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120.侯爵令嬢の出国

凛した冷たい朝の空気を吸いこむ。冬の空は高く澄んでいた。

アールツト侯爵邸の玄関ホールにはトランクが数個並び、玄関の前に並んだ荷馬車に次々と詰め込まれていく。使用人たちは朝からあわただしく動いているが、その表情はどこか寂し気で皆口数は少ない。


「お嬢様、朝食の準備が整いました。」


いつもなら執事のブレッグが呼びに来るのに、今日はスチュワートだった。


「珍しいわね…スチュワートが来るなんて。」


私の言葉に彼は深く刻まれた目じりの皴をさらに深くしてほほ笑んだ。


「今日は、特別にございますから。」


ふふふ。と静かに笑うスチュワートに胸がじんわりと温かくなった。

今日、私はイスラ王国へ行く。期間は半年間。ワクワクや期待が大きくて、何よりアルシナシオン島でのエルフたちの治療の事を考えていた。だからだろうか、スチュワートの言葉を聞いて食堂に移動する間に、どんどん寂しさが募っていく。


「…スチュワート。」


食堂のドアの前に立った時、スチュワートに声をかける。「なんでしょうか。」静かに告げて振り返ったその顔に確かな老いを感じて、思わず胸の前で手を握った。


「…元気でいてね…?無理しないで、体を大切にしてね。…何かあったらちゃんとお父様に診てもらって…それから…。」

「…お嬢様…。」


とりとめなく溢れる言葉をスチュワートは静かに止める。そして、穏やかに微笑んだ。


「私のようなものに、温かなお言葉を下さりありがとうございます。…ここで、お嬢様のお帰りをお待ちしております。…どうぞ、この老いぼれにたくさんの土産話を持ってきてください。」


そこまで言ったスチュワートが静かに、手に胸を当てて片膝をついた。何も言えずにいる私の手をそっと彼の手が取る。しわが多く、皮と骨の感覚が手袋越しに伝わり、背筋が震えた。

…この人はいつの間にか、こんなにも痩せて年老いていた。


「…ご武運を…。そして、この留学がお嬢様にとって素晴らしい時間になる様、心より祈っております。マイ・リトル・プリンセス。」


スチュワートの言葉に胸がジンと熱くなる。

涙が瞼にたまりそうになって思わずギュっと目を強く閉じた。ダメよ。今からこんなんじゃ、出国の前に涙で顔がグチャグチャになっちゃう。今生の別れでもないんだから。

グッとお腹に力を入れて溢れそうなものを抑え込みスチュワートに微笑んで返す。そして、彼は静かに食堂のドアを押し開いた。


その日の朝食は、家族全員が揃っていた。お兄様は前日から屋敷に戻り、昨夜はお父様とお母様、お兄様と四人で語り明かして幼い頃に戻ったような暖かで柔らかな時間だった。そして、今目の前には私を迎えてくれる家族の姿がある。


「おはよう、アヤメ。」

「おはよう。よく眠れたかしら?」

「おはよう。…ほら、おいで。今日の朝食はお前の好きなものばかりだぞ。」


それぞれが私を見て声をかけてくれる。そして、その顔はみんな笑顔で…でも、どことなく寂しそうで。私は気づかないふりをして、返事をして席に着いた。


別れの時間は少しずつ近づいていた。




「失礼いたします。騎士様方ならびに、クユル様がご到着なさいました。」


ブレッグが静かに告げた。今日は使用人たちもどことなく元気がない。


「ありがとう。」


一つ礼を告げて、談話室のソファから立ち上がった。それに倣うようにお父様たちも立ち上がり、私に向き合う。


「元気で…健康で…。」


口を開いたお父様の目かに見る見るうちに涙が溜まっていく。そして、口元がわなわなと震えていた。


「お前を信じている。…無理はするなよ。」

「…はい。」


それでも、お父様は力強く言い切って、私をしっかりと抱きしめた。


「まぁ、あなたったら、大げさですね。」


クスクスと笑うお母様がゆっくりと私からお父様を引き離して、私の両手を握った。


「楽しんできなさい。私が、イスラ王国で何を見て何を学んだのか…あなた自身の目で確かめ、そして学びなさい。」

「はいっ。」


私の返事を聞いたお母様がゆったりと笑い、頭を撫でる。


「娘のアヤメが、私の第二の祖国であるイスラ王国に留学に行くことが手もうれしいわ。…夜に家を抜け出す時は、椿の樹の根元に抜け穴を彫ってあるからそこを使うのよ。その近くの古井戸に変装の服も入っているわ。」


