118.侯爵令嬢の特訓
よろしくお願いします。
★登場する医療記述、およびその他はすべて作者の想像であり、実在する物とは異なりますのでご注意ください。
「アヤメ嬢、また考えすぎだ。理屈で精霊は動かない言っただろ?」
クユル様が呆れたように羽を鳴らし、太い翼腕を組んだ。彼の鶏冠が不機嫌そうに伏せられている。
対する私は、訓練場の土の上に座り込み、泥だらけの手でこめかみを押さえていた。
「すいません、ですが今の説明じゃ抽象的すぎて…。『世界に流れる脈動を感じろ』なんて。もっと具体的な周波数とか、干渉する領域を教えていただけませんか?」
「しゅうはすう? ……うむ。やはり人間には難しい事なのか…?」
クユル様は私の目の前にしゃがみ込むと、鋭い爪の先で私の胸元を指した。
「いいか。君の中にも、この地面の下にも、水は流れてる。四大精霊の加護は、アヤメ嬢の意志を精霊に『翻訳』して伝える手段だ。君が『こうしたい』と強く願えば、精霊はそれに応えて形を変える。理屈じゃなく、血が沸騰するような感覚で命じろ。」
血が沸騰する感覚。……外科医だった前世の私なら、真っ先に高血圧や内分泌系の異常を疑うような言葉だ。
けれど、今の私は「魔法」という名の超常現象が存在する世界の住人。論理を捨て去るのではなく、論理の枠組みを広げる必要がある。
私は目を閉じ、深く呼吸を整えた。
吸気、肺胞でのガス交換、心臓のポンプ作用による全身への送血。
解剖学的に自分の体をイメージしていく。血管という名の網目、そこを流れる血漿、細胞を浸す間質液。
……待って。「水」の精霊なら、体内の水分すべてが干渉対象になるの?
私はクユルの言葉を自分なりに「翻訳」していく。
彼が言う「世界を流れる脈動」とは、自然界における恒常性の維持機能のことではないかしら?
「クユル様、もう一度やってみます。今度は『命じる』んじゃなくて、私の『循環』を広げるイメージで」
私は泥のついた手を地面に浸した。
先ほどまではただの「冷たい土」だった感覚が、徐々に変わっていく。
毛細血管の拍動を指先まで意識し、それを地面の下にある湿り気、すなわち土壌水分と同調させるイメージ。
私と外の世界を隔てる境界線を、透過性の膜にする……。
その瞬間、指先に「ドクン」と重い手応えがあった。
それは自分の心音よりもずっと深く、巨大な脈動。
「――っ、来たわ!」
意識を集中させ、地面の下にある水の流れを強引に吸い上げるのではなく、私の血流に合わせるように誘導する。
すると、私の周囲の地面から、キラキラと輝く細い水糸が噴き上がり、螺旋を描いて空中に浮いた。
「……ほう。細いな。」
クユル様が感心したような声を漏らした。
「…その感覚があればエルフ語で唱えなくとも、精霊は答えてくれる。その感覚を忘れるな。」
「はい!」
他の者がやれば、もっと激しい水柱が立つだろう。けれど、私の操る水は、まるで毛細管現象のように精密で、一滴の無駄もない。
「アヤメ嬢の精霊の使い方は、…まるで見えない糸で縫い合わせてるみたいだな。」
「……見えない…糸…。」
私は指先を動かし、水糸で小さな円を描いた。
これなら、術野を洗浄するのも、魔法以上の精度でできるかもしれない。
外科医としての知識と、精霊の加護。
交わるはずのなかった二つの力が、私の中で静かに噛み合った。
「流石、我が隊長の雛鳥だ。」
クユル様がに口角を上げて笑う。
私もまた、泥を拭いながら微笑み返した。
精霊の力の使役、訓練はまだ始まったばかりだった。
騎士団演習場の片隅で、この日も私はクユル様の訓練を受けていた。
「――次は『風』だ。空気を動かせ。見えない刃を作り、あそこの木偶を切り裂いてみろ。」
水の特訓の後、クユル様は私にさらなる過酷な訓練を課していた。彼の猛禽類の瞳は、私の反応を見極めるようにぴくぴくと動いている。
