秘匿魔法
——数分前、
地面に臥していた冴島は、目を開けた。目の前には血の気を失った愛梨の顔があった。
愛娘を抱きしめたまま絶命したことを思い出す。
冴島は、身を起こしながら娘の身体を地面に仰向けにした。そして立ち上がると、地面に横たわる愛梨の姿を見た。首の付け根の周囲が円形に吹き飛び、左腕がかろうじて胴体に繋がっているような状態だった。
……魔法なんてものを使えるくせに、娘を守ることすらできないとは……
自分を死に至らしめた鉄の槍が突き抜けた胸に触れる。血に塗れた戦闘服は破れているが、致命の一撃を受けた胸には擦り傷すらなかった。
その胸の中央の皮膚の下から、仄かな薄黄色い光が滲み出ていた。場所的には第四龍脈孔と言われる胸の中央だった。
死んだはずの自分が生き返った理由は、宿禰の魔法の知識と、そこから数珠繋ぎに垣間見た彼の記憶によって理解していた。
第四龍脈孔が突然開いた理由はわからない。
活性化されて開く間際だと、綿津見から聞かされていた。自分でも龍脈孔の状態は都度チェックしていたが予兆はなかった。
……開く間際だった龍脈孔が、肉体の修復の時に開いたのか?……
だが、今の冴島にはそんな理由など不要だった。新たに開いた龍脈孔をどのぐらい制御できるのかわからないが、魔法を使えればそれでいい。
動かなくなったパジャマ姿の娘を一瞥すると、自らの不甲斐なさで気が狂いそうになる心を必死に落ち着かせる。
「痛かっただろう……お父さんのせいだな……許してくれ」
冴島は訥々と愛娘に語りかける。
「少しだけ待っていてくれ……」
返事をすることのない娘にそう言うと、冴島はこちらに背を向けて遠ざかっていく2人の魔術師に視線を向ける。
「どんな理由があろうとも、貴様らを許すことはできない……」
冴島は何の躊躇いもなく、攻撃魔法を起動する。
初めて使う複雑な魔法だった。5つの術式を並列起動しなくてはならない。湊大地の脳は宿禰の魔法によって脳に変化が生じ、覚醒し、今も進化の途中だった。魔術と魔法を発動し、制御するには亜雅籠垞の人々のように多重思考を並列で行えなければならない。今の湊大地の肉体と冴島の精神では同時に5つまで並列に思考できるようになっている。発動条件だけはギリギリ満たしている。
だが、5つ全ての並列処理を魔法の発動に振り向けるとメインの思考を妨げてしまう。それを避けるために、冴島は5つ目の術だけはメインの思考を使って術の制御を行うことにした。
神代文字を詠唱するための発声のガイドは、擬似人格の宿禰にサポートさせる。
《宿禰、法詞を詠唱するぞ。フォローしろ、命令だ》
【そのぐらいやらないと、お前に頭の中から追い出されそうだな。任せろ】
さっき見たばかりの画像のような記憶から、術式の中心部分から法詞——魔法の詠唱文、を詠唱する。日本語のようで日本語とは少し違う、破裂音を多用した不思議な言葉だった。
歌うようなリズムで神代文字を詠みあげながら、開いたばかりの胸の龍脈孔から法力を流し込む。
記憶した他の4つの神代文字による法詞にも法力を流し込み、術を展開させていく。
湊大地を中心にして、薄黄色い神代文字が飛び交い、法術式が渦巻いていく。それらが収束されると上へ向けた掌の上に、直径10センチほどの涙滴型の光り輝く塊が生成された。
冴島はその光の球に意識を集中させて、術を発動させる。
掌の上から真上に飛び上がった涙滴状の光の球は、回転しながら大きさを増していき、上空に停止した時には全長15メートルほどになっていた。ゆっくり縦に回転しながら花の花弁が開くように周囲が広がっていった。
花弁状に広がった物体は6つに分かれ、中心部には2つの雄しべのような物体が屹立していた。仄白く光るその八つの細長い物体は1つに繋がっていて、それぞれ先端には、数は異なるものの目のような器官が備わっていた。
鈍く光りを放つそれは、ギリシャ神話に登場するヒュドラや日本神話の八岐大蛇を想起させる姿だった。
冴島は、中級魔術師たちの背中を睨みつけると殺意を向けた。
*
綿津見は、偵察型ドローンの荒覇吐を光の龍の直上約1000メートルからデータを取得しながら攻撃型ドローンの闇御津羽をゆっくり旋回させ、いつでも攻撃に移行できるようにしていた。
