術と甦りの術が発動し、即座に意識が戻る。だが、不老不死の術を纏った者が他者に対して甦りの術を使った場合には即座に意識が戻る必要はない。明確な違いがあって当然なのだ。
そのことを知らない加多弥は、念のため、もう一度愛梨の検査をするように綿津見に命じていた。
精密検査のため、愛梨は検査用チャンバーの中に全裸で入らなければならない。冴島は綿津見に「頼む」とだけ言うと、検査室から出て行った。冴島にできることはない。あとは綿津見と加多弥に任せるしかなかった。
冴島は通路を歩きながら、不老不死の術について考えていた。宿禰が自身に不老不死の術をかけたという記憶は残っていない。だが、冴島と大地の精神と肉体を入れ替え、自らの魔術・魔法の知識をコピーした後に、宿禰が自らに不老不死の術をかけたという確信が冴島にはあった。国王になったばかりで父王が殺害された直後の不安定な宿禰の立場を考えれば、術を自分にかけないわけがないのだ。
時期的には、術の完成のほうが武尊の蜂起よりだいぶ前のはずだ。だが、禁忌の術を研究して完成させた理由について、宿禰が色々と考えていた形跡がある。その中には、武尊に関係するものもあった。もちろん、武尊が父親を殺害して地上に逃亡することを想定していたわけではない。
……武尊を追跡する俺たちのために禁忌の術を完成させたというのは、奴にとっては都合のいい方便になりそうだな……
このようなことを考えても、擬似人格の宿禰は何も言ってこない。うまくいっているなと、冴島は内心でほくそ笑んだ。これらの思考は、擬似人格の宿禰に知られないようにガードして行っている。宿禰の記憶すべてにアクセスできるようになり、冴島は擬似人格の魔法の仕様を理解することができた。そのことで瀬織津に戻ってからは、擬似人格に邪魔をされずに考えることができるようになっている。
宿禰が油断のできない男だと冴島は思っている。擬似人格を経由して自分が何を考えているのか、冴島が気づかない方法で知ろうとしているかもしれない。不老不死の魔法使いである自分が敵になる兆しは知りたいに違いないからだ。
……だが、不老不死の術は解除することができる。俺が思っているほど宿禰が俺のことを警戒しているとは思えないが、警戒しておいても無駄にはならないだろう……
愛梨の無事を心配してあたふたしている加多弥の様子を思い出し、冴島は思考を加多弥に向けた。
加多弥が不老不死の術のことをどこまで知っていたのか。おそらく、宿禰は不老不死の術を完成させたこと、そしてそれを自分たちにかけたことは加多弥には知らせていなかっただろうと思った。今回のことがなかったとしても、自分は戦いの途中のどこかで死んでいたはずだ。自分が死んだ時には、宿禰は姉に説明すればいいと思っていたのだろう。どうせ生き返るのだから。
きっと加多弥は、自分が生き返ったところをモニターで見て驚愕していただろう。弟のことはよく知っていると思っていたはずが、実際に弟は姉に対して秘密主義を貫いていたのだから。だが、父王の判断だったとしても、武尊を霊牟璃堊に送ることを秘密にしていたことを考えれば、加多弥は宿禰に対して文句は言えないだろうとも冴島は思った。
これまでのことで冴島は加多弥と宿禰のことが少しずつわかってきたと思っていたが、加多弥が地上に来た本当の理由まではわかっていなかった。武尊を霊牟璃堊に行かせる計画を立てた立場上、結末を見届けなくてはならなかった、ということではないだろう。すでに聞かされている、地上の皇帝を守るというのは後付けの理由だと冴島は思っていた。きっと、他にもっと重要な何らかの理由があるはずだと、冴島の勘が告げていた。
加多弥が愛梨の無事をここまで心配する理由。伊吹と美織を保護して聖獣を護衛に付けてまで愛梨の信頼を得ようとする理由。それは、冴島を味方につけておきたいからだ。護衛の追儺ではなく、地上人の冴島に動いて欲しい何かがあるのだ。
ひと段落すれば、自分は武尊を追って霊牟璃堊に行くことになるだろう。亜雅籠垞の人々の思惑を可能な限り正確に把握して行動しなければ、安心して南極大陸になど行っていられない。
それでは、支援をしてくれている仲間である綿津見はどうか。彼女は主人の考えや、今後起こり得ることを演算により推測できているかもしれない。だが、自分がどう動くべきか判断できず、結局のところ自ら行動することはないだろう。琥珀、阿修羅、そして夜叉の追儺である3人は主人の加多弥次第だろうと思った。おそらく3人ともほとんど何も知らされていないはずだ。琥珀は反論ぐらいするだろうが、結局は加多弥の言うことを受け入れることになる。逆らえるはずがない。
誰の思惑のもとで自分が動くことになるのか判断がつかないが、自分はどうなっても構わなかった。愛梨と大地、そして愛梨が信頼している人たちだけは必ず守ると冴島は心に誓った。
同時並行で思考できるはずだが、通路を歩いている冴島はほとんどの思考回路で同じことを考えていた。唯一愛梨の様子に気を回していた思考が、腕の時量師に綿津見からのコールが入ったことに気づいた。
