第40話 食らいつけ
『ぐ……』
体にかかってくる圧に、ヒダカは思わずうめき声を上げる。戦闘機は加速を続け、わたあめのような雲が恐ろしいほど早く後方へと流れていく。
タイクウの背中に乗せてもらった時も速かったが、やはりあれは自分の体のことを考えてスピードを緩めてくれていたのだろう。
自動操縦により、機体は一直線に上空へと向かっていく。乗り心地はあまり良くないが、レイジャーたちが自分を導いてくれているようで心強かった。
順調に思えた飛行から突如、危機を告げる合成音声が鳴り響く。ヒダカは顔を上げ、目の前の藍色の空に混じった黒い塊を見据えた。
音速にも近い速度で飛ぶ戦闘機と、急降下してくる天空鬼。一瞬のうちに両者の距離はゼロになる。
現在の高度は三千メートルを少し越えた辺り、できるだけ上へ行きたいが限界か。
『緊急脱出プログラム発動。脱出します』
瞬時にキャノピーが開き、ヒダカの体が宙に放り出された。
そのままトップスビードに乗った機体が、大きく開いた天空鬼の口の中へと飛び込んでいく。何かが潰れる嫌な音が響いた。何体かの天空鬼の体を押し潰しながら、機体が僅かに上昇を続ける。
しかし、久しぶりのご馳走に湧く天空鬼によって、機体はすぐに取り囲まれ補食されていく。
千切られ咀嚼される派手な音が、ヒダカのヘルメット越しに響いてくる。
その時、機体に群がるうちの何体かが、こちらを振り返った。獰猛な光の宿った瞳が、落下するヒダカの姿を捉える。
『っ! そりゃ、気づくよなぁ!』
急降下してくる天空鬼に対し、ヒダカは右手に光線銃を構え引き金を引いた。彼の銃撃は、敵の眉間や心臓、おおよそ急所と呼ばれる箇所を的確にとらえていく。光線銃にはアタッチメントを装着し、余分な敵まで倒してしまわないよう細心の注意を払った。
ヒダカは仰向けに落下しながらも、素早く視線を巡らせる。向かってくる天空鬼よりも僅かに上空、機体を食い、こちらに背を向けている一体の天空鬼へと目をつけた。
『アイツだ……』
ヒダカは、左腕を高く掲げる。左手首には、レイジャーが作ってくれた装置が鈍く銀色に輝いていた。
『落とされてたまるか、どんなものを使ってでも、這い上がってやるんだよ!』
吼えると同時に、ヒダカは左手首の装置を作動させた。装置から真っ直ぐ天に向かって放たれたのは、一本のワイヤーである。ワイヤーの先につけられた五本の爪が、ガッチリと天空鬼の肩口を捕えた。
この爪に殺傷能力はない。しかしヒダカは、犬歯を見せて笑う。
『――っしゃ』
次の瞬間、彼の左腕がグンと強く引っ張られる。伸びたワイヤーが装置の中に巻き取られ、ヒダカの体はその勢いで宙を舞ったのだ。
翼がないヒダカは、飛ぶことができない。いつもならばあるはずの、タイクウのサポートもない。
ならば、敵すらも利用して、文字通り這い上がってやるまでだ。
ヒダカはくるりと身を翻すと、敵の翼の根元をつかむ。異変に気づいた天空鬼に振り落とされる前に、ヒダカは更に上空にいる敵へと狙いを定めた。
二度目のワイヤーが放たれ、ヒダカの体は再び上空へ移動していく。その間、向かってくる天空鬼は、右手の光線銃で撃ち落としていった。
敵の背に到達するが、今度は手頃な位置に敵がいない。こちらへ向かってくる敵は何体かいるか、どいつもこいつも近すぎる。
ヒダカは内心舌打ちをすると敵の背を思い切り蹴りつけて跳び、迫りくる天空鬼に向かって一発、引き金を引いた。
出力を調整し威力を増した攻撃は、天空鬼の上半身を吹き飛ばす。大きく空いた風穴の向こう側に、ちょうど、こちらに背を向けている敵がいる。
ヒダカはそれに向かってワイヤーを伸ばし、再び宙を舞った。
心臓は激しく脈を打ち、必死で彼の脳に酸素を送る。頭の血管が焼き切れそうだ。一瞬でも判断を誤れば落とされ、捕食されてしまう。
幸い極限の緊張が、逆にヒダカの頭をクリアにしてくれた。
エネルギー残量が心もとなくなってきて、ヒダカは光線銃を刀に持ち変え、伸ばされた敵の腕を切り落とす。その隙に、再び上に向かってワイヤーを伸ばした。
ところが焦って放たれたワイヤーは、敵の正面、胸の辺りに向かって伸びていく。天空鬼の口が笑うように弧を描き、敵はヒダカのワイヤーをあっさり手のひらで受け止めた。