超小型ドローンと湊大地の片耳に残っている翻訳機から送られてくるデータによって、詳細なやりとりも遠隔地の瀬織津で把握することができていた。それらのデータを綿津見は冷静に処理していた。
複数のドローンの映像で冴島が生き返る様子を見ていた加多弥は、八つの頭をもつ光の龍が現れたことに一瞬言葉を失っていた。
「冴島さんの第四龍脈孔が開いたようです。あの龍のようなものは冴島さんの魔法と思われます」
落ち着いた声で綿津見が報告する。
加多弥は目の前の映像を見て呟いた。
「私はあのような魔法を知らない……」
そう言うと、あることが脳裏に浮かんだ。その疑問を弟にぶつける。
「宿禰、あれは王家の……国王にしか知らされない秘匿魔法ですか?」
綿津見はドローンからの映像を、特殊回線で宿禰に転送していた。その映像を見て、宿禰が応える。
「いえ、そもそも冴島は秘匿魔法を知りません。あれは冴島が造ったか、地上に残った昔の魔導師が造ったものを奴が発見したのでしょう」
どう見ても防御魔法ではなく、攻撃型の魔法だった。召喚魔法で呼び出して顕現したような光の龍を見ながら加多弥は言った。
「攻撃魔法は威力の加減がわからなくて避けていたのに……」
宿禰は、姉の疑問を受けて考えを述べた。
「冴島が攻撃魔法が苦手なのは、影響範囲や効果を具体的に思い描けないからでしょう」
「治癒魔法のような目的がはっきりしたものは想像しやすいからということ?」
「そうです。陸戦部隊の兵士だったら携帯できる武器や部隊が使用する兵器の破壊力と被害範囲ぐらいしか知らないし、想像できないでしょう。奴には広範囲を破壊する魔法の威力と影響範囲が想像できないはずです。広範囲の攻撃魔法は、地上の殲滅兵器のようなものに等しいですから。冴島の知識では、記録映像で見たことがあるものがせいぜいでしょう……例えば連鎖反応弾、彼らの世界でいうところの核兵器とか」
「被害を恐れて使用を避けていたのは認めます……まだ初心者で、術の制御も法力の扱いもようやく身についた程度ですから」
「魔術や魔法……とくに魔法は想像力がなければ制御できません。攻撃魔法は、どんなに失敗しようとも、使って覚えるしかないんですよ、姉様」
加多弥は表示されている映像を指差す。
「あれは術の目的が明確だから、冴島さんが使えているということなのね」
「あのような形を形成させるのは想像しやすいでしょう。それぞれの頭部が個別に敵を攻撃するのであれば制御もしやすい」
宿禰がそう言っていると、外周に位置する頭部の1つが地上の石巌に向かっていった。
超小型ドローンから送られてくる映像によって、石巌の腰から上が光の龍に蒸発させられるのを加多弥たちは目の当たりにした。
宿禰は言った。
「このぐらいの操作なら、攻撃魔法を苦手としている冴島でも使えるということです」
*
村雨は目の前で石巌をあっさり殺されるのを見て、思考が停止していた。その中で、脳裏に浮かんだのは、この場の責任者に自分を任命した父親の叢雲から言われた言葉だった。
——亜雅籠垞の追手が帝の門を使ってこちらにくることはない。
——地上には魔術や法術は存在しない。
自分の任務は安全で退屈な見張りのはずだった。
だが、目の前にいる男は石巌を法術であっさりと殺し、不死の術まで使う化け物だ。
中級魔術師の自分が、魔術が通じない相手に敵うわけがない。
しかも、加多弥が保護対象にしている地上の精霊使いまで殺してしまったのである。加多弥が自分の命を助けてくれるとも思えなかった。
戦う相手を間違っていたことを後悔していた。法術師とは戦ってはならない、何度も聞かされていた。
だが、自分に選択肢などなかった。
どうすればいいのだ……
目の前の男は凄まじい殺意の気配を自分へ向けたまま言った。
「人間の尊厳を奪う倫理観のぶっ飛んだ惨跛の術を、地上の人々に使うような奴らに俺は遠慮しない」
上空に浮いている八つの頭部を持つ光の龍が周囲を見回すように頭を巡らせると、2つの頭部がほぼ同じ場所めがけて飛んでいく。その方角は、夜叉と仙鷹が戦っている場所だった。
中央の2つの頭部は周囲を警戒するような動きをし、その他4つの頭部は村雨の動きを見張っているようだった。スルスルと光の龍の尻尾が降りてくると、殺意の気配を飛ばしている男と女の精霊使いを守るように渦巻いて取り囲んだ。
夜叉と戦闘中だった仙鷹は、巨大な光の杭のようなものが夜叉の背後から自分めがけて飛んでくることに気がついた。仙鷹は、夜叉の前から飛び退いて斬魔刀を構え直す。
