119.騎士隊長の眠れない夜
短いですが…。
月明かりだけが、静まった演習場を青白く照らしていた。
そこに、シュッ!と鋭い風切音が響く。
騎士団一番隊隊長テオは一人で模擬剣を振っていた。いつもと変わらない無表情、その瞳に宿る感情は読み取ることが出いない。だが、振るわれる剣筋はいつもよりわずかに重く、鋭すぎた。
「……またそんな顔して。夜中に自分の筋肉と会話するのが趣味か?テオ。」
背後から少し軽薄で、けれど聞きなれた声が響く。そこには、騎士団二番隊隊長レシがいた。片手にはいかにも高そうな酒瓶を二つぶら下げている。
「なぜ、来た?」
「その邪魔するなっていうオーラ、他の騎士なら失神してるぜ?間違えても新兵には向けるなよ?」
「…。」
レシは近くのブロックに腰を下ろすと、器用に酒の栓を抜いた。芳醇な香りが夜の空気に広がる。それに、テオは眉を顰めた。
「聞いたぜ。アヤメ嬢、イスラ王国に半年間の留学だってな。」
その言葉にテオの手が一瞬だけ止まった。それをレシは見逃さない。
「……。」
本当はあの日、アールツト侯爵家に訪れた時に知っていた。イスラ王国に留学することも、その期間も、そして、アヤメがアルシナシオン島という人類未踏の地へ行くことも。
「……お前の気持ちくらいお見通しなんだよ。」
気持ちがこんなにも波打っていて、今まで感じたことのない焦燥感に駆られている。それを何とかしたくて、鍛錬をしていたが気が付かれていたか…。こいつは昔から、俺の気持ちや考えを見透かすのがうまかったな。
何も言わずに視線も合わせないテオにレシは酒瓶を差し出した。
「…いらん。」
「いから、飲め。」
「演習場で飲酒など…オッド団長に見つかったら、謹慎処分だぞ?」
「そこは、バレなきゃいいんだよ。」
レシは歯を見せてニカッと笑う。これが最年少で騎士団隊長になったエリート騎士の本当の姿だと、知っているものはこの騎士団い名人いるだろうか?しばらく考えたテオは、無言でレシから酒瓶を受け取り、一気に煽る。喉を焼くアルコールの刺激も、胸の奥に燻るざわつきを消すには至らなかった。
「イスラには、あの黒将軍…ユザキ殿がいらっしゃる。…あの人、アヤメ嬢の帰国の時にあんなことしたもんな。」
「………。」
レシの言葉に一瞬だげ、あの時の事を思い出しそうになったが、テオはすぐさま考えを消した。こんな不安定な状態で、あの時の事を思い出したらこの周辺を焼け野原にしてしまいそうだ。そうなったら、今度こそ、団長から鉄拳制裁と処分を受けるだろう。
「『黒将軍』の異名を持つ英雄。強くて、不敵で、女の扱いにも手慣れていて、アヤメ嬢に想いを寄せている。そんな男がいる場所に、半年もアヤメ嬢を預けるなんて。……あー、心配だなぁ!」
レシはわざと肩をすくめた。テオの拳が、模擬剣の柄をミシリと鳴らす。
「……彼女が決めたことだ。侯爵夫人の師の元で、イスラ王国で学問を修めるのは、彼女の願いだ。」
そして、アルシナシオン島でエルフたちを救うことも。
テオがゆっくりと肩の力を抜く。夜風がサラリと頬を撫でた。
ここ数日、クユル殿と鍛錬をしているようだが、その様子はクユル殿の希望で極秘とされているため見ることはできなかった。ただ、怪我をした新兵を鮮やかに救ったという話は耳に入っている。それも、今まで見たこともないような手法で……。
彼女はいつも先を歩いて行ってしまう。
平凡な自分が何度も追いかけて、手を伸ばして、やっと隣を歩くことができたと思っても、気が付けば彼女はるか前を進んでいる。
そんな自分が不甲斐なく、情けない。
ぼんやりと遠くに視線を映したテオにレシが一つため息を吐いた。
「本音を言えよ。行かせたくない、誰にも触れさせたくないってその顔に書いてあるぜ。」
テオは一瞬だけ瞼を震わせたがそのまま沈黙した。
否定はしたかったが言葉が出てこない。脳裏をよぎるのはアヤメの穏やかな微笑み。そして、それを当たり前のように向けられるであろう、圧倒的な武力と色香を持つ「黒将軍」の姿。
自分は王国の剣であり楯だ。入団した時からその意思は変わらない。しかし、彼女の為の剣に、守るための楯になりたいと強く願う自分がいる。そして、その楯は、彼女を縛り付けるためのものではない。……わかっているが、どうしても胸の奥が燻って、うまく処理できない。
「……俺は、アヤメに…何もしてやれない。」
「……。」
絞り出すように言ったテオの言葉にレシは口をつぐんだ。あの、人形の様だった男が、ここまで誰かを思い、変わっていることに嬉しさと驚きを感じ、無意識に口角があがる。
「いいか、テオ。半年なんて、俺たちの鍛錬に比べりゃ一瞬だ。だが、何もしなきゃその一瞬で全部持っていかれる。お前だけが、アヤメ嬢を思っているわけじゃない。少なくとも、彼女にだってお前を思う心はあるさ。半年の間、お前を思い出すようなものでも渡してやればいい。…お前はたくさんの物をもらっているんだろう?」
レシはそう言ってテオの肩を軽く叩いた。
「…今夜は付き合ってやるよ。酒が切れるまで、そのモヤモヤを剣と一緒に振り回してろ。」
テオは空になった酒瓶を見つめ、それから静かにもう一度模擬剣を構えた。
「レシ…。」
こいつはいつも俺を照らしてくれる。今も変わらない、俺の英雄だ。
「ん?」
「……。」
素直に礼を言いそうになったが、それはなんだか悔しくてテオは一瞬考えるように口を閉じてから、レシに視線を向けた。
「……酒を飲むくらいなら手合わせしろ。」
「ハハッ!…いいぜ。素直になれないテオの坊ちゃんの為に、俺が胸を貸してやるよ。」
「うるさい。」
レシは酒瓶を置いて、近くにあった模擬剣を手に取りテオを対峙する。
その表情は、楽し気であり嬉しさを滲ませていた。
この不器用な友の初恋がどうか実るように。
レシは静かに願い、地面を蹴った。
夜風は二人の騎士を通り抜けていく。
アヤメが旅立つまで、あと二日。
テオにとって、最も長く、短い夜が始まろうとしていた。
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