「どうした?」
「まだ愛梨さんは目を覚まさないのですけど……愛梨さんに活性化した龍脈孔が見つかりました」
「すぐそっちに行く……愛梨は服を着てるか?」
「はい、大丈夫です。すでにベッドに移動しています」
「わかった、少し待ってくれ」
冴島が検査室に戻ると、加多弥と綿津見が空中に浮いている映像を見ながら何かを言い合っていた。
冴島は綿津見に聞いた。
「愛梨に龍脈孔があるって?」
「はい、第三龍脈孔……喉の付け根にあります」
空中のモニター映像に愛梨の上半身の透過映像のようなものが表示されていた。着色された3D CT映像の上に血管とは異なる経路のようなものが重なって表示されている。どうやら、龍脈孔や龍脈線を映像化しているらしかった。映像の中の愛梨の首の根元に丸く明るく光っている部分があった。冴島が愛梨の喉元に薄黄色い光を見た場所だった。
その映像を見上げていると、加多弥が綿津見に質問をした。
「瀬織津に来た時に検査をしたでしょう? その時に龍脈孔を調べたの?」
「いえ、あの検査は病原菌などを瀬織津に持ち込ませないための確認のための検査が中心でした。健康状態の確認と、服を作るために体型の3Dスキャンをしただけです」
冴島は愛梨の喉の発光現象のことを二人に言っていなかった。タイミング的に甦りの術が関わっている可能性が高いのが理由だ。愛梨がさらに亜雅籠垞の事情に巻き込まれてしまう危険性があるからだ。
冴島はわざとらしく訊ねる。
「ということは、愛梨がもともと活性化した龍脈孔を持っていた可能性もあるということですね?」
綿津見は頷いた。
「はい、魔力を生成できる龍脈孔が喉元にあるということしかわかりません」
冴島は少しだが安堵した。法力を生成できる龍脈孔があるとなれば、色々とややこしいことになりそうだからだ。
冴島の考えを察したのか、加多弥はチラッと冴島の方を見ただけだった。
「様子を見るしかないでしょう。龍脈孔があっても使い方がわからなければ異能や魔術を使うことはできないのだから、龍脈孔のことを教えなければいいだけです」
「そうですね。少し様子を見ましょう」
冴島と加多弥は検査室に綿津見を残して退室した。冴島から話をしたいと言われた加多弥は、冴島を自室に連れて行った。いつも加多弥のそばにいる綿津見は愛梨に付きっきりで、この場にはいなかった。冴島は加多弥と二人きりで会話をすることを希望していたから都合がよかった。会話の内容を考えると、綿津見はこの場に居づらいかもしれない。冴島は、彼女のためにも、加多弥と二人で話すことを望んだのだ。
二人は加多弥の執務室のような部屋で向かい合った。冴島の強い意志が、湊大地の双眸に宿っているようだった。
湊大地は真剣な表情で、握った拳から指を一本ずつ伸ばしながら、加多弥を問いただした。
「聞きたいことは3つです。1つ目は、惨跛の術を亜雅籠垞から放った者に心当たりがあるか。2つ目は、武尊が霊牟璃堊に行くことを、あなたが知っていたのか。最後に、武尊の行動計画を作ったのはあなたなのか」
加多弥はしばし考えてから答えようとして口を開いたが、すぐに口を閉じた。そのため、冴島は加多弥に対して確認するような口調で言った。
「魔術師では無理でしょう? 宿禰が大地くんと私を見つけた時のような、地上に干渉できるような力のある魔法使いのはずです」
「前にも言いましたけれど、治癒師以外の魔法使いは人数が少ないのです。冴島さんが言うように、亜雅籠垞から地上の複数箇所に術を放つとなればかなり実力のある魔法使いです。伊予二名国には、私と宿禰を含めて数名程度、根之堅州国にも数名……それと、伊予二名国の中にある黄泉平坂にも……」
詰問するような口調で冴島は加多弥の言葉を無視して聞き返した。
「心当たりはない……ということですか?」
「わからないというのが答えです。魔法使いはどんなことでもできると思われていますから、尊敬と同時に畏れられています。そのため、魔法使いは尊敬され続けるよう、自らの行動を律しています。ですから、惨跛の術のような……」
冴島は、加多弥の言葉を遮った。
「そんなことをする魔法使いはいないということですか? 村雨は、魔法使いは地上に来ていないと言っていた。連れてこられなかったのか、それとも何か事情があって魔法だけを地下から放ったのではないですか?」
加多弥は湊大地の顔から目を背けると、言うべきかどうか悩むような表情になった。
「可能性があるとすれば……菊理かも……」
「ククリ? どういう人物なのですか?」
「『赫熱の魔法使い』の二つ名を持っている優秀な魔法使いであり魔導師です。ただ、黄人種の人々からは別の呼び方をされることもあります。灰褐色の魔女、と……」
「なぜ、その菊理という人物が関わっていると考えているのですか?」
