同じ空の下に
革命の朝がやってきた。
天気はあいにくの曇り空で、今にも一雨降りそうなほど重たそうだ。国王陛下の葬儀ということも相まってか、街の空気もどんよりしている。
心臓の音がやけにうるさい。
「カノン様」
虚空を眺めてぼうっとしていた背中に声がして肩を震わせた。その震えが驚きだけではないことに私は自覚的だった。
振り返るとそこにはセガが立っていた。
「どうかした?」
「いえ。ただ、僕もそろそろ出ないといけないのでご挨拶をと」
「あ、うん、そう。もうそんな時間」
計画を詰めている時に知ったことだが、どうやら私は民衆の前に一人で立たないといけないらしいのだ。カンジャジャもユーノもそれぞれで重要な役割があって代えはきかず、そばにいることはできない。内容は教えてもらえなかったが、セガにもなんらかの任務があるようで、やはり私は一人になる。
どんなに心を強く保ってみても、どうしたって不安は募る。
有り体に言えば、怖かった。
「緊張してるんですか」
セガはそんな私を見て「らしくないですね」煽るように笑みを浮かべる。
「あなたに私のらしさが分かるのかしら」
しばしの黙考と逡巡を見せたセガは意を決したように口を開いた。
「あなたは太陽のような人です。奔放で強引でわがままで、自分の思った方向に他人を巻き込み振り回す。でも感情の機微に敏く、広く博愛的で寛容な、誰もがその背に付いていきたくなる、そんな人です。そしてその性格に自覚的でもある。
だからこそ不安なのでしょう。自分が民を率いて歩くことが。保身などではなく、もし仮に革命が失敗して、参加した者たちが厳罰に処されるかもしれないことが。もしそうなったら、責任は自分にあるのだと、その多くの命を背負って歩くことが、たまらなく恐ろしいのでしょう」
セガは早口で捲し立てるように言葉を並べた。実際、その通りだった。
見透かされていることに驚いて、反論の言葉を飲み込む。ただ同時に、それがお世辞や励ましのための嘘であっても、嬉しく思ったこともまた事実であった。
俯き黙る私に、セガは一つ、溜め息を吐いた。
「考えすぎです」
言って、頭に優しく手刀が下ろされた。悪漢などを殴り飛ばしたことはあっても殴り返されことはないし、ましてお父様にもぶたれたことはないのに。
私は思わず顔を上げていた。
「太陽が翳れば地上にいる者たちに不安が伝播します。笑っていてください、自信に満ち溢れていてください、例えそれが虚勢でもあなたらしく立っていてください。
大丈夫、必ず成功します。もし万が一失敗してもどうにかしてみせます。あなたが不安に思うようなことは起こさせません。約束です」
「あなたにそんなことができるの?」
「分かりません。でもやれるだけのことはやってみるという話です」
「でも、私は一人よ。支えがないと転んじゃうかもしれないでしょ」
「なにを急に乙女なことを言っているんですか。転んだら立ち上がるのがあなたでしょう。それに大丈夫です、僕がいるじゃないですか」
「どこに?」
「この同じ空の下に」
セガは腕を上げ、手首に着けたブレスレットを見せた。そこに書かれている文字を思い出して、私も自分のブレスレットに触れた。
「そうね。そうよね。もしダメだったら、今度こそ国外逃亡してやるわ」
「その意気ですよ。ついでに、もし逃げるなら僕もお供いたしましょう」
「いいわよ特別に許可してあげる」
心に掛かっていた雲は隙間から陽光が差し込み始め、徐々に散り散りになっていく。ただ、晴れようとしているのはあくまで私の心だけだ。私はこれから、この国そのものにかかった暗雲を晴らさないといけない。全員で、晴天の下に立つために。
「それでは、僕は行きますね」
「ええ、あなたも頑張りなさい」
「はい。ご武運を」
セガは柔らかく笑って頭を下げ、背を見せて酒場から出ていった。
バタン、と閉まるドアの内側に一人。しかし、不安はもうどこにもなかった。
/
時間通りに広場へと行くと、数えるのもうっとおしくなるほどの夥しい人だかりが出来ていた。この広場から王城へは通り一本の直進で行ける。国王陛下の葬儀参列のため、普段は閉ざされている貴族街とを隔てる門も今なら開きっ放しだ。
ではなぜ人々が動かないのかと言えば、その道を私が塞いでいるからである。
事前に用意していた台に上って、腰に手を当て、その時を待っていた。
もうそろそろだろうか、と思ったのと空砲が鳴ったのはほとんど同時だった。
ざわざわと困惑を思い思いに口にしていた人々が一斉に静まり返る。
私は真っ白なワンピースのスカートを持って、最上級の礼を執って見せた。
顔を上げれば、誰も彼もが私の一挙手一投足、言葉の一言一句まで逃すまいと目も耳も全神経すら向けていることがひしひしと伝わってくる。
一声だ。何を言うか。私のこの第一声に、全てが掛かっている。
私は大きく息を吸い込んだ。
「『カノン・アポクリファ男爵令嬢との婚約を破棄する』現第一王子のアクジバーレルが立太式前日の晩餐会で私に言い放った言葉です。
理由は他の女を抱いて好きになってしまったから。そして、自身の数々の悪事の罪を私にきせるためでした。あまりの理不尽と身勝手さに、その場にいた者たちは誰もが絶句し、そして、心労を痛めた陛下は亡くなってしまいました。
私は、許せない。
婚約者がいながら他の女と寝たこと? 違う。
謂れのない罪を私にきせようとしたこと? 違う。
陛下にもその祖先にも泥を塗るような行為をしたこと? 違う。
このような誠実さの欠片もなく、好き勝手にルールを捻じ曲げ自身の犯罪に寛容な、自分のことしか見えていない人間がこの国の、皆の王になることが、私には許せない。我慢ならないのです!
