第11話 いつも買っていたパン
第11話 いつも買っていたパン
森の奥にあるCafe Lykke。
その日、扉を開けたのは十六歳の少女だった。
「……ここが、Cafe Lykke?」
「ええ。いらっしゃい」
リーサが優しく微笑む。
少女は少し緊張した様子で、椅子に座った。
「お願いがあります」
「どんなお願い?」
少女は小さく息を吸った。
「私のお母さんを……探してほしいんです」
リーサは静かに頷いた。
「お母さんのお名前は?」
少女は首を横に振った。
「知りません」
「お父さんは?」
「それも……」
少女は膝の上で手を握った。
「私は養護施設で育ちました。施設にある記録では、私が生まれたとき、母は十六歳だったそうです」
「他には何か分かっている?」
「私が赤ちゃんの頃、母の両親が私を引き取ったことだけです」
少女は古い書類を差し出した。
そこには、少女の出生に関する最低限の記録しかなかった。
母親の名前も。
父親の名前も。
その後の住所も。
何も分からない。
「母が私を育てたくなかったのか、それとも……何か理由があったのか。それだけでも知りたいんです」
リーサは少女を見つめた。
「分かったわ。探しましょう」
テーブルにタロットを並べる。
一枚目。
――女帝。
母親。
二枚目。
――のカップの5。
失ったものへの悲しみ。
三枚目。
――カップの6。
遠い過去。
そして最後にルーンを一つ。
――オセル。
家族、故郷、受け継がれるもの。
リーサはカードを見つめた。
「あなたのお母さんは、あなたを忘れたわけではないと思う」
少女の目が揺れる。
「……本当?」
「ええ」
「じゃあ、どうして……?」
「それを確かめましょう」
リーサは少女の手を取った。
「あなたが生まれた十六年前へ」
◇
リーサが目を閉じる。
指先から淡い光が広がった。
Cafe Lykkeの景色が消えていく。
森も。
海も。
そして――
古い町並みが現れた。
「ここは……?」
「あなたが生まれた町よ」
少女が息を呑む。
魔法の光景の中を、リーサが歩く。
一軒の古い家。
その中に、十六歳くらいの少女がいた。
腕の中には、生まれたばかりの赤ちゃん。
少女――未来の母親は、赤ちゃんを見つめて泣いていた。
「……あなたが、私のお母さん?」
リーサは頷いた。
「そうね」
若い母親は赤ちゃんを胸に抱きしめる。
「大丈夫だからね」
震える声。
「お母さんが、ちゃんと守るから」
少女は目を見開いた。
「……守るって言ってる」
その直後、部屋に二人の大人が入ってきた。
母親の両親だった。
「その子は私たちが連れていく」
「嫌……!」
若い母親が赤ちゃんを抱きしめる。
「私が育てる!」
「あなたはまだ十六歳でしょう」
「それでも、この子は私の娘よ!」
「無理なのよ」
「お願い……!」
母親は泣きながら訴えた。
しかし、赤ちゃんは連れていかれてしまう。
少女はその光景を見て、涙をこぼした。
「……お母さん」
リーサは何も言わなかった。
魔法の景色が続く。
若い母親が一人になる。
ベッドの上に座り、泣いている。
そして――
小さな箱を取り出した。
中には、銀色のペンダント。
母親はそれを手のひらに乗せた。
「これだけは……」
涙を拭う。
「この子に残したい」
母親は赤ちゃんのもとへ行く。
小さな首に、そっとペンダントをつける。
「大きくなったら……」
震える手でペンダントを撫でる。
「これを見て、あなたのお母さんがあなたを愛していたことを思い出してね」
少女は口元を押さえた。
「……私が持ってる」
「え?」
少女は自分の胸元に手を当てた。
「同じペンダント……施設にいた頃から、ずっと持ってる」
リーサは頷いた。
「それが、あなたとお母さんをつなぐ証になるわ」
魔法の景色が消えていく。
◇
「じゃあ……母は、私を捨てたんじゃなかったんだ」
「少なくとも、今見た記憶からはそうは見えないわ」
「でも、どこにいるの?」
「もう一度、魔法を使いましょう」
リーサはペンダントに触れた。
「このペンダントが、あなたのお母さんと最後に一緒にいた場所を覚えているはず」
光が広がる。
古い家。
そして、その周辺の道。
一軒。
また一軒。
やがて――
小さな店が映った。
「パン屋……?」
少女が呟いた。
「十六年前のこの場所には、まだパン屋はなかったわ」
リーサが景色を動かす。
年月が流れていく。
十年前。
五年前。
そして現在。
同じ場所に、小さなパン屋が建っていた。
「ここ……」
少女が目を見開いた。