「彼女は伊予二名国の中にある黄泉平坂という特殊な地域の出身です。私が知っている中で、魔法使いとしての能力が高いにもかかわらず、偏見の目で見られている……菊理の可能性が高いというだけですけれど……」
言葉を選びながら、加多弥は言いづらそうに自身の見解を語った。
「地域による差別と能力の問題ですか? あなたを見ていると他に理由がありそうだ」
図星だったのか、加多弥は息苦しそうな表情をして続けた。
「彼女は灰人種なので……」
加多弥は口籠った。
「灰人種というのは?」
「央国高天原の皇族以外では、伊予二名国、そして根之堅州国は、黄人種と呼ばれる肌が黄色がかった人々が多く住んでいる国です。皇族や王族は黄人種を誇りにしていて、血統を守ろうとしています」
確認をするように冴島は言った。
「私たちでいう黄色人種ですね」
否定も肯定もせずに、加多弥は続けた。
「他には、阿修羅のように肌の黒い人種は黒人種、夜叉は白人種、そして琥珀は、久士布流多気国で造られた、白い肌に赤みがかった赤人種、というように肌の色や遺伝的な特徴によって人種を分けているのです」
「わかりやすいというだけで肌の色を基準に、人種を区別していたということか。当時の人々は、それを当然のこととしていたわけですね」
「そうです。でも現在では人種によって差別したり、特別に区別したりするようなことはありません。長い歴史の中では人種ごとの交わりが進んでいて、混血は当たり前のことです。人種にこだわっているのは黄人種の中の一部の人々だけだと思います」
「地上だと、肌の色の違いだけで差別が起きたりしていますが、さすがに進んだ文明の国というだけのことはありますね。なのに灰人種という人々は違うようですが」
「褐色の肌の人々には複数の身体的特徴があるので、それぞれを褐色以外の色の名称で分類しているのです。そのうちの1つが灰人種です。他にも緑人種や青人種というように褐色の肌には関係ない色を当てはめています」
冴島は加多弥に先を促すように相槌を打った。
「なるほど……それで、褐色の肌の灰人種の女性魔法使いということで、”灰褐色の魔女”と呼ばれているのか」
間を置いて加多弥が言った。
「灰人種は、遥か昔……唯一、奴隷とされていた人々です」
「なぜ、灰人種だけが奴隷の対象になったのです?」
「畏れです。知能、身体能力、格闘能力、魔術特性といった、あらゆる面で優れていると考えられていたからです。普通に考えれば、灰人種全ての人たちが優秀なわけがないのですけど……」
「それはそうでしょう。私たち日本人だって文学が得意だが理数系は苦手という人もいるし、その逆も然り。体型や身体能力だって人それぞれですよ」
「外見としても、褐色の肌に彫りが深い顔立ちで、大柄でしっかりとした体躯の人が多いので目立ってしまっただけなのかもしれないです。もちろん、小柄な人もいれば、肌の色が薄かったり濃かったり。それだって他の人種全てに当てはまります」
科学が進んでいる文明国というイメージの強かった亜雅籠垞に、そのような負の側面のあることが冴島には意外に思えた。
「皇族や王族が能力のある人種を畏れて、奴隷にして押さえ込んでいたということですか?」
「そうです、奴隷制度を無くした時に貴族制度も廃止になっています。最終的に、皇族と央国を守護する王族のみになりました」
「当時はかなり混乱があったでしょうね」
「はい、そのようです。地下へ移住する時に、制度を一気に変えたようです。ですから不満のある者たちの一部は地上に残ったそうです。奴隷といっても一定の人権と法的な保護は与えられていて、主人には奴隷を保護する責任が課せられていました。灰人種の中には、奴隷という身分であっても生活が保障されていたため、制度の廃止後も奴隷制度の継続を訴えていた人たちがかなりいたらしいです」
「それは……彼らが自由を望まなかったということですか?」
「自由になったとしても、住む場所も仕事もなく、社会に受け入れられる保証もなかったのだと思います」
「結局、天変地異の脅威から地下に逃れたかったが、新しい制度が気に入らなかったり不安があって地上に残った人々がいたということですか……」
どんなに進んだ文明でも隠したい暗い歴史があるのだなと冴島は思った。
「皇帝は灰人種たちに新しい国を作らせて国王を立てなかったのですか?」
「かつて奴隷だった人々に国を作らせるということには、反対が多かったようです。それで皇帝の命によって、伊予二名国の中に領地を設け、灰人種の指導者を領主という立場にしたそうです。ゆくゆくは国にするつもりだったらしいですけど、今もその状態が続いてしまっています」
「能力の高い、かつて奴隷とされていた人々を既存の国の中に置いた……灰褐色の魔女という呼び名も差別用語に聞こえるな……理由はそれだけですか?」
「冴島さんに亜雅籠垞の実状をどこまで言って良いのか難しいのですけど……」
「加多弥さん……禁忌の術をまとった魔法使いになった時点で、私には行くところまで行くしかなくなってますよ」