少女のようないたずらな笑みを浮かべて、爆弾を落としたお母様に思わず仰け反ればフフフと楽し気に笑っていた。そしてその肩越しに、肩を落とすお父様と苦笑いをするお兄様が見える。

…お母様は相変わらずなようで…。

そして、お母様が離れればお兄様が私の前に立った。会うたびに身長が伸び大人びていくお兄様は、お母様によく似た笑みを見せる。


「粗相のないようにな。あんまり無茶をして、ユザキ様やイズミ様を困らせることのないように。…離れていても、会えなくても僕はアヤメのそばにいるよ。」


そっと肩に置かれた手に力が籠められる。その強くも優しい力を私は忘れたくないと思った。


とうとう定刻となり、玄関ホールに立った。外には護衛の為に騎士団から派遣された騎士たちが整列し、私を待っている。振り返れば、お父様たちを先頭に使用人たちが総出で私を見送っていた。


「どうか、お父様もお母様もお兄様もお元気で。それじゃ…行ってまいります。」


深く一礼して私は玄関を出る。明日にはこの見慣れた庭園も、広大な屋敷も見られなくなる。たかが半年。されど半年。込み上げてきた寂しさを振り払うように正面い視線を向けた。


「おはようございます。アールツト侯爵令嬢殿。この度、我々が国門及びイスラ王国国境まで護衛いたします。」


私の登場に合わせて一歩前にでた、レシ隊長が騎士の礼を取る。そして、レシ隊長と並ぶようにテオ隊長がいて、その後ろにレヒト様がいる。三番隊の中でも出世株にレヒト様は経験値の為、国境の紛争地域に配属されているって聞いていたけど…久しぶりに見たその姿は、依然見た時よりも、顔つきや体格がしっかりとしており、短く切られた金髪と幾分鋭くなった碧眼の眼光がまるで別人のようだと思った。


「…ありがとうございます。どうぞよろしくいお願いいたします。」


今日は騎士の上官と部下ではなく、貴族令嬢と護衛という立場の為か珍しくレシ隊長の言葉も固い。狂犬病のワクチンの時の護衛の時にはもっと砕けた感じだと持ったけど。…何かあったのかしら?と思い騎士たちから視線を外して横に向ければ、レヒト様が優雅に馬車に寄りかかり佇んでいた。


「うむ。…まあ、及第点と言ったところだな、レシ。」

「はッ…。」

「お前の軽快な口調と雰囲気は騎士団にとって必要なものだが、公式の場とはしっかり使い分けれるようにならねばな。」

「はい。ご指導ありがとうございます。」


……なるほど。

レシ隊長のこの変わりようはクユル様のせいだったのか…。

クユル様は私と共にイスラ王国へ帰国することになっている。私の護衛の任務もあるので騎士団に同行すると言っていたけど…心なしか騎士たちは息苦しそうだ。


「お嬢様、アルたちの準備も整いました。」

「必要な医療品、器具も積み込みは完了しています。」

「タケとウメも…」


ウォンッ!オンッ!


ワイズとポイズが報告に来て、エーデルも口を開いたところでタケとウメが颯爽と私の前にやって来た。そしてその後追うように、三体のアルゲンタビウスがバサッバサッと羽音を響かせながら、馬車の横に降り立った。今回の留学には、ワイズ達三兄弟とアル、ゲン、タビそしてタケとウメも同行することになっている。彼らがいれば私も安心だ。


そして、私たちはイスラ王国へ出発した。




王都の門を出る馬車の振動が、私の心臓を小さく揺らしていた。

今回の移動はアルに乗らずに馬車を利用している。その理由は護衛と安全確保の為となっているが、そのほかにもう一つあった。アルシナシオン島での治療計画を練るためだ。膝の上にはいくつもの書類が重なり、空いている座席にはトランクから引っ張り出した医学書が散らばっている。アリスはそれぞを整理しながら、静かに私の傍に控えていた。