「私、このパン屋知ってる」
「え?」
「施設の近くにあるんです」
少女は少し笑った。
「よくパンを買いに行きます」
◇
翌日。
少女とリーサは、そのパン屋を訪れた。
小さな看板には、
Bakery Rose
と書かれている。
扉を開けると、焼きたてのパンの香りが広がった。
「いらっしゃい!」
店の奥から女性が顔を出す。
三十代前半。
明るい笑顔。
「まあ、あなた!」
女性は少女を見ると、嬉しそうに笑った。
「今日はいつもの?」
「うん。クロワッサンとチョコパン」
「はいはい」
女性は慣れた手つきでパンを袋に入れる。
「学校はどう?」
「まあまあ」
「また難しい顔してるわね」
「そんな顔してる?」
「してるしてる」
少女は笑った。
「おばさんこそ、昨日パン焦がしてたじゃん」
「あれは……新しい焼き方を試したの!」
「真っ黒だったよ」
「見なかったことにして」
二人で笑う。
少女にとっては、いつもの会話だった。
でもリーサは、女性をじっと見つめていた。
――十六年前。
この女性は、十六歳だった。
そして今。
目の前にいる。
リーサは確信していた。
この女性こそ――
少女の母親だ。
けれど、もう一つ問題がある。
母親本人は、まだ気づいていない。
目の前にいる少女が、自分が十六年前に産んだ娘だとは知らない。
そして少女もまだ知らない。
二人は、親子だと気づかないまま何度も会っていたのだ。
◇
パン屋を出たあと。
少女は不思議そうにリーサを見る。
「どうしたの?」
「……あのおばさん」
「うん?」
「あなたに、よく似ているわ」
「私に?」
少女は笑った。
「そうかな?」
リーサは答えなかった。
少女は首からペンダントを取り出す。
「これ……」
「ええ」
「母が赤ちゃんの私につけてくれたものなんだよね」
「そうよ」
少女はペンダントを握った。
「じゃあ……あのおばさんが?」
リーサは頷いた。
「確かめる必要があるわ」
◇
翌日。
少女は一人でパン屋へ向かった。
「いらっしゃい」
いつもの笑顔。
少女はペンダントを外した。
「おばさん」
「なに?」
「これ……見てもらっていい?」
女性はペンダントを手に取った。
その瞬間。
顔色が変わった。
「……これ」
「知ってる?」
女性の指が震える。
「どうして……あなたが……」
「これは、母が赤ちゃんの私につけたものなんです」
女性はペンダントの裏側を見た。
そこには、小さな刻印があった。
そして――
女性の目から涙が落ちた。
「……これ」
声が震える。
「私が……あの子につけたもの」
少女の呼吸が止まる。
「……え?」
女性は少女を見る。
十六年前の記憶が、一気に蘇る。
小さな赤ちゃん。
自分の腕の中。
「大きくなったら、これを見てね」
あの日の自分の声。
そして今。
目の前にいる少女。
「……あなた」
女性の唇が震えた。
「あなたなの?」
少女の目にも涙が浮かぶ。
「……お母さん?」
女性は両手で口を押さえた。
「……私の娘……」
次の瞬間。
女性は少女を抱きしめた。
「ごめんなさい……!」
「お母さん……!」
「ごめんね……。あなたを捨てたんじゃないの……!」
「うん……」
「連れていかれたの……。あなたがどこへ行ったのかも、教えてもらえなかった……」
「うん……」
「ずっと、会いたかった……」
「私も……」
二人は泣きながら抱きしめ合った。
十六年。
母は娘を探していた。
娘も母を探していた。
なのに二人は――
ずっと同じ町にいた。
そして少女は、何度も母親のパン屋へ通っていた。
◇
夕方。
Cafe Lykke。
少女がリーサに笑顔で報告する。
「お母さんと、また会う約束をした」
「そう」
「明日もパン屋に行く」
「パンを買いに?」
「うん」
「お母さんに会いに?」
少女は笑った。
「両方」
カウンターの向こうでクマが手を上げる。
「じゃあ俺も行く!」
猫が振り返った。
「何しに?」
「パンを買いに」
「あなたは買わずに食べるでしょう」
「……バレたか」
リーサが笑う。
窓の外では、海が夕日に輝いていた。
十六年離れていた母と娘。
けれど二人の距離は、本当はずっと近かった。
同じ町で。
同じ道を歩き。
同じパン屋で笑っていた。
ただ、お互いが親子だと知らなかっただけ。
そして今日。
ようやく二人は――
母と娘として出会うことができた。
クマが呟く。
「……で、明日は何パンを買う?」
猫がため息をついた。
「感動を返して」
「パンは感動するぞ」
「そういう意味じゃない」