冴島の覚悟のような言葉を聞いて、加多弥は話すことに決めたようだった。
「奴隷制度がなくなっても、彼らに対する偏見のようなものはなかなか無くなりませんでした」
「地下に移住する時ということは、地上では古代ですよ。それほど長い時間が経っているのに、いまだに差別的な扱いを受けているのですか?」
「奴隷制度の廃止を一番強く訴えていた伊予二名国の中に彼らを閉じ込めたというのが真実です。それが偏見を完全に消せていない原因かもしれません。現在は灰人種の人たちは能力を買われて各国に移り住んで実力を発揮しています。灰人種の人たちとの混血もかなりの数になっていると思います。」
加多弥は続けた。
「一番偏見を持っているのは皇族や王族である黄人種かもしれないのですけど……でも、それ以外の人々から偏見が今でも消えないのは、灰人種とは別の者たちを一緒に閉じ込めたことが、一番の要因かもしれなくて」
「別の人種も一緒に?」
「違います……科学技術大国 久士布流多気が造った生体兵器や、その素体たちです。琥珀たち赤人種も作られた人種ですけれど、彼らが求めていた能力を持った成功事例という認識なんです」
「赤人種以外は失敗だった?」
「言ってしまえば兵器ですから……」
「素体は不要になり、失敗作は灰人種と一緒に隔離したのか」
「そのとおりです。正確に言えば、灰人種の人たちに、彼らの管理をさせたのです」
「暗い過去を引きずった、腫れ物のような者たちということか……だからといって、菊理や彼らが関わっていることにはならないでしょう?」
加多弥は言い淀んだ。
「2つ目と3つ目の質問に関わるのですね?」
ここでまた、加多弥が口籠った。だが、すぐに口を開いた。
「次期国王が宿禰に決まり、自暴自棄になっていた武尊を霊牟璃堊に行かせようとしたのは父王である弾正です」
加多弥の突然の告白に、冴島は不意を突かれた。
「殺害された本人が企図したのですか?」
「武尊を霊牟璃堊に行かせるということだけです。詳細は私が考えました」
「父王を殺害するのは予定になかった?」
「もちろんです……ただ、古の盟約があるために、皇帝陛下の許可を得ず秘密裏に実行することとなりました。決行直前に黄泉平坂の者と武尊の配下の者が密会しているというのを知らされました。私が知っているのはそこまでです」
予想外だった。加多弥と宿禰の父親である前国王の命令だったとは。
「なぜ、そのようなことを?」
「能力が低くても、元王太子であり皇帝の孫です。貴族制もない現状では、なんらかの役割を与え、伊予二名国以外の場所へ一時的に赴かせる必要があると父は考えたのです」
「それが地上の遺跡だったということか……そのことを宿禰は知っているのですか?」
「知りません……今も知らないはずです……宿禰には武尊が霊牟璃堊に着いてから、伝えることになっていました。ある意味、二人は対立していましたから……といっても、武尊の一方的なものでしたけど」
「惨跛の術を使うことも前国王の命令だったのですか?」
「違います。あんな汚れた魔術を地上の人々に使うなんて考えません」
冴島は加多弥の語っていることの意味を考えた。
加多弥が言っていることが事実であれば、武尊か配下の何者かが加多弥の考えた計画を亜雅籠垞にいる時点で書き換えていたことになるのだ。地上に上がってから作戦を急遽変更したわけではないだろう。
「伊予二名国の管理下にある黄泉平坂出身の菊理に命じ、地下から地上へ惨跛の術を放ち、国王を殺害して地上の霊牟璃堊に逃亡する。これが武尊とその配下たちが考え実行したことだと私は思っています」
「偏見を受けている者に対して王族が命令したわけか……しかし、なぜ、霊牟璃堊なのですか? 武尊を一時的に遠ざけるなら亜雅籠垞の中にいくらでもあるでしょう?」
冴島は純粋な疑問として質問した。
だが、加多弥は表情を強張らせ、拒絶するように答えた。
「それは……今は冴島さんに言うことができません」
「今は……ですか?」
「はい、武尊のことが一段落すればお話しできます。残念ですけれど、それは今ではありません」
「なぜ、今ではないのですか?」
これだけは絶対に言えないという意志が伝わるような強い言い方で加多弥は言った。
「地上のすべての人々に関わるからです」
このようにはっきり言われてしまうと、それ以上聞くことができなかった。霊牟璃堊という遺跡が地上の人々に関わる施設なのだろうぐらいしか、今の冴島にはわからない。
だが、それ以外に分かったことがあった。それは、地上を人質に取って交渉に利用しようと考えている奴がいるということだ。地上を人質に取るための脅しとして惨跛の術を使い、霊牟璃堊という遺跡に逃げ込んで亜雅籠垞の皇帝に伊予二名国の国王を交代させるよう要求することが目的のはずだと冴島は考えた。もしかしたら、武尊たちは霊牟璃堊以外の眠っている遺跡を利用して、人質以上の優位性を得ようとするかもしれない。
