↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
22/28

第22話

眩い陽光が視界を白く染め上げた。


 迷宮の出入口を取り囲む石造りの大門をくぐり抜けた瞬間、乾いた風が頬を撫でた。地下特有の淀んだ空気ではなく、地上の埃っぽくも生きた大気だ。俺のすぐ後ろを歩いていたガルドが、足をもつれさせて石畳へ倒れ込むようにへたり込んだ。


「……あ、あぁ……生きて、戻れた……」


 泥と返り血に塗れた大男は、かつて見せていた傲慢な光を完全に失った濁った目で、青空を見上げていた。ミレーヌやギルバード、ザックたちも同様だ。武器を杖代わりにし、全身を震わせながらその場に崩れ落ちている。かつて栄光を極めた者たちの威容はどこにもない。そこにあるのは、死の淵から這い出してきた無残な残骸だけだった。


 周囲の詰所にいた衛兵や冒険者たちが、異変に気づいてざわめき始める。


「おい、あれは……最深部で消息を絶ったはずの精鋭たちじゃないか!?」

「まさか、本当に生きて帰ってきたのか!?」


 歓声と驚愕の入り混じる喧騒の中、足音を響かせて駆け寄ってくる人影があった。

 深い藍色の髪を揺らし、仕立ての良い事務服を着こなした少女――リゼだ。その後ろには事務所の仲間たちの姿もある。リゼは群衆を涼しい顔で掻き分け、倒れ伏すガルドたちには目もくれず、真っ直ぐに俺の前へと歩み寄ってきた。


「お帰りなさいませ、アレンさん。予定時刻より三分早いご帰還ですね。素晴らしい業務遂行能力です」


「ああ。道中の障害をあらかじめ排除しておいたからな。特に遅れる要素はなかった」


 俺が応じると、リゼは微かに目を細めて微笑んだ。その瞳には、俺の無事を確認した安堵の色と同時に、すでに次の標的を捉えた冷徹な光が宿っている。


「顧客の皆様の生命反応も維持されているようで何よりです。……さて、命を拾った対価をお支払いいただく時間ですね」


 リゼは胸元から革張りのファイルを取り出し、背後のギルド職員たちへ視線を向けた。その声音は極めて丁寧でありながら、周囲の騒音を一瞬で鎮めるほどの冷たさを帯びていた。


「ギルド長室、並びに支援者バルバロス卿がお待ちの特別応接室へご案内願えますか? 業務完了の報告と、正規の報酬決済を行わせていただきます」


 息を呑むギルド職員たちに先導され、俺とリゼはギルド本部の最上階へと向かった。


◆ーーーー◆


 重厚な扉が開くと、広々とした応接室の奥に二人の男が座っていた。

 一人は机に肘をつき、険しい表情を浮かべる大柄なギルドマスター。もう一人は豪奢な毛皮の外套を羽織り、落ち着かない様子で指輪を擦り合わせている貴族――バルバロス卿だ。


「おお……! アレン、戻ったか! ガルドたちは無事なのか!?」


 バルバロス卿が弾かれたように立ち上がり、俺たちに詰め寄ろうとした。焦燥で顔を赤黒く上気させ、尊大さと動揺を隠しきれていない。多額の出資を行ったパーティが壊滅すれば、自身の名声も財産も失墜するのだから当然の反応だろう。


「ええ、五名全員、地上へ無事にお連れいたしました」


 俺の代わりに前へ出たのはリゼだった。彼女は深々と完璧な角度で一礼し、机の前に進み出る。


「五体満足での生還です。迅速な保護と搬送により、後遺症の心配もございません。――つきましては、救助業務完了に伴う精算をお願いいたします」


 リゼは携えていた黒革のファイルを開き、一枚の羊皮紙を取り出して机の中央へ滑らせた。


 その紙面は、禍々しいほどに鮮烈な深紅に染まっている。ギルド最高位の権限においてのみ発行される、絶対遵守の魔法契約書。紙面に刻印された魔力紋様が、微かな脈動とともに赤褐色の光を放っていた。


「なっ……なんだ、その書類は……!?」


 バルバロス卿が怪訝そうに眉をひそめ、紙面へと目を落とす。そこに記された条項と、末尾に記されたガルド自身の血文字による署名、そしてギルド公認の捺印を見た瞬間、彼の顔色が青ざめた。


