第8話 海の向こうの人
第8話 海の向こうの人
「まずは、アンドレさんがどこにいるのか探しましょう」
リーサはテーブルの上に、エレノアから預かった古い写真を置いた。
写真の中では、若いアンドレが軍服姿で笑っている。
「手がかりになるものは、ほかにありますか?」
「これがあります」
エレノアの孫が、一通の古い封筒を差し出した。
「祖母がずっと大切に持っていたものです」
封筒には、薄くなった文字が残っていた。
差出人の名前。
アンドレ・ベルナール。
そして消印。
「これは……戦争中に届いた最後の手紙ですね」
リーサが封筒を裏返す。
「ええ」
エレノアは小さく頷いた。
「この手紙を最後に、連絡が途絶えました」
「中身は?」
「何度も読み返したので、全部覚えています」
エレノアは目を閉じた。
「『必ず帰る。待っていてほしい』……そう書いてありました」
リーサはしばらく黙っていた。
そして、タロットを並べる。
一枚。
二枚。
三枚。
さらにルーンを一つ。
「……ラド」
リーサが呟いた。
「やっぱり、移動を示しています」
猫が写真を覗き込む。
「つまり、アンドレは戦後もどこかへ移った?」
「その可能性が高いわ」
犬が鼻を動かす。
「古い紙の匂いしかしません」
「当たり前でしょう」
猫が呆れる。
「九十年前の紙から現在の匂いが分かったら、あなたは名探偵じゃなくて超能力犬よ」
「……それは無理なのか?」
「無理よ」
クマが腕を組んだ。
「俺なら分かるぞ」
「何が?」
「腹が減ったこと」
「それは能力じゃない」
---
リーサは目を閉じた。
そして、静かに手をかざす。
「少しだけ、過去の記憶をたどります」
淡い光が、テーブルの上に広がった。
古い駅。
軍服姿の若い男。
汽車。
そして、戦場。
映像は次々に変わっていく。
やがて――。
戦争が終わった。
アンドレは生きていた。
「……よかった」
エレノアの目から涙がこぼれる。
しかし、映像の中のアンドレは、故郷へ戻ってこなかった。
別の町へ移っていく。
そこで働き始める。
そして――。
一人の女性と出会った。
映像が止まった。
リーサの表情が少し曇る。
「……女性?」
エレノアが呟く。
リーサは頷いた。
「はい」
その女性とアンドレは、少しずつ親しくなっていった。
そして数年後。
二人は結婚した。
エレノアは黙って映像を見つめていた。
「……そう」
声が震える。
「結婚……したのね」
リーサは静かに魔法を解いた。
「まだ、すべてが分かったわけではありません」
「いいえ」
エレノアは微笑んだ。
「分かりました」
「エレノアさん……」
「彼は、生きていた」
彼女は胸元の写真を握りしめた。
「それだけでも……よかった」
けれど、その笑顔には寂しさがあった。
---
翌日。
リーサたちはアンドレの現在の居場所を探した。
古い記録。
戦後の住所。
仕事の記録。
そして、家族の情報。
いくつもの手がかりをたどって――。
「見つかりました」
リーサが一枚の紙を置いた。
アンドレは今も生きていた。
海から少し離れた静かな町。
そこに、長年暮らしている。
「……会えるんですか?」
エレノアが尋ねる。
「はい」
リーサは頷いた。
「ただ……」
「分かっています」
エレノアは先に答えた。
「彼には、彼の人生がある」
そして数日後。
エレノアは孫と一緒に、その町を訪れた。
リーサたちは少し離れた場所から見守った。
白い髪の老人が、庭に出てくる。
杖をついている。
その隣には、年老いた女性。
そして、その周りには子どもたち。
いや――。
「孫……でしょうか」
ウサギが呟く。
「もっといるぞ」
クマが数える。
「一、二、三……」
「数えなくていい」
猫が止める。
庭には、何人もの家族がいた。
笑い声。
食事の準備をする家族。
そして、老人の膝元に小さなひ孫が駆け寄ってくる。
「おじいちゃん!」
老人は嬉しそうに笑った。
「おお、どうした?」
その光景を見て、エレノアは立ち止まった。
アンドレだった。
九十年前に別れた恋人。
確かに、あの人だった。
顔は変わっていた。
髪も白くなっていた。
けれど――。
笑ったときの目だけは、昔のままだった。
「……アンドレ」
エレノアの口から、名前がこぼれる。
その声は届かなかった。
アンドレは家族に囲まれて笑っている。
とても幸せそうだった。
エレノアは一歩後ろへ下がった。
「会わないんですか?」
孫が尋ねる。
エレノアはしばらく黙っていた。
「……いいの」
「でも……」
「私は、彼を探してほしいと言った」
エレノアは静かに笑った。
「そして、見つかった」
もう一度、アンドレを見る。
「彼は……幸せなのね」
「はい」
「なら、それでいい」
そう言った瞬間――。
一筋の涙が頬を伝った。
「……ずっと待っていたのに」
声が震える。
「私は……ずっと、あの約束を信じていたのに」
孫が何も言えず、祖母の肩を抱いた。
エレノアは泣いた。
九十年間、心の奥にしまっていた涙だった。
---
その夜。
Cafe Lykkeに戻ったエレノアは、窓の外の海を見ていた。
「馬鹿ね、私」
「どうしてですか?」
リーサが隣に座る。
「九十年も待って……」
エレノアは笑おうとした。
「彼には、ちゃんと人生があった」
「はい」
「子どもがいて、孫がいて……ひ孫までいる」
しばらく沈黙が続く。
「私だけが……あの頃のままだったのね」
リーサは首を横に振った。
「いいえ」
「……え?」
「あなたも、ちゃんと生きてきました」
リーサは微笑む。
「教師として、多くの子どもたちを育てたのでしょう?」
「……ええ」
「それも、あなたの人生です」
エレノアの目から、また涙が落ちる。
「そう……ね」
その夜。
リーサはエレノアに一枚のカードを引いてもらった。
「最後に一度だけ」
「今度は何を占うの?」
「これからのあなたです」
エレノアがカードをめくる。
リーサが目を見開いた。
「……これは」
「どうしたの?」
カードは――。
『星』。
希望。
癒やし。
そして、新しい未来。
リーサはエレノアを見つめた。
「エレノアさん」
「はい?」
「あなたの人生には、まだ終わっていない物語があります」
「……私に?」
「ええ」
エレノアは不思議そうに首を傾げた。
リーサは、もう一枚のカードをめくった。
そこに描かれていたのは――。
『キング・オブ・カップス』。
「あなたを長い間、想い続けている男性がいます」
「……え?」
エレノアが固まった。
「そんな人……」
リーサは微笑んだ。
「本当に、心当たりがありませんか?」
エレノアは考え込む。
そして――。
遠い昔の学校の記憶が、ほんの少しだけ蘇った。
いつも近くにいた。
いつも自分を気にかけてくれていた。
でも、自分は気づかなかった男性。
「……まさか」
エレノアが呟く。
リーサは何も言わなかった。
海の向こうで、夜の灯りが静かに揺れていた。
九十年間、彼女が待ち続けた恋。
そして――。
彼女が気づかなかった、もう一つの恋。
その答えは、次の占いが教えてくれることになる。