武尊が地上に逃亡した経緯の真実を知り、武尊たちの企てに気づいた冴島は頭を抱えてしまいそうになった。判断が難しい……自分たちに依頼してきた宿禰が、事の経緯を知らないまま、このまま依頼を遂行していいのかということだ。
冴島はそのことを加多弥に直接ぶつけてみることにした。
「この状態で、私は宿禰に依頼されたことを遂行して良いのですか?」
「国王が武尊、あるいは武尊の配下の誰かに殺害された時点で、もう引き返すことはできなくなりました。今の時点でお祖父様……皇帝陛下の耳に入れることもできません」
……やるしかないのか……というのが冴島の偽らざる気持ちだった。
「なぜ、そんなことに……武尊は王太子だったのでしょう?」
「父は魔法使い至上主義者だったのです。だから魔術師としての実力も低い武尊は、長男だったとしても次期国王の候補になっていなかったのです」
能力が低かったり、まだ幼かったりする後継者を国王にして、古参の部下たちが参謀として支えるというようなことは、日本だけでなく、世界の歴史上でもいくつもあったはずだ。だが、彼らはそのやり方を選ばなかった。しかし、それ以外の方法もあるはずだった。
「あなたが国王になるという選択肢はなかったのですか? 話を聞いているとあなたは国王の子供たちの中で一番年上で、魔法も使える。適任じゃないですか」
「第一王子が王太子になり、そのまま国王になる……というのは慣習でしかなかったのです。でも、伊予二名国では男子が国王になることが国法によって決まっているのです」
ボタンの掛け違い……いや、父王が魔法使いの弟を次の王に選び、能力のない長男である王太子に情けをかけ、地上へ行く道を作ってしまった。結局はそこに行き着いてしまう。
冴島はふと、加多弥が灰人種のことを自分に話したのか気になった。自分の質問に答えるだけなら、菊理の名前を言うだけで事足りるはずだった。だが、亜雅籠垞の恥になるようなことを詳細に説明していた。
「最初に言っていた灰人種と何か関係があるのですか?」
「黄泉平坂の領主の長女……灰人種が宿禰の母親なのです。菊理は……巫菊理は、宿禰の従姉妹にあたります」
「たしか、あなたと武尊の母親は……」
「現皇帝の娘です」
国王の選定で、揉めないわけがなかった。しかも王族などの黄人種は混血を良しとしないという話だった。では、なぜ前国王は確実に王位継承を巡る争いになるとわかっているのに、かつて奴隷とされていた種族の血を引く者を国王に選んだのか、冴島には理解できなかった。
自嘲気味に加多弥は言った。
「国を揺るがす一大事になるのは誰にでもわかりますよね……原因は私にあるのです」
「加多弥さんに?」
「はい、私が子供の頃に父と魔術を使った遊びのようなことをしていて……魔法で父に大怪我をさせてしまったんです。父は上級魔術師でしたけど、魔法は使えなくて……」
「そんなことが理由なのですか?」
冴島は愕然とした。
「父は高い能力を持つものが国王になり、皇帝陛下と自国民への責任を果たすべきだと考えるような人でした。だから能力の高い息子を早く国王に据えて、能力の低い自分は引退しようと考えていました……その一件をきっかけに、父は魔法至上主義者になってしまって……魔法を使える可能性のある男子を得ようとしたんです」
「その子供たちの中で、一番能力が高かった男子が宿禰だった?」
「そういうことです……実験をするように、色々な家系や人種から魔法使いになる可能性が高そうな女性を選んで子供を産ませたそうです」
「灰人種というのは選択肢から外す理由がなかったのか……」
「はい……父は灰人種の人たちの能力を認めていましたから、かつて奴隷とされていたことや肌の色など、全く気にしていませんでした。最終的に父が次期国王に選んだのは宿禰で、武尊は一時王太子を剥奪された形になりました」
「でも、宿禰が死んだ時のことを考えて、あらたに王太子を置く必要があるでしょう」
「宿禰と同じ母親を持つ魔法を使える弟たちはまだ幼いため、父は武尊を王太子に再度選びました」
「なるほど……それで、魔法至上主義の国王と新国王がいなくなれば、武尊が国王になれると取り巻きたちが考えたわけだな」
すべてが一本につながった。優秀な長女は女性というだけで国王にすることができなかった。能力主義の父王は皇帝の孫でありながら、能力の低い長男である王太子を国王にすることもできなかった。そして国王にするだけの能力のある優秀な男子はかつて奴隷とされていた種族との混血児だったということだ。地上へ逃れる前に父王を殺害し、地上の人々を惨跛の術で人質にとり、国王の変更を要求する。うまく立ち回れば、地上すべてを自分の国にでもできるぐらい、武尊は取り巻きに言われたかもしれない。
説明されれば状況としては理解はできるが、民主主義の日本という国で生まれ育った冴島には、王位継承の重要性など全く理解できなかった。皇帝がいて、その下に王がいるということ自体が、理解の埒外なのだ。
