第18話 魔法使いの店主
第18話 魔法使いの店主
その日のCafe Lykkeは、珍しく静かだった。
海を眺めながら、リーサは一人で古い木箱を開けていた。
中には、古びたタロットカード。
小さなルーン石。
そして、一枚の色あせた写真が入っていた。
写真には、若い頃のリーサと、一人の女性が写っている。
「リーサ」
猫が写真を覗き込んだ。
「その人、誰?」
リーサはしばらく写真を見つめた。
「……私の母よ」
「お母さん?」
ウサギが驚く。
「リーサのお母さんって、初めて見た」
リーサは写真をそっと撫でた。
「私がまだ魔法を使えなかった頃の話をしましょうか」
4匹が集まってきた。
*
リーサがまだ十六歳だった頃。
彼女は森の近くにある小さな村で、母親と二人で暮らしていた。
母親の名前はエルナ。
薬草を育て、小さな畑を耕しながら暮らしている、優しい女性だった。
リーサには、昔から少し変わったところがあった。
人には見えないものが見える。
森の木々の声が聞こえる。
触れたものに残った記憶を感じることがある。
母親は、それを知っていた。
「リーサ」
「なに?」
「あなたの力は、人を怖がらせるためのものじゃないわ」
母親はいつもそう言っていた。
「困っている人がいたら、助けてあげなさい」
「どうやって?」
「まずは、その人の話を聞くの」
「魔法を使わなくても?」
「ええ」
母親は笑った。
「人はね、魔法よりも先に、誰かに話を聞いてもらうことが必要なときがあるのよ」
リーサは、その言葉を覚えていた。
けれど――。
十七歳の冬。
母親が病気になった。
「お母さん、大丈夫?」
「大丈夫よ」
「でも、顔が赤い」
「少し熱があるだけ」
最初は、ただの風邪だと思っていた。
しかし、何日経っても母親の熱は下がらなかった。
村の医師にも診てもらった。
薬も飲んだ。
それでも、少しずつ弱っていった。
「私、魔法で治せないの?」
リーサは泣きながら尋ねた。
母親は首を横に振った。
「あなたの魔法は、何でも治せる魔法じゃないのよ」
「じゃあ、どうして……」
「リーサ」
母親は娘の手を握った。
「私のことを助けようとしてくれているだけで、十分よ」
それでもリーサは諦めなかった。
森へ行き、薬草を探した。
古い魔法書を読み、夜遅くまで治癒の魔法を試した。
けれど、何もできなかった。
そして春が来る前に――。
母親は亡くなった。
*
母親を亡くしたリーサは、しばらく何もできなかった。
魔法書を開くこともできない。
タロットにも触れたくなかった。
「魔法なんて、何の役にも立たない……」
森の中で、一人泣いた。
そのときだった。
「……ねえ」
小さな声が聞こえた。
振り向くと、木の陰に一人の少女がいた。
「どうしたの?」
「お母さんと喧嘩したの……」
少女は泣いていた。
「家に帰りたくない」
リーサは少女の隣に座った。
「何があったの?」
少女は話し始めた。
学校で嫌なことがあった。
母親に分かってほしかった。
でも、うまく話せなかった。
最後には喧嘩になってしまった。
「本当は……」
少女は涙を拭った。
「お母さんに、大好きって言いたかったの」
リーサは胸が痛くなった。
母親に言えなかった言葉が、自分にもあったからだ。
「だったら、帰って伝えてみよう」
「……怒られないかな?」
「怒られるかもしれない」
少女が驚く。
リーサは微笑んだ。
「でも、言わなかったら、ずっと後悔するかもしれないよ」
少女はしばらく考えた。
そして立ち上がった。
「帰ってみる」
「うん」
「お姉さん、ありがとう」
少女は森を走っていった。
リーサはその背中を見送った。
その瞬間――。
少女の足元から、小さな光が生まれた。
光は森の中を進み、一本の細い道になった。
「……魔法?」
リーサは驚いた。
けれど、すぐに気づいた。
魔法を生んだのは、自分ではない。
少女自身だった。
帰りたい。
母親に伝えたい。
もう一度話したい。
その願いが、魔法になったのだ。
リーサは母親の言葉を思い出した。
――まずは、その人の話を聞くの。
リーサは涙を拭った。
「……お母さん」
初めて、母親の言葉の意味が分かった。
魔法は、人を無理やり救うためのものではない。
誰かが自分の足で前へ進むために、ほんの少し背中を押すものなのだ。
*
それからリーサは、タロットを学び始めた。
ルーンを覚えた。
魔法も少しずつ使えるようになった。
けれど、何より大切にしたのは――。
人の話を聞くことだった。
そして数年後。
リーサは海を見下ろす丘に、小さな家を建てた。
窓からは青い海が見える。
木のテーブル。
暖炉。
タロット。
ルーン。
そして、入口に小さな看板を掛けた。
Cafe Lykke
リーサは看板を見上げた。
「ここなら……」
母親の写真を胸に抱く。
「誰かが一人で泣かなくてもいい場所にできる」
それが、Cafe Lykkeの始まりだった。
*
現在。
リーサの話を聞き終えた4匹は、誰も何も言わなかった。
やがて猫が静かに尋ねた。
「だから、ここでは最初に話を聞くんだね」
「ええ」
リーサは頷いた。
「占いも魔法も、その後よ」
犬が言った。
「相談者自身が答えを見つけられるようにするため……」
「そう」
ウサギが写真を見る。
「じゃあ、この写真のお母さんが、Cafe Lykkeを作るきっかけだったんだ」
リーサは微笑んだ。
「そうね」
するとクマが手を上げた。
「俺は?」
「あなた?」
「俺はどうしてここにいるの?」
リーサは少し笑った。
「それは、もう少し先のお話」
「また俺だけ秘密!?」
クマが頭を抱える。
「気になるー!」
リーサは海へ目を向けた。
夕日が水平線に沈んでいく。
Cafe Lykkeには、まだ語られていない秘密がある。
そして――。
リーサがこの場所を一人で作ったわけではないことを、4匹はまだ知らなかった。




