第38話 彼の選択
「っ、まだ、お前はそんなことを」
聞いてくれと懇願するように、ヒダカは首を振る。自分と同じ黒檀色の瞳を、願いを込めて真っ直ぐ射抜くように見つめた。
「タイクウはいつも他人のことばっかで、他人のために自分がどうなったって後悔なんかしねぇんだ。俺はそんなアイツのことをすげぇって思ってたけど、同時になんか怖かったんだ。昔はその『怖さ』を上手く説明できねぇで、失敗もたくさんしちまった。だから、ってわけじゃねぇけど」
ああ、やっぱりどう足掻いても、これは自分のエゴかもしれない。
そう思ってもヒダカは、言葉を紡ぐことを止めなかった。
「だな。何より、俺がそうしてぇんだ。アイツを化け物に変えちまった罪悪感とか責任とかだけじゃなくて、放っておいたらすぐ消えちまいそうなアイツの代わりに、俺がアイツを生かす選択をしてやりたい。してやるって決めた。だから」
そっと時雨の手を離し、ヒダカは大きく息を吸った。
「アンタの気持ちを無視してることも、アンタに無理をさせてることも分かってる。だけど、それでも頼みたい……っ」
この選択は、タイクウの決意とも兄の気持ちとも相容れないものなのかもしれない。
自分はどこまでも、自分勝手で我儘だ。
それでも。
「約束する。もう、簡単に死ぬなんて言わねぇ。俺の命もタイクウのことも諦めねぇ。いつか、タイクウにもアンタにも、他の全員にも『この選択が最良だった』って言わせてやれるように足掻く、から。だから、頼む。もう少しだけ、アンタたちに迷惑と心配をかけさせてくれねぇか」
そうして、兄に深々と頭を下げた。
静寂が再び二人を包む。時雨が息を吐く音に、ヒダカの肩が大きく震える。
その時、廊下の奥から慌ただしい足音が響き渡った。
「ボス! こんなところにいらっしゃったのですか! ――あれ、ヒダカさんも?」
駆け寄ってきたのは、ココだった。焦った様子の彼女はヒダカを見て、一瞬不思議そうに瞬きをする。
恥ずかしいような気持ちになって、ヒダカは思わず彼女から視線を逸らした。
「何があった。騒々しい」
「あ、はい! 監視していた山脈の氷河を割って、天空鬼が多数出現したそうなのです! カメラも壊され、動向が追えないと」
「は? なんでンなところから天空鬼が」
「昨今の異常気象の影響か……⁉」
ヒダカの疑問の声に被せるように、時雨の吐き捨てるような呟きが響く。
すぐに冷静な表情を作った時雨は眼鏡のブリッジに触れると、ココに低い声で問いかけた。
「それで、被害状況は?」
「今のところはありません。地上の方に『はぐれ』も出たそうですが、全て消滅したと報告がありました。ただ、おびただしい数の個体が上空に逃げたとの報告がありまして」
「上空に?」
ヒダカは大きく目を見開いた。胸がざわつき、心臓が不安で大きく鼓動を刻む。
ココはヒダカの様子を気にしながら、口を開く。
「はい。それで、本日戻られるはずのタイクウさんが、予定時刻を過ぎても戻ってきていません。上空の観測データによりますと、現在高度四千から五千メートル付近に天空鬼が密集しており、データを解析した限りでは恐らく――『タイクウ』さんが、そこで戦っていらっしゃるだろうと」
それを聞いた瞬間、ヒダカは反射的に廊下を駆けだしていた。
「待て! どこへ行くつもりだ」
「どこって、ンなこと決まってんだろ⁉」
ヒダカは勢いよく振り返り、噛みつくように叫ぶ。時雨は大股でヒダカに近づいてきて、冷静な眼差しでヒダカを見下ろす。
「質問を変える。どうやって、お前はそこへ行くつもりだ」
「どうやってって――ンなこと、分かんねぇよ! 分かんねぇ、けど、このまま大人しくなんてしてられねぇよ!」
タイクウが戦っているのに、空を飛ぶことができない自分は指をくわえて見ているだけだというのか。
ヒダカは爪が食い込むほどに拳を握りしめた。