そんな冴島が加多弥の話を聞いて抱いた率直な印象は、父親である葛城弾正という元国王は、王として最適な着地点を見出せなかったということだった。他にやりようがあっただろうと思う。そして、選択した結果によって、地上の人々が巻き込まれたのだ。沸々と怒りが湧き上がってきた。
「伊予二名国は能力のある者を大事にします。自国の領土に灰人種の人たちが多数いるということも、灰人種の女性を選ぶことへの抵抗感を薄めていたのだと思います。はるか昔に奴隷だったことなど、魔法使いを産む可能性と比べたらなんということはなかったのでしょう」
「結局は、武尊の重鎮たちの暴走なのか……」
「はい……武尊は国王の重責を担うような能力はないかもしれません。でも父親を殺害するような子ではないのです……」
冴島は、行き場のない怒りと割り切れない思いで、嫌な気分になっていた。
最終的に、武尊を殺害することが得策なのか……だが、生かしたとしても後味が悪そうだ……冴島は難しい選択を迫られそうだと思った。
加多弥との会談を済ませた冴島は、魔法の練習を兼ねて瀬織津の自室から空間転移の魔法を使ってマンションに移動しようと思った。龍脈孔を鍛えるためには魔術と魔法を使う必要がある。移動のたびに綿津見に空間接続をしてもらわずに、自分の力で移動したほうが良いだろうと冴島は思っていた。龍脈孔を鍛えるだけでなく、攻撃魔法の練習も影響の少ない場所でする必要があった。
冴島が空間転移の魔法を発動させようとしたときに、腕の時量師に綿津見から愛梨が目を覚ましたという連絡が来た。
周囲の焦りをよそに、愛梨は再検査を始めてから1時間後に目を覚ました。綿津見によれば、目を覚ました時の第一声が、「すごいぐっすり眠れた」だったそうだ。
綿津見から愛梨が目を覚ましたことを知らされた冴島は、愛梨の様子を見に検査室へ行った。検査室が遠く感じた。検査室に入ると、愛梨が横たわっているベッドのそばまで逸る気持ちを抑えて、あえてゆっくり歩いた。
部屋には加多弥と綿津見がいた。検査室が加多弥の部屋に近かっただけなのだが、自分が最後に着いたという事実が不満だった。
二人の視線に気づきながら、冴島はそちらを見ないで愛梨に声をかけた。
「具合はどうだ?」
検査後にシャワーを浴びて身綺麗になった湊大地の姿を見て、愛梨は安心したような表情をした。上半身を起こすと、湊大地に向かって言った。
「あの後、大丈夫だったんですね」
「ああ、なんとかなったよ」
冴島は、娘を死に追いやった自分の不甲斐なさに嫌悪感を覚え、化粧気のない娘の、あどけない笑顔を直視できなかった。
娘の名前を叫び、娘を抱きしめて一緒に死ぬことを受け入れてしまった自分の気持ちを偽るのが難しくなっていたからだ。娘の命を奪った相手を心底憎み、その行為に対して隠すことのできない殺意を抱き、敵全員の命を奪った。
だが、自分の機転で甦りの術の存在を知り、娘の命を救うことができた。
もしそれができていなかったら……
そう思うと、冴島はゾッとした。そうなったら、自分は死の病から生還できたとしても、自分自身を一生許せなかっただろう。成功報酬として宿禰に愛梨を甦らせることを要求していたかもしれない。
冴島は思った。おそらく、娘は戦場で自分の名前を呼び捨てにされたことに気づいていないか、覚えていないだろう、と。
だが冴島にとって、あの瞬間、自分は湊大地などではなく、確実に冴島陣だったのだ。
娘の元気そうな顔を見ながらそんなことを考えていると、自分のことではなく湊大地のことを心配する言葉を娘に言われた。
「湊さんがなんともないみたいでよかったです」
平静を装って答えた。
「君もなんともなくてよかったよ」
愛梨は、その時のことを思い出そうとするように束の間視線を落とした。
「いつの間にか森の中に放り出されて……どうなっちゃうかと思いました」
そして見上げるようにして、大地の顔を見つめた。
「すごく心細かったけど、湊さんが助けに来てくれて本当に嬉しかったです」
その言葉は父親の自分ではなく、湊大地に向けて言っている言葉なのだ。冴島の心にその言葉が突き刺さった。
「お前を助けたのは本当の父親の俺だ!」と言いたい気持ちを必死に押さえつけて、湊大地の顔で申し訳ないという顔をした。
「あれは、俺のミスだ。部屋の鍵をかければあんなことにならなかった。許してほしい」
そうではないという否定の気持ちを、愛梨は顔の前で手を振ることで示した。
「私がいけなかったんです。勝手に部屋に入ったんですから」
「いや、そういうことじゃない……クローゼットを閉めれば良いだけだったんだ」
「違います! 私が悪いんです!」
二人のやり取りを見て、加多弥が割って入ってきた。
「正確にいうと天岩戸…いえ、空間接続が行われている間の監視を綿津見が怠っていたから、あのようなことが起きてしまったんです。お二人のせいではありません」
綿津見がその言葉に反応するように深く頭を下げた。
「私の能力であれば、すべてに完璧に対応できたはずでした。私の責任です。申し訳ありません」