自分へ放たれた魔術だと判断し、仙鷹は龍脈孔を全開にして持てる全ての魔力を斬魔刀に送り込んだ。
夜叉を避けるようにして自分に向かって突き進んでくる杭状の光を切り裂いて無効化するために、斬魔刀を振りかぶると上段から振り下ろした。だが、光の龍の頭部は突き進んだまま斬魔刀を瞬時に溶かし、仙鷹の太腿から上を蒸発させた。そのまま龍の頭部は、村雨に状況を知らせていた伽音に襲いかかった。反転して水平方向に進むと口を大きく広げて伽音を飲み込んだ。
龍の口内は意図的に温度が下げられ、一瞬で蒸発させずに苦痛を与えるように制御されていた。飲み込まれた伽音は凄まじい火傷を負いながら、閉じた口の中で噛み潰された。龍の口の中から骨の折れる鈍い音と大きなスイカが押し潰されたような音が発せられた。
負傷していたために、地面に座って仲間2人が瞬殺される様を見ていた夕霧の上部から別の龍の頭部が襲い掛かった。急に頭の上が明るくなったことに気づいた夕霧が上を向いた時には、龍の頭部に押しつぶされていた。地面に突き刺さった龍の頭部が離れた跡には丸く凹んだ地面が高温で溶けて液体のようになっていた。
たった今まで切り結んでいた仙鷹の脚だけが、その場に転がっていた。他の魔術師は跡形もなく消え、残された脚は燃え始めていた。
自分にも攻撃が加えられると判断した夜叉は斬魔刀を横に構えて臨戦体制に入った。だが、3人の敵を排除した2つの龍の頭部は、夜叉の様子を確認するかのように頭を動かすと、後ろから引っ張られるようにして遠ざかっていった。
状況がつかめない夜叉は呆然と立ち尽くしたまま呟いた。
「何が起こっているんだ?」
目の前の男は、村雨の仲間の死を報告するように言った。
「3人目……4人目……5人…………」
2つの龍の頭部が戻ってきた。それが男の言葉を裏付けているのだろうと村雨は思った。次は自分の番のはずだ。
「残ったのはお前だけだ」
その声と同時に龍の尾が上に引き上げられ上空に戻っていった。村雨以外の三人を攻撃する際、慣れない制御で生じる隙を突かれないように龍の尾を使って守らせていたが、すでに不要になっていたからだ。
男と精霊使いの女を守るように、魔術防壁に似た薄黄色い膜が展開された。
村雨は男に向かって一番の疑問を問うた。
「お前は何者だ?」
男は無表情な顔で言った。
「これから死ぬ奴に教えることはなにもない」
その言葉を聞いた村雨は自分が使える最強の魔術を指輪を介して無詠唱で起動させた。鉄でできた太い杭が男の周囲の地面から立ち上がり、同時に正面から超高圧の水流が、背後からは巨大な雷が男に襲いかかった。
超高速で攻撃する巨大な鉄の杭など、男の魔法防壁の前には無力だった。防壁にぶつかった鉄の杭はひしゃげ、折れ曲がった。意識下にないはずの足元の真下からの攻撃すらも防がれていた。金属すら切断する超高圧の水流もギガジュールに達する雷も魔法防壁に阻まれて男には届かなかった。
村雨の繰り出した中級魔術の中でも最高位階の同時魔術攻撃は、男の魔法防壁を破壊するどころか揺らがせることすらできなかった。
「高位魔術をもってしても、出力の弱い魔法防壁を破壊することはできない。知らなかったか?」
男のその言葉にかぶさるように伝わる強い殺意が、精神に突き刺さるようだった。村雨はこの男を怒らせたことで、勝つことも逃げることもできなくなっていることを悟った。
死ぬしかないなら、その前に自分の死を納得させるために知っておきたいことがあった。
「なぜお前のような法術師が地上にいるんだ? 地上にはお前のような者が他にもいるのか?」
「お前にそれを教えて俺に何のメリットがあるんだ?」
男を包むように展開された魔法防壁を中心に竜巻が噴き上がった。上空の光の龍にまで竜巻は達していたが、男の魔法防壁と光の龍は小揺るぎもしなかった。
「満足したか? それとも、まだ続けるか?」
男は淡々と続けた。
「魔術師が不意打ちや毒殺ではなく、ガチンコで魔法使いと戦って勝てるわけないだろう」
男は自分の質問に答えるつもりがないようだった。
虚勢を張りながら、村雨は男に再度問いかける。
「お前たちの世界の言葉でなんていうか知らないが、死ぬ人間に少しぐらい教えてもいいだろう?」
「冥土の土産ってやつか? お前たちに持たせる土産はないな」
