117.侯爵令嬢は告げる
重苦しい緊張感が部屋を満たしていた。
特定診断をする。断定をする。何かをはっきりと告げるときは緊張する。それが、自分の尊敬し目標とする父であり、この国一番の医療従事者とくればその緊張は何倍にも膨れ上がる。
「住血吸虫?それはなんだ?」
私の言葉に一番に反応を示したのはお父様だった。我が国ではミナイリ貝という貝は生息が確認されていない。さらに寄生虫ではなく吸血虫というのも珍しいものだった。
「こちらをご覧ください。」
お父様の反応も予測して、事前にイスラ王国の書物の中から吸血虫に関して書かれたものをいくつか選んでおいたので、該当ページを開いてテーブルの上に広げた。
「住吸血虫とは川などの淡水に生息するある種の巻貝を中間宿主として、動物へ経皮感染します。その後、体内で幼住吸血虫となり、血液と共に体内を移動し肛門脈の血液に移動して成虫になります。番の成虫は腸管の静脈などに移行し産卵し、その後は便や尿と共に宿主から虫卵が排出されます。そして、それらは再び水中で貝に寄生し、新たな生き物を宿主にするのです。」
テーブルの書物と私の話を聞いたお父様は自分が持っていたメモと照らし合わせ、何かを確信したかのように頷いた。
「昨夜、城の図書の中で今回のエルフたちに起きたものと似たような症状の記録を見つけたのだ。それは、かなり昔の記録になるがイスラ王国の小さな村で起こったようだ。その記録には病名の特定や原因は書かれていなかったが、アヤメの話を基に考えると、恐らく同じ寄生虫によるものだろう。」
「イスラ王国にもミナイリ貝は生息していたのですね。」
「私の留学中にそのような貝はみませんでしたよ。」
「恐らく、お母様が留学していたころにはすでに根絶していたのかもしれません。」
「根絶?貝が?」
「はい。」
不思議そうに尋ねたお母様に私は前世の事を思い出して説明をした。
「イスラ王国の数十年前の大規模な農業革命と技術進歩により、水路のブロック化や農薬使用など様々な環境の変化がありました。それが原因で貝などの生存が難しくなったのかもしれません。」
「そうだな、その可能性はある。私が見つけた村の記録以外同じような症例は見つけられなかった。」
日本でも水路のコンクリート化や殺貝剤、農薬使用などの多大な努力や環境整備、公衆衛生などによって、日本住血吸虫の中間宿主となる貝は撲滅された。それに伴い、日本国内に流行していた日本住血吸虫は終息した。
まさか、こちらの世界で住血吸虫の名前を思い出すことになるとは思わなかったけれど。
話し終えたお父様は私の頭に大きな手を乗せた。
「よく、見つけたな。さすが私の娘だ。」
そう言ってお父様は満足そうに笑った。
その笑顔に胸がジンッと熱くなる。自分の目標であり尊敬するお父様。そんな人にこんな顔で褒められるのは嬉しくて温かくて、泣きそうになった。
ここ連日の苦労と努力が報われた気がしてそっと肩の力を抜こうとすれば
「…では、お二人は今回のアルシナシオン島で起こった件については、人為的ではないと考えますか?」
フェアファスング様の声が静かに落ちた。それは、温かな朝日に照らされた部屋に波紋のようにゆっくりと冷たい何かを広げていく。
「…ユスティ?」
フェアファスング様の発言にお父様が不思議そうに聞き返せば、彼はゆっくりと手にしていた書物をテーブルに置いて碧眼の瞳でまっすぐとお父様に視線を向けた。
「今回のアルシナシオン島の件、私の方でも調べた。イスラ王国での黒髪の魔法使いの件もあり、何らかの関係性がないかと考えてな。」
黒髪の魔法使い。
久しぶりに聞いたその言葉に忘れていた不安が蘇る。
「だ、だが、幾ら黒髪の魔法使いだとしても、アルシナシオン島にたどり着けるとは思えんが。」
「しかし、可能性がないわけでなはい。現にイスラ王国では誰にも気が付かれることがなく姿を消したではないか。その後は消息不明。カタール・クオンが黒髪の魔法使いだった場合、狐と人間の半獣人ならばアルシナシオン島に潜伏することも…。」
「まさかッ…。」
フェアファスング様とお父様の会話を聞いているうちにゾワリと背筋が震えた。
イスラ王国とのみ国交を持つのでアルシナシオン島。半分獣人であるクオンなら精霊に嫌われずにエルたちの暮らす島に上陸できるかもしれない。もし、そうだとしてもいったい何が目的なのか?まさか、エルフを食して今回の事件を?それとも新しい呪術の為?