「いや、俺の安易な行動が原因だ。1日に何度も瀬織津と行き来をしていて、空間接続している間もドアを開けっぱなしにするのが日常になっていた」
加多弥まで責任の所在を巡る話に加わってきた。
「いえ、私が愛梨さんたちがいるセーフハウスに対してもっと注意を向けるように綿津見に言っておけば……」
全員が自分が悪いと言い出したのを見て、愛梨は両手をパン!と叩いて全員の注目を集めると、屈託のない笑顔を見せた。
「じゃあ、みんなが悪かったということで終わりにしませんか? みんな無事だったんですから……あ、夜叉さんは……?」
愛梨は、夜叉のことを忘れていたことに気づき、困惑の表情をした。
加多弥が微笑んだ。
「夜叉も無事ですよ。湊さんも任務を無事に遂行できました」
愛梨は加多弥のその言葉を聞いて心から安堵したようだった。
「よかった、みんな無事で……」
全員の無事を喜んだ後に、冴島は愛梨がどこまで覚えているのか聞かずにはいられなかった。
愛梨が自分が死んだことを覚えていないことは、不幸中の幸いだった。湊大地に向かって走っていった後の記憶がないと言っていた。それが良かったのだろう。精神系の検査には異常がなかった。もし、愛梨に自分が死んだ記憶があって、それによって精神に異常が生じているのであれば、冴島は魔法で記憶を消してしまおうと思っていたのだ。娘の記憶を盗み見るようなことをせずに済んで良かったと冴島は心底思った。
自分だけ先に戻ろうと思っていたが、愛梨が目を覚ましたのであれば一緒に戻ったほうが伊吹たちも安心するだろう。加多弥は愛梨の様子を見るために、もう少し留まることを提案したが冴島はすぐに戻ると告げた。
二人一緒では空間転移の魔法で戻るわけにもいかない。冴島は綿津見に天岩戸を使って空間接続をしてもらうと、池袋のセーフハウスに戻った。
接続先は仁徳天皇陵へ移動した時に使った冴島の書斎ではなく、寝室のドアにした。書斎は愛梨を巻き込んでしまった場所だけに接続するのはあまり良い気分ではなかったからだ。
寝室はメゾネットの2階部分の奥の部屋だった。ドアが開くと彼女たちに入室を禁じていた部屋のドアが目の前にあった。
冴島は自分より先に愛梨を廊下に行かせた。自分より後に空間をまたがせるのが不安だったのだ。
愛梨の後ろを歩き、吹き抜け部分にくると階下のリビングルームに伊吹と美織の姿が見えた。その時、冴島は伊吹たちに連絡をしていないことを思い出した。1日半は二人に無断でいなくなっていたのだ。しかも自分だけでなく愛梨もだ。
二人の不安と愛梨の無事を思う気持ちを考えると、冴島は胸が痛んだ。愛梨のことで頭がいっぱいで、伊吹たちに思いが至らなかったのだ。自分たちの安否を連絡するだけでなく、マンションに残していった二人の様子を確認する必要があった。安全な場所とはいえ、娘と同年代の若い女性二人の命を預かっているのである。娘の友人である二人の命を守るという責務が自分にはある。しかも、伊吹たちには時量師の使い方を教えていない。彼女たちに何かあった時にこちらから連絡できるように、そして位置情報を取得できるように渡してあるだけだった。巌が生きていたら、「娘に怒られるぞ、お前は父親失格だ」と言われただろう。
リビングに行くと伊吹と美織がテレビを見ていた。伊吹はスマートフォンを操作していて、美織はテレビのニュースを見ていた。東京のテレビ局はまだ機能していないようだったが、埼玉県にあるテレビ局の放送は受信できているらしい。ネットの情報とテレビのニュースで情報を得ようとしているようだった。
「二人とも無事だね」
湊大地の声がした方を二人が振り向いた。
伊吹は一瞬呆けたような表情をした後、困惑したような顔になり、そして破顔して立ち上がった。
「湊さん! 無事でよかった」
美織もソファーから立ち上がると、落ち着いた所作で大地のそばに近づいた。
「愛梨ちゃんも一緒だったのね」
「連絡ができなくて申し訳ない。俺のミスで愛梨を巻き込んでしまったんだ」
伊吹が一瞬、「あれ?」という顔をした。
「二人ともなんともないみたいですね。よかったです」
美織が落ち着いた声音で二人の無事を喜んだ。
伊吹はこれ以上ないという笑みを浮かべながら、大地の身体に異常がないか確かめるように、目を走らせていた。
「本当に大丈夫なんですか?」
伊吹の言動はあからさま過ぎだったが、冴島はそれによってほのぼのとした気分になり、心が少し癒された。
「俺は魔法使いだから大丈夫」
そう言って、伊吹に微笑み返した。
冴島は美織に不在の間のことを聞いた。
「何か変わったことはなかったかな?」
「大地さんと愛梨ちゃんがいなくなった以外は……」
美織がそう言った後を伊吹が引き継いだ。
「愛梨ちゃんの姿が見えなくなって家の中をさがしたんです……どこにもいなくて……それで、入ってはいけないって言われていた上の部屋も探したんです。部屋の中で倒れてるかもしれないから……」