そのまま、ヒダカの体を手繰り寄せるように、ワイヤーを強く引く。
『釣りじゃねぇんだぞ、くそっ』
凄まじい力で、ヒダカの体が一気に引き寄せられていく。天空鬼が口を大きく開いているのが見える。向こうはヒダカがそのまま口の中に飛び込んできてくれることを期待しているらしいが、思い通りにいってたまるか。
ヒダカは刀を逆手に持ち替え体を捻ると、敵の鼻先に深々と刃を突き刺した。刺された敵は耳障りな悲鳴を上げ、青色の液体を撒き散らす。
その手からワイヤーが溢れ落ちると、ヒダカは真上を飛行していた敵へすかさずワイヤーを伸ばした。
どこまで上ってきたのだろう。感覚は曖昧になり、繰り返す戦闘には終わりがないような気がしてくる。
それでも地上に落ちることだけはと、ヒダカは食らいつき続けた。
喉が渇いて、喘ぐように息を吐く。避けきれなかった敵の攻撃で、スーツが所々破れている。ヘルメット越しであるはずなのに、生臭い鉄のような香りが鼻についた。
けれど、どんなにボロボロでも無様でも構わない。一生、消えない後悔を負うくらいなら。
ヒダカは手の甲で、ヘルメットのシールドについた血を拭う。
『ぜってぇ、負けねぇ……!』
再びワイヤーを放って、ヒダカは宙へ舞い上がる。不意に自分の真横を、頭から血を流した敵が落ちていく。
ヒダカは息を呑み、上空を見上げる。吸い寄せられるように、その姿へと目が留まった。
『あ――』
姿形は他の天空鬼と変わりはないけれど、すぐ彼だと分かった。
ほら見ろ。あんな泣きそうな化け物がいるか。
ヒダカは犬歯をこぼしながら笑うと、大きく息を吸った。
敵の天空鬼の拳がタイクウへと振り下ろされる。手首を掴み拳を受け止めると、タイクウは膝を曲げて敵の腹に強烈な蹴りを叩きこんだ。
まともに衝撃を食らった敵が、口から液を吐き出してよろめく。
その隙にタイクウは、自分の腕に噛みついてくる敵を避け、下顎を狙って拳を振り上げる。固い感触と鈍い音と共に、敵が青い血液を撒き散らして仰け反った。
その瞬間、タイクウは肩口に激痛を感じて一瞬動きを止める。
『――っ、いっ⁉』
反射的に腕を回して、痛みの元をわしづかむ。握る手に力を込めて、力任せに引き剥がした。
更なる激痛が走ったが、自分の肩に噛みついていた敵は、頭から血を流しながら下の方へ落ちていく。
慌てて確認するが、背負った装備も桜からの手紙が入った荷物も無事である。荒い息を吐きながら、タイクウは安堵した。
戦闘を始めてから、一体どのくらいの時間が経っただろう。全身は酷く痛むし、頭も酸欠でくらくらしている。けれど敵は途切れることなく、次から次へとタイクウに襲いかかってくる。
振り下ろされる腕を避け、爪を立てて右腕を振り下ろす。しかし、敵の腕を切り落とすつもりで下ろした腕は、引っ掻き傷のようなものをつけただけで大きく外れてしまった。
途端、全身が重くなりどっと徒労感が押し寄せる。
疲れた。もう良いんじゃないか。
そんな考えが頭を過り、タイクウは慌てて頭を振った。
『駄目だ』
いつか人でなくなってしまうなら、それまでの間に自分ができることをすると決めたのだ。
天空鬼がタイクウの隙をつき、左腕に噛みついてくる。反射的に動いた右こぶしが敵の顎を強く打った。
食いちぎられることは免れたものの、左腕からは青い血が垂れてきている。
『生きて、地上へ戻って、皆に希望を繋ぐんだ。桜さんの手紙だって、届けてない……っ』
空を埋め尽くしていた敵は、思ったほど減った様子はない。タイクウは、肩で息を吐きながら周囲を見回す。絶望が、彼の体に重くのしかかる。呑まれるなと、タイクウは歯を食い縛って拳を構えた。
『ヒダカ……』
無意識に、彼の名前がこぼれる。
ここまで、心を奮い立たせて戦ってきた。一人でも十分戦える。
けれど、自分が後ろを向いてしまった時、俯いてしまった時に発破をかけてくれたのは彼だったから。
タイクウの口元に苦笑が浮かぶ。
『馬鹿だなぁ、僕』
自分から手を離したくせに。今、こんなにも、君がいないことを後悔しているなんて。
天空鬼がタイミングを合わせたように、一斉にタイクウへと群がってくる。思わず目を閉じたタイクウの耳に、声が届いた。
『タイクウゥゥゥゥゥ――っ‼』