沈黙が薄暗い廊下を満たし、やがて時雨が深々とため息を吐く。
「ブラウ。担当者には、そのまま監視を続けろと伝えてくれ。ヒダカ。お前は私に着いてこい」
「は?」
時雨はヒダカに視線を送ると、そのまま背を向けて足早に歩き出してしまう。ココはそんな時雨に一礼をして、来た方向へと早々に引き返してしまった。
戸惑いながらも、ヒダカは時雨の後を追う。
「お、おい。着いてこいって……なんなんだよ?」
「来れば分かる」
時雨はエレベーターに乗り込むと、地下三階へのボタンを押す。ヒダカが一度も足を踏み入れたことのない場所だ。
慌ててヒダカもそのエレベーターに乗り込む。ゆっくりと箱が動き出す中、ヒダカは時雨の背中を不思議そうに見つめた。
「話は、到着してからする」
時雨が淡々と告げた瞬間、エレベーターが目的地に到着した。扉が開いた瞬間現れたものに、ヒダカは思わず息を呑む。
まるで工場のような空間が、地下には広がっていた。そしてその中央には、武骨な両翼を広げた黒々とした機体が眠るように鎮座していたのである。
「飛行機……? いや、戦闘機か? なんでンなとこに」
「お? 大将か、どうしたこんな朝早くに――って、ヒダカじゃねぇか」
「レイジャー?」
機体の背後からひょっこり顔を覗かせたのは、レイジャーだった。作業着を身に着け、額には汗が滲んでいる。
時雨はレイジャーに近づくと、飛行機に視線を投げかけながら言った。
「ハーヴェイ、すまない。これの出番がきたようだ」
「あー、はいはい。なるほどなー。待ってろ、すぐに準備してやる」
一瞬、鳩が豆鉄砲を食ったような表情をしたレイジャーだったが、すぐに納得したように頷いた。
なんだか時雨とヒダカを交互に眺め、揶揄うようにニヤニヤしている。
「どういうことだよ? どうして飛行機がここに」
「ハーヴェイの協力の元、開発を続けていた航空機だ。かつて軍で使われていたものと同様の機体性能と、カメラや各種センサー、AI制御による自動操縦を搭載している。まだ彩雲まで安全に飛んで行けるだけの機能は備わっておらず、実用化には至っていないが」
「まぁ、途中までならなんとかなるだろ」
レイジャーがそう言って、ヒダカの肩を叩く。まだ上手く状況が飲み込めず、ヒダカは目を白黒させた。
「お、俺がコイツに乗るのか?」
「さっきからそう言っているだろう」
「いや、言ってねぇよ……」
ヒダカは機体に一歩ずつ近づいた。ロケットのような形をした機体は黒々と輝いていて、ヒダカの呆けた顔が映っている。昔見ていた「戦闘機」が、目の前にある。
なんだか現実味のない光景だった。
「レイジャー、こんなモンまで作ってたのかよ」
「ああ。若い頃の俺が乗り込んでいた機体の再現だ。当時の設計者と連絡をとるのは苦労したぜ」
「『俺が乗ってた』?」
ヒダカはその言葉に引っ掛かりを覚え、レイジャーの顔を見つめた。昔を懐かしむような、少し寂しげな表情で、レイジャーは頭をかく。
「おう。俺は昔、戦闘機に乗ってたんだよ。で、まだ天空鬼が現れたばかりの頃――アイツらを倒すために仲間と一緒に空を飛んだんだ。結果は知っての通りだな。仲間は全員空の彼方に行っちまったのに、幸か不幸か俺だけ羽を捥がれて叩き落されて、地上に取り残されちまったよ」
レイジャーはおどけたように肩をすくめ、自分の右膝に軽く触れる。
そう言えば、レイジャーはいつも足を引きずるような独特の歩き方をしていた。その原因が分かった気がして、ヒダカは息を呑む。
「だからよ。地上に取り残される辛さは、誰よりも分かってるつもりだ。思いっきり暴れてこい!」
ヒダカはレイジャーを見つめて、時雨に視線を向けた。兄の表情は変わらない。けれどその瞳が、早くしろとヒダカを急かしている。
ヒダカは姿勢を正すと、二人に向かって深々と頭を下げた。