伊吹が言っている部屋は、メゾネットの2階にある窓のない小部屋のことだった。
その部屋は入院前までは武器庫にしていた部屋だ。駐留米軍の素行の悪い軍人が、小遣い稼ぎに横流しした武器を売人から買い、整備して、この部屋に保管してあった。大戦後に質の良い武器が大量に行方不明になっていると噂になっていた。入手した武器の中にはそういったものも含まれているようだった。
冴島が携わっていた任務を考えれば、いつ国に裏切られるかわからない。いざという時に身を守るための備えだった。病院に入院したらこの部屋には帰ってこられないのがわかっていた冴島は、銃器は全て分解して海に捨てていた。
部屋の机の上には開いたノートパソコンと書類と写真を入れたクリアフォルダーが置いてあるだけだ。
書類関連は自分が病気で死んだ後の指示のためのものだ。財産処理や役所がらみのことは高校時代の親友の下村誠夫妻に全て頼んであった。国立大学法学部を卒業後に弁護士となり、司法書士資格も取得している男だ。下村の妻は税理士で、彼女には税金や財産、そしてセーフハウスのための幽霊会社の維持費などの金銭に関わることは全て任せてあった。実情を全て話したうえで、生前贈与として二人に1億円ずつ渡してある。死後は、公正証書遺言によって夫婦それぞれに2億円を遺贈するように記載していた。もちろん、通常業務の費用として毎年高額の報酬は支払っている。
それ以外の諸々の作業は、自衛隊時代の部下の相澤武志に頼んである。震災の被災者で自衛隊に救助された過去があり、自衛隊に憧れて入隊した男だった。大戦の時に冴島の部隊にいて、生き残れたことに恩義を感じている男だ。自衛隊が国防軍に変わる時に、国防軍に身を置くことに違和感を感じて退役していた。現在は、一般家庭向けの生活支援サービスのための便利屋の会社を経営している。相澤に母の眠る墓の撤去と永代供養、自分の葬儀と遺灰の散骨、遺品の処分などを頼んでいた。彼には生前贈与として1億円を渡し、死後にも1億円が渡るようにしてあった。
3人に渡す金額は、両親の遺産の総額を考えれば大したことはなかった。
亡くなった母親は実家が古くからある大手企業の創業家の長女だった。母が亡くなった時には法定相続ではなく、母の遺言で全ての財産が冴島のものになった。当時の冴島にとっては、莫大な金額だった。その金を使って初期のセーフハウスを数件購入して運用した。下村夫妻とはこの頃からの付き合いだ。
そして父親が亡くなり、訪ねてきた弁護士から聞かされた遺産は想像もできないほどの財産だった。資産の内容に驚きはしたが、冴島には父親が遺した金には何の感慨もなかった。単なる数字でしかなかったから、未練もなかった。
どんなに高額の遺産でも自分が死んでしまえば使うこともできない。自分はいつ死んでも不思議ではない職業に就いていたし、余命宣告された自分には生活費と医療費以外は必要ない。自分の最期に関わってくれた人たちに使ってもらえれば、それでよかった。
最も大事な二人……愛梨と巌の妹である岩崎真粧美には、公正証書遺言で不動産と金のインゴット、そして残りの財産を、愛梨に6割、真粧美に4割の割合で遺すようにしてあった。
余命幾許もない自分には、金を遺すことしかできないのが悔いの残るところだった。愛梨と真粧美、そして彼女の子供たちの行く末を見られないことが悔しかった。
巌には真粧美と彼女の子供二人を頼むと言われていた。巌に申し訳ないと思いながら自分は死ぬことになるだろう。そして、古い考えと言われるかもしれないが、愛梨が結婚して子供を授かり、幸せな家庭を築くところまでは見届けたかった。昭和生まれの自分であれば、口に出さなくてもそれぐらい望んでも罰は当たらないだろう。
書類以外のクリアフォルダーには自衛隊時代に撮影した巌と自分が二人で写っている写真、そして小さい愛梨を抱いた自分と妻の愛海の3人で写した唯一手元に残っている写真が入っている。相澤にこの2枚の写真を自分の棺に入れてもらおうと思っていた。この写真は自分にとって世の中で一番大切なものだった。自分が死ぬまでは誰にも見られたくない。
自分の歴史を閉じるように、冴島はこの部屋のドアを閉めた。
死への旅立ちの時だった。
それが神の采配なのかはわからない。自分の身体ではなかったとしても、冴島は自由に動ける状態でこの場に戻ってきた。
不安そうな顔をして伊吹が言った。
「机の上のパソコンの画面にメッセージが出てたんです」
冴島は眉をひそめた。このセーフハウスに愛梨たちを連れて戻ってきた時には、メッセージが表示されていないことは確認済みだった。部屋に置いてあるノートパソコンや、病室に忘れてきたスマートフォンにメールやメッセージを送ってくるのは、弁護士の下村、便利屋の相澤、そして巌の妹の真粧美の3人だけだった。
「マサミさんっていう人からみたいで、『陣さん すぐに来て』って……」
冴島は全てを聞かずに、3人をその場に置いたまま階段を駆け上がっていった。