「地上には法術師はいないと聞いている。なぜお前は法術を使える? 加多弥様の支援を受けているのか?」
男は冷ややかな視線を向けながら、無表情に応えた。
「法術師っていう言葉は好きじゃない。俺は魔法使いだ」
「答えろ、貴様は何者だ? なぜ邪魔をする! 誰の支援を受けている?」
「邪魔? 俺たちの国を滅茶苦茶にしたんだ。反撃されて当然だろう」
「狙撃銃は誰がお前に渡したんだ! お前の世界の技術じゃないはずだ」
冷たさを感じる無表情な男の顔が少し微笑んだように村雨に見えた。
「俺は地上の魔法使いだ。支援してるのはお前のところの国王だよ。これで満足か?」
「葛木宿禰なのか! 加多弥様じゃないんだな?」
その問いに答えずに、冴島は言った。
「今度はこっちの番だ。お前を生かしておいたのはお前に聞くことがあるからだ」
村雨は|木で鼻をくくったような態度で返した。
「私だって矜持というものがある。絶対に喋らないし、その前に自害する」
「そうか、じゃあやってみろ」
男の周囲に薄黄色い神代文字が飛び交った。
それと同時に村雨は前後から空気の壁のようなものを押し付けられたようになって身動きできなくなった。薄墨色の細かい粒子が現れると村雨の周囲に集まり、十字架を思わせる棺桶のような空間を作り出して村雨はそれに包み込まれた。
「な、なんだ……これは!」
「[絶戒の牢獄]という魔法だ。お前の尋問にちょうどいいと思ってな」
「ふざけるな、こんなもの……」
村雨は十指にはめた指輪の1つに封じてある魔術文に魔力を流して、自分を中心に重力を放射状に反転させる宙系魔術を発動しようとした。これで自分を抑え込んでいる術を押し戻そうとしたのだ。
だが、魔術は発動どころか、励起状態にすら至らなかった。
男は言った。
「この魔法は対象者の自由を奪ってから生命エネルギーと龍脈孔からの魔力を吸収する。魔術を使うことはできないぞ。舌を噛んで自殺しようとしても無駄だ、治癒魔法で何度でも治してやる」
村雨は絶望感に苛まれ、うめき声を上げた。
この様子を見ていた加多弥の目の前のスクリーンに映る葛木宿禰が、突然声を上げた。
「なぜ、奴が王家の秘匿魔法を使えるんだ!」
同じ言葉を擬似人格の宿禰も冴島の中で叫んでいた。
【なぜ、お前が王家の秘匿魔法を使えるんだ!】
冴島は村雨と相対しながら、擬似人格の宿禰に答えてやった。
《お前が寝てる間に、隠してた記憶を他の場所にコピーしたんだよ》
【どうして、そんなことができる……】
《脳を破壊されたとき、お前の起動プロセスより先に俺の方が意識を取り戻したから記憶を自由に操作できたんだ。擬似人格の魔法は、死んだ時に発動する不老不死の魔法を前提に造られてないだろ? しかも脳を破壊されていたからな》
【なんだと……】
《もう遅いぞ。記憶は全身の細胞へゆっくり保存されているし、次元境界側にも保存されてるはずだ。だいたい擬似人格じゃ魔法で俺の記憶を消したりできないだろ?》
【じゃあ、お前は……】
《王家の秘匿魔法も、俺たちに勝手にかけた不老不死の魔法も全部だよ。ついでに擬似人格の魔法でお前の設定も変えられるぞ》
【こんなことをして、無事でいられると思うのか? 地下帝国の王家の秘匿魔法と魔術を知ったんだぞ!】
《不老不死の術を解いて俺を殺したら目的を達成できないぞ。全部終わった後に記憶を消せばいいじゃないか》
【そういうことを言っているんじゃない! 知られたということが問題なんだ】
《元の身体に戻ったら俺は魔法を使えないし、どうということはないだろう? 大地くんはそんな記憶があっても魔法なんて使わないと思うぞ》
【武尊のことが済んだら、亜雅籠垞に強制的に連れて行かれて幽閉されたり殺害されるということは考えないのか?】
《そんなことをするくらいなら、大地くんは記憶を消した状態で魂を戻せば良いだろう? やったのは俺だ。どうせ死ぬ命だったし、死刑にしたいなら勝手にしてくれ》
【3つの最悪な禁忌魔法まで使えるようになったんだ。皇帝陛下に知られたらとんでもないことになるぞ】
《今はそんなこと考えても仕方ないだろう? 少し黙っていろ》
*
生き残った片側の翻訳機で村雨との会話は成立しているようだった。そして、その翻訳機を介して2人の会話は加多弥に全て聞かれているはずだった。この後に交わされるであろう会話も。全て終わった後に、加多弥には確認しなければならないことがあるはずだからだ。