まずは、アルシナシオン島についてからの計画を立てないと。発症しているエルフたちへの治療方法と病後ケア、必要な物資の数…島に上陸したときのことを想定してペンを走らせる。

その時、ガタンッ!と馬車が大きく揺れた。


「わぁッ!?」

「お嬢様!」


突然の衝撃にペンが飛び、書類が舞い、医学書が崩れた。倒れそうになった体をアリスに支えてもらえば、コンコンと窓がノックされる。


「怪我はありませんか?」


馬車の窓の外から声をかけてきたのはレヒト様だった。侯爵家の次男にして、将来を期待されたの若い騎士。以前より傷が増えたその金髪碧眼の顔は心配そうにこちらに向けられている。…クユル様の影響か言葉遣いはやり丁寧だ。


「大丈夫です。…大きな声を出してしまい、申し訳ありません。」

「いや、何もないなら安心です。この辺りは雪解けの影響で道が悪くなっているようです。今後も揺れる可能性があるのでお気を付けください。」

「…承知しました。…それにしても今回の護衛はずいぶんと人数が多いのですね。」


窓の外をサッと見れば、馬車を引く馬と並走するようにタケとウメがいて、馬車を中心に周囲を囲うように騎乗した騎士と徒歩の騎士が隊列を組んでいる。さらに頭上では、クユル様を先頭にアルたちが陣形を取りながら飛行している。前回の襲撃の件もあるからだろうが、クユル様やタケとウメがいることを考えれば、明らかに騎士の数が多い。


「……ええ。本来、三番隊と二番隊の精鋭だけの予定だったのですが…。」


レヒト様の視線が、少し前方を行く背中に向けられた。青毛の軍馬にまたがり、微塵の隙も無く周囲を警戒する大きな背中。


「テオ隊長が、直々に今回の護衛に加わると言い出して。……隊長クラスが二人も留守にしては王都の守護は手薄になる可能性もありますし、本来の任務もあったので他の隊長達も止めたのですが…。副団長の制止も聞かず、強引に割り込まれたそうです。」


レヒト様の声には戸惑いと若干の呆れのようなものが混じっていた。

そんなレヒト様とは対照的に私は息が詰まるかと思った。あのテオ隊長が、無理やり護衛任務に?!

一番隊隊長という重責を負い、合理性や規律を何よりも重んじるあの人が、そんな私情に近いふるまいをするなんて…。


「おいおい、皆までばらしてやるなよレヒト。」


テオ隊長の隣で颯爽と馬を走らせていたレシ隊長はニヤニヤしながらこちらを見る。


「すいません。」

「まあ、言っちまったもんは仕方ねえからな。ただ、男には女には隠しておきたいことが多くあることを忘れんなよ。」


素の砕けた口調に戻ったレシ隊長の視線が私を捉え、少しだけ真剣なものに変わった。


「アヤメ嬢……あいつの不器用と必死を受けっとやってほしい。」

「え?…それって…どういう?」


言葉の意味が分からず、聞き返せば、レシ隊長は柔らかく笑って前に向きなおった。そしてそれに合わせるように、レヒト様も何かを考えるような顔で馬車と距離を取る。

…何?…どう意味なの?私の疑問は消せないまま馬車は国境へと向かい進んでいた。



森を抜けた国境近くの開けた場所に馬車を止める。ここは近くに川が流れていて、イスラ王国へ向かう道の定番の休憩スポットだ。

ずっと座りぱなしで四角くなったお尻ときしむ腰を伸ばすために馬車を降りて、騎士たちの視線が外れる所で大きく体を動かす。ストレッチやラジオ体操を見られるくらいならまだいいが、ドレス姿でお尻をもむ姿は見られては淑女として生きてはいけない。アリスに衝立代わりに立ってもらい、凝り固まったお尻を一通りもみほぐしたところで影がかかる。


「…テオ隊長?」


見上げた先には藍色の髪に漆黒の瞳。


「驚かせて、すまない。」


テオ隊長の声は心地よく響いた。彼は周囲の目を盗むように、私を大きな木陰へと誘った。その姿をアリスが隠し切れない笑みで見送られて、恥ずかしさが込み上げる。騎士としての規範を何よりも重んじる彼が、こんな密やかなふるまいをする。その事実に、私の胸は騒がしく跳ねた。