風……。空気の振動、気圧、そして酸素供給……。
前回の「水」での成功体験を胸に、私は再び医学的知識を総動員して「風」の精霊への命令を構築する。
クユル様が求めるのは「刃」だ。風を局所的に圧縮し、超高速で射出する。確かに、それは強力な武器になるだろう。
風の精霊を「刃」に…。
右手をかざして、風を凝縮するイメージを作り上げる。すると、私の周りに一陣の風が吹いて、やがて、竜巻のように手のひらの上に集まり鋭い刃物のような形を作る。
「放てっ!」
クユル様の声に反射的に動けば、目標の木偶は風の刃によって真っ二つに切れた。
「出来た!」
水の時とは違い、すんなりと出来たことに喜ぶ。しかし、二つに切り裂かれた木を見た瞬間、私はひらめいた。
私は、医者だ。
私が求めるのは、殺す力ではない。自衛のための力、そして救う力だ。
深く呼吸し、周囲の「空気」の存在を意識した。
窒素、酸素、アルゴン、二酸化炭素……。目に見えないが、世界を構成する最も基本的な要素。そして、自分なりのイメージを広げた。
それは「刃」ではなく「層」だ。
私の周囲にある、目に見えない微粒子……菌や塵を、すべて弾き飛ばす。
私が命じたのは、清浄な空間。前世の手術室にあった、あの「無菌状態」だ。
「……? 何をしてる?」
突然動きを止めた事に眉をひそめたクユル様が、私に近づこうとした。その瞬間、彼は奇妙な表情を浮かべて足を止めた。
「……なんだ、これは。この周りだけ、空気が……『清んで』いる?」
獣人であるクユル様の鋭い嗅覚が、私の周囲の「異常」を察知したらしい。泥の匂いも、鉄の錆びた匂いも、彼の体臭さえも。私の周囲数メートルだけ、一切の匂いが消え失せていた。
「風の精霊を、菌や汚れを遮断する『障壁』として使ってみました。これなら、どんな不衛生な場所でも、即座に手術ができます。」
あれは、カインとケインの手術の時だった。埃が舞う空間での手術など本来ならばあり得ない。あの時は、ああするしかなかったけど、これなら…!
私の言葉を聞いたクユル様は唖然とした後、声を出して笑った。。
「…フッハハ…君は、本当に…。風の精霊をそんなふうに使うのは初めて見たぞ。」
「私は医者なので殺すよりも救う方が性に合ってますから。」
「そうか…。それでこそ、アールツトの名を背負うものにふさわしい。」
それからクユル様は「戦う力」を、私は「救う力」を求め、精霊の解釈で何度も話を詰めて訓練した。
そろそろ訓練をやめようかという時間になって、演習場に緊張が走った。
訓練中の事故だった。新兵の一人が、誤って自身の風魔法で巨大な木偶を倒壊させ、その下敷きになったのだ。
「ぐあああっ! 脚が、脚がァ!」
新兵の悲鳴にクユル様が即座に駆けつけ、木偶を退けたが、新兵の右脚はありえない方向に曲がり、骨が皮膚を突き破っていた。
開放骨折!そして、突き破った骨の周囲からは、暗赤色の血が勢いよく噴き出している。
「クソッ、なんだこれは! 0番隊を呼べ! 急げ!」
現場に駆けつけたストーリア隊長が部下に怒鳴り散らし、自身の服を引き裂いて止血を試みる。けれど、ストーリア隊長の力でで圧迫しても、血は止まらない。新兵の顔色が、急速に土気色へ変わっていく。
「変わります!」
「アヤメ嬢!?」
私は集まった騎士達を抜けて、ストーリア隊長の横にしゃがんだ。医療バックがない今は、輸血パックも止血体もない。でも、この大出血と複合骨折をなんとかしないと!
0番隊は今の時間ほとんどが自主学習や研究のため騎士棟にいる。演習場まではだいぶ距離があるから、このままでは、カミーユ副隊長やクエルト叔父様が来る前に、彼は失血死する。
「0番隊へ輸血パックを持ってくるように伝えてくださいッ!それと、それ以上近づかないでください!」
集まっていた騎士達にを鋭い声を上げる。
バイタル低下、ショック状態。一刻を争う……!