冴島は目の前に大の字で身動きできなくなっている村雨に向かって言った。
「お前の大将はどこへ行った? 言え!」
「言うと思うのか? どんなに痛めつけられたって言わないぞ」
自分を拘束している術から逃れようと、村雨は手脚を動かそうとするがびくともしなかった。
「もう1つの惨跛の術を守ってた奴から、武尊が海に行ったと教えてもらったんだがな」
「乙拠点を落としたのもお前なのか!」
冴島は、村雨の問いなど耳に入っていないような素振りをした。
「もう一度言う。葛木武尊はどこに行った? 目的を言え! 惨跛の術を陽動にしてまで何をしようとしている?」
「教えるわけないだろう。聞くだけ無駄だ」
冴島は村雨ではなく自分自身に言うように呟いた。
「吐かせるには痛みが一番だな……愛梨をあのままにしておくわけにいかないから急がないとな……」
冴島は右手を前に突き出すと手のひらを村雨に向けた。
「人間の神経っていうのは身体の中で何かに触れると激痛を起こすんだ。自分の中にあるのに不思議だよな」
薄黄色い神代文字が突き出した腕の周囲に巻きつくように飛び交うと、薄紅色の燐光のような光の帯が村雨の眉間に突き刺さった。
「痛覚を何倍にも過敏にしてやった。ちょっと身体を動かすだけでも激痛が走るぞ」
そう言って冴島は村雨に近づくと、広げた村雨の右手の小指を握って手の甲側に折り曲げた。
村雨の絶叫が周囲の空気を震わせた。
「惨跛壱式に食い殺された人たちはもっと痛かったはずだぞ」
冴島はさらに村雨の薬指を反対側に折り曲げた。
人間の悲鳴とは思えない声が響き渡る。
「俺の娘だって、そんなものよりもっと痛かったはずだ」
痛みに脂汗をかきながらもがき苦しむ村雨の姿を見て、もっと苦しめてやりたいと思う反面、愛梨はそんなことを望まないのではないかと思った。
冴島は術を制御して、村雨の過敏にした神経はそのままに、痛覚を遮断すると負傷箇所を治癒してやった。即座に折れ曲がった指が元に戻った。凄まじい苦痛で疲弊した精神まは簡単には癒せない。村雨は大の字に拘束されたまま虚脱状態に陥っていた。
「休憩だ……俺に聞かれたことを必死になって思い出せ」
村雨に対して興味を失ったように冴島は背を向けると、神の如し光の龍を解除した。上空に留まっていた光の龍は粒子状になると風にかき混ぜられて見えなくなった。
冴島は愛娘の亡骸の傍に歩み寄ると片膝をついた。
「愛梨……待たせたね」
そう言って、冴島は愛梨の小柄な身体を抱き上げた。まだ暖かい身体は軽く感じた。死後それほど経っていないため、死後硬直もなく身体は柔らかいままだった。
「愛梨……本当はこんなことをしてはいけないんだろうな……でも、そうしないと愛海に、いや、お母さんに申し訳が立たないんだよ。それに、巌との約束もある」
冴島は天を仰ぎ見た。信じてはいないが、神という存在が自分の行動を見ているような気がした。
その見えない存在に対して宣言するように冴島は語りかけた。
「結果に対する罰は俺が甘んじて受けよう。地獄なんてものがあるなら……行けと言うなら喜んで行ってやる」
冴島は複製した不老不死の術の記憶を呼び出した。
愛梨を抱き上げた湊大地の身体を中心に不老不死の術が起動された。これは宿禰がかけた不老不死の術を起動し、冴島が法力を流し込んだものだった。
円環状の3つの複雑な魔法陣へ、練り上げた法力が流し込まれると強く発光した。甦りの魔法陣が他の2つよりも明るく発光して点滅すると3つの魔法陣がコピーされたように上部に浮かび上がった。
上部の魔法陣がゆっくり回転を始めた。冴島が手を離すと上方の魔法陣の中心部分に吸い寄せられるように愛梨の身体が浮かび上がった。
複数人を同時に甦らせるならば、複製した魔法陣を大きくして影響範囲を大きくしてその影響下に対象者を配置すれば良い。だが、今回は初めての甦りの術であり、確実に成功させるために冴島は慎重を期して丁寧に術を制御した。
甦りの魔法陣の光が膨れ上がり膨張していくと、魔法陣ごと愛梨の身体を包み込んだ。
