第39話 二つの大切なもの
卵型の大きなキャノピーを開くと、ヒダカは一瞬手を止めた。昔ネットの動画やフィクションの中で見たような戦闘機のコックピットが目の前にある。辛うじて分かるのは中央にあるモニターと指示を出すであろうパネル、あとはハンドルらしきものくらいで、残りのボタンやスイッチの用途はさっぱり分からない。
「自動操縦だと言っているだろう。いいからさっさと乗り込め」
「分かってるよ、ンなことは!」
苛立った様子の兄に反論しながら、ヒダカは狭い座席に体を滑り込ませた。刀状の武器の収まりに困って、しばらく身をごそごそと動かす。
「ああ、ヒダカ。狭くて悪いが、普段ダイブするときと全く同じ状態で乗り込んでくれ」
「それは――ヘルメットもして酸素ボンベも背負えってことか?」
そうだ、と頷いたレイジャーは、少し気まずそうに頭をかく。
「さっきも言ったが、この機体は完全体じゃねぇ。彩雲まではとてもたどり着けないだろうよ。だから、今から説明するこの操作だけは覚えとけ。パネルに次の指令を入力すると、パイロットが外に放り出されるようになってる。緊急脱出機能だな」
「外に――」
ヒダカが僅かに体を強ばらせたのが分かったのか、レイジャーは黄土色の髪を気まずそうにかき回す。
「こうでもしなきゃ、天空鬼に取り囲まれた時、機体もろとも押しつぶされて食われちまうだろ? それを防ぐためだ。本来脱出には体に付加がかかるが、お前なら大丈夫だろ」
「とにかく、天空鬼が出現して取り囲まれたら、迷わず緊急脱出しろ。そこから先は、自力で目的地まで到達する必要がある」
時雨は眼鏡をズレを直すと、どこか恨めしそうな目つきでヒダカを見上げた。
「お前、ハーヴェイに何かを頼んでいただろう? それを使えば、行けるな?」
「何もかもお見通しってやつかよ、腹立つな」
ヒダカは口の端を引きつらせると、自分の左腕手首についた装置へ触れた。円形のバックラーのようにも見えるがそれよりも小型で分厚い。
訓練で何度か使っただけで、実戦経験はない。それでも。
「行ける。アイツのところまで、辿り着いてやるよ……!」
「よし、その意気だ! すぐに離陸準備だ」
レイジャーは歯を見せて笑うと、慌ただしく走り去っていく。
未だにその場に留まっている時雨とヒダカの視線がかち合う。ヒダカは視線を泳がせると、小さな声で告げた。
「あー、その……」
「お前がしおらしいと癇に障る。いいから、さっさとヘルメットをつけろ」
「――っ! テメェは本当に腹立つなぁ!」
目くじらを立てたヒダカは、やや乱暴にヘルメットを被る。シートベルトをつけると、キャノピーが自動で閉じて機体が回転を始めた。そして左へ鼻先を向けると、ゆっくりと前進を始める。
飛行機が滑走路へ向かう様子を思い出して、ヒダカの指先が僅かに震え出す。
機体は巨大な箱の中のような場所へ乗り込むと停止した。照明が点灯して周囲が見えるようになる。まるでジェットコースターのように、ダクトが斜め上へ向かって伸びていた。
『ヒダカ、数十秒後に機体は急加速して離陸する。強い衝撃が加わるから備えてろ。その後は、途中までならしっかりエスコートしてもらえるからよ。安心して、その後の戦闘に備えな』
『誰にも後悔させないと言ったな? 責任を取って全力を尽くせ』
時雨の声が、コックピットの中に響く。普段よりも熱を帯びた声色に、ヒダカの心臓はぎゅっと締め付けられた。
『言われなくても』
そのつもりだ。
スピーカーから、レイジャーが刻むカウントが聞こえてきた。ヒダカは両眼を閉じて、深呼吸をする。
『三、二、一……零!』
その瞬間、ヒダカは目を見開き息を止めた。機体がぐんと動き、背中を強くシートに押し付けられたような衝撃が加わる。胸が押しつぶされて、胃から何かがせり上がってきそうになるのをグッと堪えた。
『十三秒後、離陸しマス。衝撃に備えてくだサイ』
合成音声の淡々とした声が響く。やがて目の前に、黒々とした闇が迫ってくる。
開向かう先の夜空はまだ暗くて、ブラックホールに飛び込んでいくような恐怖と不安を掻き立てた。
左手首の装置に右手を伸ばし、ヒダカは祈るように目を伏せる。
たくさんの人に迷惑と心配をかけた。たくさんの人に我が儘を許してもらった。
その恩にどうか、報いることができるように。
『――行ってきます』
深い藍色をした空へ、ヒダカは飛び立っていった。
「よっし! 離陸成功! そのまま行けよ、頼むからなるべく持ちこたえてくれ」
目の前のレーダーには、上昇を続ける機体が白い点として映し出されている。レイジャーは管制室の中で、腕を勢いよく振り上げた。
レイジャーはふと、隣の時雨へ視線を向ける。彼は普段通りの無表情で、食い入るようにレーダーを見つめていた。
「結局、折れてやることにしたんだな?」
レイジャーが声をかけると、時雨はモニターに視線を向けたままで小さく肩を揺らした。
「――間違っていると思うか?」
「いいや。良いと思うぜ? 俺は初めから、タイクウのことはヒダカに任せりゃいいと思ってたからな。大体、普段からアイツらにはデカイ危険を背負ってもらってんだ。だったらこんな時くらい、俺たちがフォローしてやるべきだろうが。それに」
レイジャーは言葉を切ると、からかうような笑みを浮かべる。
「どうせ大将は弟には敵わねぇだろ」
「そう、なのか?」
時雨が眼鏡の鼻あての辺りに指を伸ばす。珍しく動揺している様子に、レイジャーは思わず口元を緩めた。
「そうだろ。だって、アンタが俺をスカウトしに来た時に言ってた『大切なもの』の片方は、弟のことだろ。そんな大事な弟が必死で頼み込んできたら、アンタは断り切れねぇだろうなと思ってたよ」
『何よりも大切なものを二つ、彩雲《向こう》に残してきてしまった。私はそれを絶対に取り戻す。だからどうか、力を貸してほしい』
「大将、そう言ってたもんな。それでこんな組織まで立ち上げちまって――『愛』だよなぁ。この調子でもう一つの大切なものも取り戻さなくちゃなぁ」
「くだらないことを言っている暇があったら不審な動きがないか警戒しろ」
驚くほど早口で告げられた言葉に、レイジャーは堪らず吹き出す。
不意に、モニターから白い点が消滅する。高度はおよそ三千から四千メートル地点。
残念だが、概ね予想通りだ。
「帰ってきたら、ソイツの乗り心地を教えてくれよ」
きっとヒダカなら、タイクウと一緒にここへ戻ってくる。本当は自分が飛びたかったが、仕方がない。ヒダカからの土産話を楽しみに待つとしよう。
レイジャーは自分の右の膝にそっと触れる。カーゴパンツ越しからでも、金属の冷たい質感が伝わってくるようだった。