先ほどまでの晴れやかな気分が嘘のように曇っていく。思わず下を向いて両ひざの上においた拳を握る手に力が入る。
「もし、黒髪の魔法使い及びカタール・クオンの関係が認められる場合、アヤメ嬢には申し訳ありませんがアルシナシオン島へ行くのを取りやめてもらう事になります。」
「え?」
予想外の言葉に反射的に顔を上げればフェアファスング様はお父様から視線を外して真っ直ぐ私を見つめていた。
「アヤメ嬢を襲撃した犯人の可能性がある人物が関係している場にあなたを行かせることはできません。」
「そんな…でも、私は約束したんです。プルシアンの聖獣と…エルフを助けるって。」
「エルフの病気の原因が判ればあなた自らがアルシナシオン島へ行く必要はありません。治療法と貝の撲滅法などを他者に教えて現地に派遣すればいいことです。」
「それは、そうですけど…でも、私は…。」
「アールツト侯爵家は我が国の至宝。その時代をつなぐのは嫡子だけではなく、アヤメ嬢も同じなのです。」
「ですが、私はお兄様の様に治癒魔法は使役できません。だから…」
「陛下はアヤメ嬢の知識とアールツト侯爵家にふさわしい高潔な精神と深い慈愛の献身を高く評価されています。それは私も同じです。あなたは今までのアールツト一族とは明らかに違う…治癒魔法が使えない代わりに新しい知識と技術を持っている異質の存在です。今までは治癒魔法が使えないという隠れ蓑に身を守ってきたようですが最早、それは通用しません。あなたの才能と知識はすでに隠し切れないほど多くの命を救ってきました。それはとても素晴らしいことですし、私達も感謝しています。ですが、その結果前回のような誘拐事件が起きました。この間も言いましたが、あなたの安全を守るためにこの度のイスラ王国への留学が決まったのです。」
「…。」
穏やかな口調と共に真摯な瞳が私を諭すように向けられる。私は何も言えずにそっと視線を外した。
「…まだ、黒髪の魔法使いが関係していると決まったわけではないだろう?」
視線を落とした私の肩に大きな手が乗った。
「アヤメはアルシナシオン島に住むエルフたちを救うために、聖獣との約束を守るために今日まで必死になって原因を追及して来たんだ。」
私と同じ紫の瞳が真っ直ぐに、強くフェアファスング様に向けられる。
「娘の努力をそのように一方的に無下にすることは、父親の私が許さない。」
グッと私の肩に置かれた手に力が入った。その強さが、お父様からの思いの強さに重なる。
「では、お前は娘を危険な場所にやすやすと送り出すのか?アルシナシオン島は人類が足を踏み入れたことがないとされる島だぞ?」
「狂犬病の蔓延するイスラ王国の医療の最前線に送り出した時から私の心は変わらん。…私は娘を信じている。」
「狂犬病時とは状況が違うだろう?今回に関しては医療行為をアヤメ嬢が行う必要性はないはずだ。」
テーブルを挟んで睨みあうお父様とフェアファスング様。なんて声をかけていいかわからずオロオロと二人を交互に見ているとバサッと重い羽音と共に柔らかな風が吹いた。
「失礼ながら発言をよろしいでしょうか?」
それは今まで沈黙を貫いていたクユル様だった。
「…発言を許可します。」
静かにフェアファスング様が許可を出せばクユル様は一礼をしてから二人に向かって話し始めた。
「恐れながら、アヤメ嬢の安全の面では我々の部隊が万全の護衛をいたします。我が隊長の事はご存知かと思いますが、隊長自ら先陣を切るおつもりですので心配はご無用かと。また、アルシナシオン島の上陸ですが、精霊は人間嫌いの為、アヤメ嬢以外の人間の上陸は難しいと予測されます。医療的行為が必要な場合、我が国の医療部隊を派遣することも可能ですが陣頭指揮をとる者が必要になりますので、やはりここはアヤメ嬢に上陸していただくのが最善かと思います。」