広がった光が収縮を始め、中央部分に収束していくと魔法陣と共に光は消え失せた。宙に浮いた状態ですぐさま愛梨の損傷した肉体が修復され始めた。次元鏡像の情報をもとに、損傷した肉体が瞬時に再生されていく。遺伝子からの再生ではなく、最後に保存された次元鏡像から再生されるため、修復は瞬く間に完了した。まるで時間を逆回しにしているかのように骨や筋繊維が再生され、血などの体液までも造り出されていった。心臓の拍動が開始され、酸欠により損傷した脳細胞も修復を終えた。
青白かった愛梨の顔に血の気が戻っていった。
蘇生が完了した愛梨の身体がゆっくりと空中を降りていくと、地面へ静かに降り立ち、仰向けに横たわった。
石巌が殺した精霊使いの肉体が瞬時に修復されていくのを見て、村雨は驚愕した。
「自分以外でも生き返らせることができるのか……?」
その言葉を聞いて冴島はぶっきらぼうに言った。
「お前たちは蘇らせたりしないがな」
甦りの術で蘇生された愛梨は目を閉じて眠っているようだった。自分と同じように少し経ったら目を覚ますだろう。だが、その前に冴島にはやることがあった。
愛梨には村雨から情報を聞き出すところを見られたくなかった。
冴島は半透明の薄墨色の棺桶の中にいる村雨に近づいていった。
「休憩時間は終了だ……言う気になったか? 武尊はどこにいる? 目的は何だ?」
自分との絶対的な力の差を突きつけられ、迫る自身の死を予期して村雨は絶望の中にあった。
……この男の質問に答えれば命だけは助かるのか、そんなことは関係なく殺されるのか……
言うべきか悩んでいる村雨を見て、念動力で左腕の上腕をへし折った。
絶叫と悲鳴と雄叫びが入り混じったような、およそ人間とは思えない声を村雨はあげた
耐えられない痛みに苛まれながらも村雨は歯を食いしばって痛みに耐えようとしている。どう見ても限界を超えていそうだったが村雨は喋ろうとしない。
「もう一本折るか? それとも脊髄の方がいいか?」
そう言いながら無事な右腕の上腕を同じようにへし折った。
限界を超えた壮絶な痛みに、村雨は白目を剥いて泡を吹いた。
冴島は潮時だと思った。これ以上痛みを与えたら精神が崩壊してしまうからだ。
冴島は傷を治癒させ、過敏になった神経を元に戻してやった。
「喋る気になったか? 言わないと次はもっと痛いぞ」
言わなければ常軌を逸した激痛以上の痛みが待っていると聞かされ、村雨は観念した。
「武尊様は……霊牟璃堊に行った。それ以外は俺には知らされていない」
「レイムリア? どこだ、それは」
村雨が言う前に頭の中で擬似人格の宿禰が応えた。
【南極というところだ。霊牟璃堊は南極にある動態保存された遺跡のことだ】
《南極? あんなところに何をしに行ったんだ?》
【頭の中にある記憶はすべてお前のものになったんだ。村雨に聞くか自分で調べろ】
《魔術と魔法の知識に付随した知識や記憶しかコピーされてないだろ? 大地くんの頭の中を調べたってたいしたことしかわからないぞ》
【それは俺も一緒だ。記憶に存在しない霊牟璃堊の詳しいことは姉様か綿津見に聞け】
《それもそうだな》
「南極に行ったというのはわかった。陽動まで使って、霊牟璃堊に何をしに行った?」
「知らない……」
……南極は平和利用が建前になっている。各国の軍が配備されているという話も聞いたことがないな……
冴島は質問を変えた。
「各国の都市で同時に惨跛の術を使ったのはなぜだ? 霊牟璃堊に行くまでに見つからないようにか? お前たちの科学力や魔術を使えば見つからないように霊牟璃堊に行けただろう」
「それは……」
村雨の反応を見て、少なくとも作戦の序盤までは把握していると冴島は悟った。
「惨跛の術は解析済みだ。ここで術を使ったのはお前だというのはわかってる。世界中で同時多発的に術を発動させたのはお前か?」
術をかけたのが村雨がかけたというのはブラフだった。だが、村雨が使った術だという確信はあった。
「この国以外は、1人の術者がやったはずだ……」
「そいつは何者だ?」
「知らない……一緒に地上に来た仲間の中にはそんなことをできる者はいなかったはずだ」
疑問が増えていった。
……宿禰が俺たちに魔法をかけたように、地下から惨跛の術を使った奴がいるのか?……
「惨跛の術に期限をつけた理由を言え」
「知らない……30日間で解除されるように指示されただけだ」
「30日間でなにをやろうとしている?」
「俺たちは知らされていない……」
ふと、先に村雨に質問した答えが浮かび上がった。1ヶ月と言う期間、そして霊牟璃堊がある南極大陸。