第一王子が国王になり、実権を握ったらどうなるか、想像してください。
重税につぐ重税で民を苦しめ、反乱の予兆であると判断された時点で例えそれが間違いでも理不尽に潰され、圧政を敷き抑圧しておきながら自身はのうのうと自由気ままに豪遊する。きっと、あたなたちが想像したのも似たような未来なのではないでしょうか。
私は、そんな未来を阻止したい。
あなたたちが苦しむ姿を見たくない。祖先たちが築き上げ育み守ってきたこの国を、愚王を担いでしまったことで滅びる姿を、私は、私は、考えただけで胸が張り裂けそうになってしまいます。
時おり、お忍びで城下に行っていまいました。気付いていた方もいるでしょう。でも、誰もが優しく丁寧で温かく、身分の違いなど気にせず、分け隔てなくこんな私も笑顔で受け入れてくれていた。
そんなあなたたちが、この国が、私は好きです。大好きです。愛している。
だからこそ、あなたたちには笑顔でいて欲しいのです。あなたたちの子々孫々に至るまで、豊かで明るく、笑いの絶えない国であってほしいのです。それらを守るのが、貴族たる私の役目であり責任でしょう。
ただ、私は弱い。吹けば飛ぶような弱い女です。私一人では、とてもじゃないけど、第一王子たちに立ち向かうことはできません。
でも、私は一人ではなかった。客入りの少ない暇そうなカフェの店主が、着せ替え人形みたいに服を着せてくるおばちゃんが、胡散臭い露店商のおじさんが。私には、この国の民が、あなたたちが付いているのだと。
お願いします。弱い私を助けてください。支えてください。横に並び立ち、共に歩いてください。私にはあなたたちの助けが必要なのです。
難しいことは何もありません。このまま王城に皆で赴き、私が逃げ出さないよう城の周りを取り囲んでほしいのです。皆が見える位置にほしいのです。それだけで私は、第一王子と対峙できましょう。
あなたたちには血の一滴たりとも流させないと誓います。欲しいのは、私を支えてくれる勇気です。前を向き歩けと背中を押してくれる覚悟です。
お願いします。どうか、私と共に」
シン、と世界から音が消えたみたいに静寂の帳が広場を包んでいた。
その静寂を破ったのは、闇ギルドの工作員か、はたまた感化された一般人か。
「お、俺はやるぞ! カノン様を支えてやる」
一つ、声が上がれば、その熱は伝播していく。
「そ、そうだな。よし、俺も!」
堰を切ったように人々が声を上げ、小さな火種は大火へと遷移していく。
「私も!」「あっしも!」「ウチも!」「僕も!」「おいらも!」
広場はすでに大合唱の様相を呈していた。このまま方向を示さず放置していては暴徒になり兼ねない。私が、導かないといけない。
私は足元に置いていた大きな旗を持ち、石突で台を打った。
正午を報せる鐘の音にも似た鈍い音が木霊して、喧騒と化していた声が一斉に鎮まる。世界は再び、私の言葉を待つように静止していた。
「あなたたちの思いはしっかり受け取ったわ。
でも、ありがとう、とはまだ言わないでおくわね。
全てが成功して、成し遂げた時こそ、一緒にお祝いしましょう。
さあ、声を上げ、足音を響かせ、私に続きなさい!
目指すは王城、第一王子を退陣させるわよ!」
「おお!」
怒号のような声が広場を揺らす。
私は台から下りて、旗を空高くに掲げ、皆を率いて先頭を歩き出す。
セガもこの光景をどこかで見ているだろうか。
そんなことが気になって見上げた空は、暗く覆っていた雲が切れ、所々から晴天を覗かせていた。
ううん、大丈夫。あなたもこの空を見ているのでしょう。それなら、私のやることは一つよ。
迷いの晴れた私の足は軽やかに王城を目指していた。
世界はそれを愛と呼ぶんだぜ