すらすらと言葉を並べて行くクオン様は一度言葉を切って私に視線を落とす。その視線は首にあるペンダントに向けられていた。
「…それにアヤメ嬢には四大精霊の加護があるご様子。これではたとえ黒髪の魔法使いであろうとうかつに手は出せないかと…。」
「四大精霊の加護!?」
そういえば、フェアファスング様にはまだそのことを伝えていなかった…。
「…それは、本当ですか…?」
驚愕。という表現がぴったりな表情でフェアファスング様に詰め寄られて私はコクコクと首を縦に振った。
「先日、加護を授かりました。このペンダントは常に彼らと繋がっています。」
胸元のペンダントに指先を当てれば一瞬だけ淡く輝いた。それを確認してフェアファスング様は大きく息を吐きソファにもたれる。が、すぐに姿勢を正して優雅に座りなおした。
「…失礼。御見苦しい所をお見せいたしました。…精霊の加護について他に知っているものはおりますか?」
「家族以外は誰も…。でも、どうしてクユル様は分かったんですか?」
クユル様にも精霊の加護については言っていなかったのに。私の質問にクユル様が人間の口でゆっくりと弧を描いた。
「私も風の精霊の加護をもっているからな。」
クユル様の言葉に私だけではなくフェアファスング様もお父様も驚いたようで、二人とも目を大きく見開いて一瞬固まった。
「私が幼い頃精霊と知りあってな。その時に加護をもらい、ずっとそばについていてくれている。アヤメ嬢にも見えるんじゃないのか?」
「え…?」
そう言われたが、精霊を見る方法などわからない。この間家族に見せたみたいに英語で呼びかければいいの?それとも念じるとか?
考え込む私の姿を見てクユル様はフクロウの瞳をギュっと細めた。
「その様子だと…加護を受けてるだけでその使役の方法は知らない様だな。」
低い声で言われて思わず肩を落とす。精霊の加護をもらったからと言って何もしなければ力を貸してもらえないのか…。アニメや漫画のように必要な時に必要なように精霊の力を使役できるのかとも考えていたけど、現実はそう甘くはないらしい。
「ならば、私が教えよう。」
「え?!」
クユル様の発言に思わず声を発してしまうが、クユル様は穏やかに笑った。
「精霊の加護は正しい使い方をしなければ、その身を亡ぼす事にもなる。大きな力を手に入れたのであれば、それを使役する正しい方法を学ぶことは必要なことだ。幸い、アルシナシオン島へ行くまで十分な時間がある。」
「!!…ありがとうございます!ぜひ、私に教えてください!」
嬉しくて勢いよく返事を返せば、クユル様はゆったりと頷いてくれた。しかし、そこにお父様の声がかかる。
「クユル殿。その提案はありがたいが、精霊の力を使役することで…アヤメに新な危険が降りかかることはないだろうか?」
その低い声にハッとしてお父様を見れば、その横顔には悲しみが浮かんでいた。
…そうだ。曾お祖母様も水の精霊の加護を受けていた。そして、きっと精霊の力を使役していたのだろう。その最後を知っているからこそ、お父様は…。
そこまで考えて胸が苦しくなる。
「…ないとは言い切れません。」
「!やはりッ…。」
「ですが、アヤメ嬢であれば大丈夫かと。」
そう言い切ったクユル様がまっすぐに私を見つめる。猛禽類の強い視線を受けて自然に背筋が伸びた。
「恐れながら、アヤメ嬢は魔力がほとんどありません。それは、精霊の力を使役するための器が大きいことになります。魔法と精霊の力は別の物。二つは決して同じ場所には存在できません。私自身、精霊の加護を受けてから風魔法はほとんど使用していませんから。」
穏やかに告げたクユル様の言葉に、その場にいた全員が驚いたように瞼を見開いた。
先の戦の英雄「翼の騎士」。その恵まれた身体能力と自身の風魔法で戦場を駆け抜け、多くの戦果を挙げたと誰もが思っていたが、それはすべて精霊の力だったという事…!?