……帝の門からの移動時間だけで1ヶ月もかかるはずがない……
湊大地の目つきが鋭くなる。
「惨跛壱式の被害で各国の軍が身動きできないようにするためだな?」
冴島は前に踏み出して村雨に近づくと、薄墨色の牢獄に手を突っ込んで村雨の胸ぐらを掴んだ。
「遺跡を起動するための時間稼ぎか? 惨跛の術で地上の軍隊が来られないようにしたんだな?」
「知らない。自分の任務以外は知らされていない」
「霊牟璃堊はどんな遺跡なんだ? なにをしようとしている?」
村雨は叫んだ。
「本当に知らないんだ!」
これ以上問い正しても村雨は何も言わないだろうと冴島は判断した。
村雨が嘘を言っているようには見えなかったが、ハイそうですかと引き下がるわけにもいかなかった。
「仕方ない、答え合わせするしかないな」
そう言って、冴島は村雨の記憶を直接調べることにした。
今回は[絶戒の牢獄]で逃げられる心配はない。
村雨に魔法をかけて質問しながら記憶を調べていく。記憶を直接調べても村雨は霊牟璃堊に行くということしか知らなかった。惨跛の術に関しても命令以外知らないようだった。
「仕方ないな。じゃあ、お前は用無しだ」
痛みによる拷問で肉体だけでなく精神まで極限に疲弊した村雨は、憔悴しきっていた。絞り出すような声で冴島に助命を乞うた。
「命だけは助けてくれ……」
「質問に答えたら助けてやると言った覚えはない。それに、お前のところの王様には全員殺せと言われているしな」
「助けてくれ、頼む……その精霊使いは生き返ったんだろう?」
今は地面に横たわり、寝ているような愛梨の方を横目で一瞥すると、冴島は言った。
「助かったのは俺の魔法で、だ。お前が助けたわけではない」
村雨は茫然自失という表情でつぶやいた。
「地上の法術師は蘇生術まで使えるのか……なぜ、こんな奴と戦う羽目に……」
「喧嘩を売った相手が悪かったと思いながら、先に死んだ仲間の後を追うんだな。それから、魔法使いと言え。俺はそれが気に入ってるんだ。」
「頼む……退屈な見張りといわれただけなんだ」
「惨跛の術で恐怖と絶望を感じながら何人が悲惨な姿で死んだと思ってるんだ? 自分だけ助かろうとするな」
「…………」
「お前の死は無意味じゃない。死んでから俺の役に立ってもらう」
冴島は右手を前に突き出して、広げた掌を握り込んだ。
村雨を大の字で包み込んでいた薄墨色の棺桶のような物体が収縮を始めた。
初めて使う魔法だからこうやらないと潰れるイメージがし辛いな、と冴島が思っている間に村雨の絶叫と共に肉体は超高圧の力によって押し潰され、跡には赤黒く光った宝石のような丸い玉になって宙に浮いていた。冴島はその宝石のような玉を指先でつまむと陽の光にかざした。
「王家の秘術というだけあって、エグい魔法だな」
そう言って戦闘服のポケットにさっきまで村雨だったものをしまった。
仁徳天皇陵と帝の門を破壊しないように気をつけたつもりだったが、周囲を見回すと光の龍の発する超高温で木々が燃え始めていた。
「水で消火させるか……」
魔術文が飛び交うと、薄青い光が上空に駆け上っていく。
大降りといわれるぐらいの雨が周囲に降り注いだ。
「魔術ならそこそこつかえるんだがなあ……」
大量の雨は冴島と愛梨がいる空間を避けるようにして降り注いだ。雨は燃え移った炎を消し、仁徳天皇陵の堀を目指して流れていった。
冴島は、目線の先に浮かんでいる超小型ドローンに視線を向けた。
「綿津見、見てるんだろう? 任務は完了した。空間接続のゲートを作ってくれ。後片付けは頼むぞ」
すでにエネルギーのチャージが済んでいる天岩戸によって空間接続のゲートが目の前に開いた。
「忘れるところだった。惨跛の術を解除していかないとな」
冴島は、探知魔法で魔術陣の場所を特定すると、術を解析した。予想どおり、村雨の術だった。冴島は魔術陣を解除すると同時に、その魔術陣から周囲へ広がっていた惨跛の術も消し去った。
これで周囲の惨跛壱式と弍式は無効化され、生きている人々の脳内で発動を待っていた術も消えるはずだ。
雨の空白地帯で、冴島は愛梨の顔にかかったほつれ髪を顔から避けてやった。そして愛娘を抱き上げて言った。
「さあ、友達が待っているところに帰ろう」
冴島は瀬織津につながる空間接続ゲートに入っていった。
ゲートをくぐる時に、冴島は愛梨の喉の皮膚の下が束の間薄黄色く光ってから消失したのを目撃した。