「…レヒト様から聞きました。無理をしてまで、この任務に…」

「……不都合だっただろうか?」


私の言葉に漆黒の瞳が微かに揺れた。そして、少しずつ無表情から悲しみが滲む。…違う。あなたにそんな顔をさせたいわけじゃない。


「そんなことはありません。テオ隊長は一番隊の隊長なのですから、もし何かあったら…。」

「私に何かあっても、変わりはいる。」


何時か聞いた言葉だった。

しかし、今はその言葉にあの時とは違う思いが込み上げる。


もし、あなたがケガをしたり、私のせいで命を落としたりしたら…。前世の記憶が思い浮かんで言葉が詰まる。失う恐怖が、足元からゆっくり這い上がる様だった。

そんな私の震えを察したのか、テオ隊長は一歩踏み込んだ。そして誰にも見られない角度で、私の手に小さな、けれど重みのある木箱を押し付けた。


「…これをイスラ王国へ行く前に、アヤメに渡したかった。」

「これは…?」

「今は、開けないでくれ。」


彼の手が、私の指先に触れる。

ほんの一瞬。けれどそこには熱があった。火の魔法を扱うテオ隊長の魔力なのか、とても温かく、強い熱。前世で失ったあの「冷たさ」とは正反対の、生きて、私を求めている男の熱。


「……このことはどうか内密に。わた…俺とアヤメだけの秘密にしてほしい。」


無表情な彼の瞳が、激しく揺れていた。そして、グッと何かを堪えるようにした後テオ隊長はその場から去って行った。入れ替わるようにアリスがやってくる。


「…お嬢様、間もなく出発のお時間です。馬車にお戻りください。」

「…え、ええ。わかったわ。」


テオ隊長の言葉と熱がハッキリと残っている。ふらつきながら馬車に戻れば、馬車はゆっくりと動き出した。そして、私はゆっくりと木箱を開けた。中から出てきたのは、漆黒のビロードの箱。…まさか…。ビロードの箱に入ってるものなんて、私の知る限り数個しかない。木箱からビロードの箱を取り出し、ゆっくりと深呼吸をしてから、震える手で箱を開いた。


「!!」


そこにあったのは、夜の底を切り取った様な、深く透明な藍色の宝石が一つだけあしらわれたブレスレッドだった。日光を浴びて、繊細なシルバーの鎖が光る。その美しさに思わず目を奪われた。


「…ブレスレッドは、贈る側が相手を『独占したい』という独占欲の象徴…とも言いますね。」


ボソリと落とされたアリスの言葉にバッと彼女に視線を向ければ、ニマニマとしたなんとも言えない顔でアリスはブレスレッドと私を交互に見ていた。


「花束の君…テオ隊長様の髪と同じ色の石を、脈打つ場所に一生涯は外れないようにつなぎとめる。それは「あなたの命は俺のものだ」という言葉にできないほど重く、いびつな、でも強い誓いですね…。」


お嬢様はどう思われますか?と続けて聞かれて私は波も言えずに黙り込む。今は確実に顔が赤い自信がある。そして、頭か湯気が立ちそうなほど発熱しているし、血圧も爆上がりしているだろう。


…こんなの…まるで…「手枷」じゃない…。


「…お嬢様には重いですか?」


アリスが短く問いかける。石の重さではない。そこに込めらた自分を縛り付けるような想いの重さを問うているんだ。私は、その細い銀の鎖をそっとなぞり手に取った。少しだけど、しっかりとした重さを感じる。前世で失った「愛」や「恋」の記憶が、この重みに呼吸して激しく脈打つ。


「……重く……ないから、困るんじゃない。」


情けなく笑ってアリスに告げる。テオ隊長への想いをわからないほど子供じゃない。でも、それ以上に大きな二度目の別れを恐れる絶望が絡みついていた。


もうすぐ、国境になる。

馬車を出た時どんな顔をして彼に会えばいいのか…。自分の気持ちにも、恐怖にも向き合えないまま、私はそっと箱に戻したブレスレッドをしまった。

誤字脱字報告ありがとうございます。


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