私はさっきの訓練で作った無菌空間を再び風の精霊の力によって作り出す。すると、ゆっくりと清浄な風の障壁が、私たちの周囲に展開された。
出来た!そして、次は…
今度は水の精霊の力を引き出すように私は傷口の奥、噴き出す血の源泉へ、意識を集中させた。
血管。弾力を持ち、命を運ぶパイプ。傷口を確認しながら、頭の中で命令を出す。
まずは、私の手を清めて。どこからともなく水が現れて、泥だらけの手を洗い流した。それを確認して、躊躇いなく傷口へ手を突っ込んだ。
グチャッ!
「うえっ!」
血が飛び、集まっていた騎士から声が上がる。でも私はそれを無視して血液が流れ出ている箇所を探す。
あった!かすかに触れたのはゴムのような弾力の細いチューブのようなモノ。大腿動脈、破裂箇所を特定!
そして、ゆっくりと深呼吸し、頭の中でイメージする。
私の血流と、彼の血流を同調させて……そして、彼の破裂した血管を、水圧で『圧迫止血』!
血管という名の川の流れを、精霊の力で一時的にせき止める。
私の指先から、微細な水の力が新兵の体内へ浸透し、破れかけた血管壁を外側から優しく、けれど強引に押し潰した。
「……まさか…!」
「うそだろ?!」
騎士達が目を見開く。
負傷した騎士の傷から溢れていた血が、ピタリと止まった。医療と精霊の力の融合だ。しかし、それだけでは終わらない。大量の血液を失えば体温が一気に下がってしまう。現世ならアルミシートなどで体を覆うが、今は…火のちからで……私の体温を、局所的に上げて彼の体温低下を防ぐ!
私は新兵の胸元に手を当てた。イメージするのは新兵を包むような温かな膜。そこから手に集まった微弱な火の精霊の力が彼の体を包み、彼の代謝を維持する。
ストーリア隊長もクユル様も何も言わずにただ私を見ていた。
血を止め、菌を排し、熱を与える。
四大精霊のすべてを、武器としてではなく、高度な医療器具として使う。これが、私の思う精霊の力の使い方だ。
クユルは、ただ呆然と、アヤメの手つきを見つめるしかなかった。魔法のようなモノではない。そこにあるのは、圧倒的な「知識」と、それを具現化する「意志」の力だった。
やがて、0番隊の騎士が駆けつけた。
だが、彼らは処置を終えたアヤメと、安定した新兵を見て、呆然と立ち尽くした。
「……これ、は……。治癒魔法も医療器具なしに、どうやって……?」
「止血は終わりました。セブンさん、トーマさんあとは骨の接合です。……器具があれば私がやりますが?」
アヤメは先輩騎士達に普段通りに接している。
命が危ぶまれた状態から、精霊の力のみを使って、その命を繋ぎそして救うとは…。
クユルは目の前の光景を俄かには信じられなかった。しかし、アヤメの確かな実力は鮮明に焼き付いていた。
…これが、我が国を、救った『英雄』。
すべての処置が終わり、新兵が運ばれていった後。
訓練場には、私とクユル様だけが残された。
私は隊服も手も泥と血で汚れ、ひどい有様だった。
クユル様は、しばらく沈黙していた。彼の鶏冠は伏せられず、かといって警戒しているわけでもない。ただ、私をまっすぐに見つめていた。やがて、クユル様はゆっくりと私に近づくと、大きく息を吐き、そして――。軍人としての、最も深い敬礼を、私に捧げた。
「え?あの?!…どうし
バサッ!!
まるで、私の言葉を遮るように大翼が羽ばたいた。クユル様は姿勢を正し、その口角を、今までにない「敬意」を込めて私を見上げる。
「――我が国を救いし英雄、アヤメ・アールツト殿。」
彼は私を令嬢ではなく殿と呼んだ。それは、最大の敬意を示している。前世の私の本質を射抜くような言葉で、私を呼んだ。
「君の言った通りだ。君の使う精霊の力は、殺すためじゃない……殺させないための、最も冷酷で、最も慈悲深い力だ。それを私は、全力で守ろう。」
クユル様の瞳には、強い意志が宿っていた。
そこにあるのは、自分とは異なる、けれど自分と同じ「命を懸けて戦う者」への、確かな信頼だった。
「はい…。よろしくお願いします。」
私は泥を拭い、笑った。
「治癒魔法が使えない落ちこぼれ」
でも、私は前世の医療知識だけじゃなく、この世界の魔法ではない新たな力を手に入れた。医療という戦場で戦う為の確かな『武器』。
その確かな手応えが、私の泥だらけの手の中に、残っていた。