それは、自分の胸に現れた現象と同じだった。
*
加多弥は冴島が愛梨を甦らせた映像を見て、宿禰に問いかけた。
「自分以外の人を甦らせることまでできるの?」
「甦りのみを他者にかけることはできます。ただし、不老不死の術がかかっている者しか発動させることはできません」
「冴島さんしか使えないというのを喜んでいいのか、わからないわね……ところで、あなたは倫理的に甦りの術のことはどう思ってるの?」
「自然の摂理からは外れていますね。禁忌の術と言われるだけのことはあると思っています」
「あなたは本当に不老不死の術を自分にかけることはしないのね?」
「全く興味なんてないですよ。生物の命は有限だからこそ有意義で素晴らしいものなんです。ですから、不老不死も死んだ者を生き返らせることも私は反対です」
「そう、よかった……」
言いながら白々しいと宿禰は思ったが、こういう答えを姉が待っているのを宿禰は知っていた。
宿禰は、国王として居続けるための不老不死になど興味はなかった。だが、魔導師としては、禁忌の魔法を完全に否定できずにいた。
加多弥との通信を切ると、宿禰はそばに控えている男性タイプの人造人間に声をかけた。
「建御名方、お前はどう思う?」
「加多弥様は武尊様の目的地が霊牟璃堊だと、今でも思っているでしょう」
「王太子の権利を剥奪された弟が不憫だったのと、不満分子を国から一掃するのが目的だったんだろうな」
「はい、宿禰様と武尊様のために、加多弥様が計画した可能性が非常に高いです」
「だが、父王を殺害して本物の遺跡の鍵を盗んでいくとは思っていなかったということだな」
「しかも、よりにもよって古の盟約がある地上とは……」
「ああ、他にも行くところはいくらでもあるんだがな……今まで計画していたことが無に帰すところだ」
「加多弥様の想いを利用した者がいるはずです」
「そうだろうな。無能な武尊では無理だ。あいつは国を出ることは本意でなかっただろうが、姉様の願い通りに行動したはずだ。だが、そそのかされて計画を変更したということだ」
「武尊様はどこにいらっしゃるとお思いですか?」
「俺が一番行って欲しくない場所だろうな。お前だったら予測済みだろう?」
「動態保存されている遺跡の中で、一番確率の高い場所は鉾宇です」
「俺が武尊をそそのかした奴だったとしても、鉾宇に行こうとするだろうな。そのあとはどうする?」
「情報が少なすぎて、これ以上は予測不能です」
「綿津見だったらわかっていると思うか?」
「現地にいるからには私以上の情報を持っているはずです」
「迂遠な言い方をするな」
「彼女は試作体ですが、私とほぼ同一の設計思想で造られています。宿禰様の考えていらっしゃるように、綿津見なら、その後の武尊様の行動まで予測しているでしょう。しかし、加多弥様から問われない限り、自ら口にすることはないかと」
「綿津見が姉様のところに行った経緯を考えると、そうかもしれないな」
宿禰の言葉に建御名方は反応しなかった。
「ところで……冴島陣だけに任せておいて良いのですか?」
「仕方ないだろう? 忙しい俺の予定に合わせて計画されたんだ。制限のある時間の中、出来たのは冴島と湊を入れ替えることだけだったんだ。それに俺が地上に行くわけにもいかないからな」
「失礼いたしました。おっしゃる通りです」
着席している机の上部に浮かんで表示されているモニターを見て宿禰が訊ねた。
「そういえば、武甕槌と月夜見はどうなっている?」
「最終検査中です。その後、試運転を実施します」
「素戔嗚は?」
「最新の制御脳の換装と韴霊剣との連携調整を残すのみです」
宿禰は思い出したように重ねて確認をした。
「月夜見の外装変更はどんな感じだ?」
「ご指示通りに……しかし、あれでよかったのですか?」
「構わない。どうせ奴の目には触れないからな」
「あまり良い結果にならないと思いますが……」
「その時はその時だ、お前が気にする必要はない……さて、奴が姉様を利用した連中を片付ける過程でどう成長するか……」
国王にのみ相伝される秘匿の術を冴島に知られるとは思っていなかったが、それはそれで冴島の能力が高くなり目的の達成につながると、宿禰は心の中でほくそ笑んでいた。
……冴島陣、お前は機転がきいて想像以上に使えるじゃないか。期待しているぞ……