「精霊の力は魔法と何も変わらない。むしろ、アヤメ嬢は四大精霊すべての加護を受けているという事は魔法で例えるなら、四属性すべての魔法が使えるということになります。そして、四大精霊の加護はアヤメ嬢を守る最強の楯となり、鉾となるでしょう。」
クユル様はそこで言葉を切り、お父様に視線をわせる。私と同じ紫の瞳が大きく揺れていた。
「ヒルルク殿は、すでにご存じのはずです。ご令嬢の…心の強さを…。」
その言葉にお父様の顔が一瞬、歪む。そして、少し間を置いた後ゆっくりと私に体を向けた。大きな手が私の膝の上に置いていた手を包む。薬品で荒れた、ごつごつしてざらざらして…でも私が知る何よりも温かくて優しい手。
「……すまない。…アヤメを信じると言ったのに、私がお前を、お前の強さを疑ってしまった。」
そう言ったお父様は穏やかに微笑んだ。
「…私は、もう家族を失いたくはない……が、お前は誰よりも賢く、たくましく、強い。」
じわじわと私と同じ紫の瞳に涙がたまってくのが見える。
「娘を信じられなくて何が父と言えよう。娘がさらなる力を手にするときに喜ばすして、誰が父と言えようか。」
そこで言葉を切ったお父様は私の手をはなし、クユル様に向きなおると、勢いよく頭を下げた。
「あ、お父様ッ!?」
「クユル殿!先ほどは失礼した。…私からも、お願いしたい。どうか娘に精霊の力の使役方法をお教えてほしい。」
お父様の言葉に沈黙が落ちる。しかし、それは、バサッ…という羽根音と共に破られた。クユル様が片膝を折り、騎士の礼をとる。
「クユル・ハツタ、アールツト侯爵殿の願いしかと受け取りました。私のもてるすべてをアヤメ嬢にお教えすることを誓います。……これでいいか?アヤメ嬢?」
そして、私を見上げて不敵に笑った。
「はい!お父様、クユル様、ありがとうございます。」
はぁぁぁー…。
私が二人に礼を告げたところで思いため息が落とされた。明るい雰囲気を壊すような重苦しいため息を吐いたフェアファスング様はジロリとお父様に鋭い視線を向ける。
「ヒルルク。お前は私の話を聞いていたのか?」
「あ、ああ。それでも、私の考えは変わらん。もし、お前と陛下が反対するならフェルに協力してもらうつもりだ。」
「侯爵夫人まで巻き込むつもりか?」
「こういうのはフェルのほうが得意だからな。相談すればすぐにでも準備を始めるだろう。」
「……全く、お前たち夫婦は…昔からちっとも変わらんな。…誰がエル…陛下と上層部を説得すると思っている?」
「それは…ユスティだろう?」
「それがどれほど大変なことかわかっているのか?」
「知らん。…だが、ユスティなら必ず成し遂げると信じている。私の友は、守る者の為に必ず勝利を勝ち取る男だからな。」
「…チッ!……馬鹿野郎が。」
お父様との会話を苦々しく終わらせたフェアファスング様は優雅な笑みを作ると姿勢を正した。…あの最後の言葉と舌打ちは気のせいだったのかしら…?
「…話は分かりました。今回はイスラ王国の万全の護衛と四大精霊加護を理由に、アルシナシオン島への上陸を許可いたします。」
「ありがとうございます!」
フェアファスング様にお礼を告げれば、優雅に微笑んでくれる。が、つぎの瞬間にはお父様へ鋭い視線を向けることも忘れてはいなかった。
『何が起きたの?』
ちょうどそこへプルシアンの聖獣の少女が現れる。アルシナシオン島の事が気になり、唯一精霊を感じられる、あの大木にいることが多くなっていた少女に私はしゃがんで視線を合わせた。
長いこと待たせたわね。アルシナシオン島でエルフたちを苦しめている病気の原因が分かったかもしれないわ。
『本当に!!』
ええ。…行くわよ。アルシナシオン島へ。
『ええ!本当に、待っていたわこの時を!』
待たせてごめんなさい。あなたがこの数日間どんな思いでいたのか…。
私が告げれば少女の顔がみるみる歪み、そして、宇宙の星をちりばめたような瞳から大粒の涙があふれだした。私はたまらずその半透明の体を抱き寄せる。触れることはできず、ただ、空を抱く感覚だが、しっかりと腕の中には少女が立っている。
ここから、もう少し待たせてしまうけど。でも、必ずアルシナシオン島へ行くわ。
だから、もう少しだけ…ごめんね。
『グズッ!…いいわよ。今までも待ったんだもの。終わりが見えている期間を待つのは嫌いじゃない。』
ふふ、ありがとう。
少女と笑い合う。その瞳は涙にぬれていたが、最初のような焦りや不安は少しだけ和らいでいるように感じた。
そして、私は本格的にイスラ王国への留学、アルシナシオン島への上陸の準備を進めることになった。
ご無沙汰しています。
ぽつぽつと書き始めました。
以前のようにかけないところもあるかと思いますが、楽しんでいただければ幸いです。