「な、何だこの金額は……!? 全財産の差し押さえに将来の探索報酬の九割回収……さらに、我が家への救助委託金として白金貨百枚だと!? ふざけるな! いくら救助を頼んだとはいえ、こんな法外な額が通るはずがなかろう!」


 机を叩いて激昂するバルバロス卿に対し、リゼの表情は微動だにしなかった。氷のような笑みを口元に張り付かせたまま、淡々と事実を突きつける。


「法外、でございますか? 事前にお交わしした委託状において、バルバロス卿は『費用は言い値で構わない』と明記され、正式な印鑑を押印されております。また、現場での救助に際し、当事者であるガルド様ご自身がこの深紅の契約書へ自由意志によって血判を押されました。何か不備がございますでしょうか?」


「ぐっ……そ、それは、緊急時ゆえの脅迫のようなものだ! 命の危険がある極限状態で結ばれた契約など、公序良俗に反して無効であると主張できるはずだ!」


 バルバロス卿はギルドマスターへと助けを求めるように視線を向けた。


「おい、ギルドマスター! 貴様からも何か言ってやれ! このような悪質な取り立てを、冒険者ギルドが認めるわけにはいかんだろうが!」


 水を向けられたギルドマスターは、重々しく腕を組み、深く息を吐き出した。


「……バルバロス卿。この深紅の契約書は、迷宮深層における生存率ゼロの案件に限り、救助者の絶対的な権利を保護するためにギルド本部が認可した最高位の特例書式だ。そこに血判が刻まれた以上、神殿の盟約と同じ強制力を持つ。ギルドの規約上、これを覆すことは誰にもできん」


「な……っ!?」


「命の値段に値引きはありません」


 俺は静かに口を開いた。バルバロス卿の血走った目が俺を射抜く。


「最深部からの帰還がどれほどの危険とコストを伴うか、あんたも知っているはずだ。準備も知識も持たずに突っ込んで遭難した連中を、確実に生きて連れ戻した。その結果に対する正当な対価だ。一ルピたりとも負ける気はない」


「き、貴様ら……グルだな!? 最初から私とガルドたちを陥れるために仕組んだ罠だ! こんな理不尽な請求、絶対に支払わんぞ! 司法省へ訴え出て、貴様らの営業許可を取り消させてやる!」


 喚き散らし、契約書を破り捨てようと手を伸ばすバルバロス卿。だが、その動きを遮るように、リゼがもう一束の分厚い書類を机の上に叩きつけた。


 バサリ、と乾いた重い音が室内に響く。


「……司法省への提訴、ぜひご検討くださいませ」


 リゼは冷徹な光を湛えた瞳で、バルバロス卿を見据えた。


「その際には、こちらの書類も併せて法廷に提出させていただくことになりますが」


 バルバロス卿の視線が、新たな書類の表題に吸い寄せられた。そこに並んでいたのは、彼自身が裏で手を引いていた不正取引の数々――迷宮監査官への賄賂提供、未公認物資の密輸記録、そしてガルドのパーティを優遇させるために改ざんされた迷宮探索ログの写しだった。


「な、な……なぜ、これを貴様らが……!?」


 バルバロス卿の唇が小刻みに震え、額から大粒の汗が吹き出す。


「当事務所の情報収集能力を過小評価していただいては困ります」


 リゼは一歩前へ歩み寄り、机に両手をついて貴族を見下ろした。その声には一切の慈悲が含まれていなかった。


「あなたが長年、ギルド監査官と結託して不当な利益を得ていた証拠です。この契約を不履行とし、法廷で争うというのであれば、私たちは即座にこれらを全ギルドおよび王都の査問委員会へ公開いたします。そうなれば……差し押さえられるのはガルド様たちの資産だけでなく、あなたの爵位と全領地になるかと存じますが?」


「ひっ……!」


 バルバロス卿の喉から、みっともない悲鳴が漏れた。逃げ道は完全に塞がれていた。魔法的な強制力を持つ契約書と、自身の破滅を決定づける不正の証拠。その二つを前に、貴族としての尊大さは粉々に砕け散り、男の顔は死人のように真っ白に染まっていた。


 リゼは冷然と微笑み、机の上へ万年筆を滑らせる。


「さあ、バルバロス卿。お支払いの承認印をいただけますでしょうか。お時間は取らせません」


 震える手でペンを拾い上げようとする貴族の背中は、もはや先ほどの威圧感を完全に失っていた。だが、これで全てが終わったわけではない。俺たちが手に入れたのは、まだ入り口の権利に過ぎなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。