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第31話 歌の意味

 曲が終わった。


 拍手の地鳴りが会場を揺らしている。とてつもない歓声。それに加えて、世界中の配信視聴者からのコメント。私の技術が、確かに届いた証拠だ。


 でも、私の目は舞台の上にいる一人の少女に釘付けだった。


 駒路姫乃。直前になってテーマを変えたいと言ってきた。


 『嫉妬』——それが、彼女の選んだテーマだった。


 車椅子に座ったまま、観客の喝采を受け止めている。その横顔は、凪いでいた。


 何かが、おかしい。


「……お疲れ様」


 舞台袖に戻った姫乃に声をかけると、ゆっくりと顔を上げた。その目が、僅かに潤んでいる。


「最後の演出、勝手に変えてしまって申し訳ない」


「……リハーサルと違ったから、びっくりしました」


「まあ、色々考えがあって」


 私は自分の手元にも黄色の魚を表示する。


「この子たち、ユーザーごとに個性が違うでしょ。今日のライブが終わった後も、持ち主のスマートグラスに残るようにしてあるの。いわば、広告塔。『Aggressive Reality』の体験者が、他のユーザーにもSNSなどを通じて、今日の体験を共有できるように」


「……つまり、生きた広告」


「そう。この子たちには、しばらく働いてもらわないと困るのよ」


 本心だった。でも、当初の予定通り消すのを躊躇った理由は、自分でもよくわからない。


 そして、珍しく、自分でも満足できる結果だった。


 なのに——姫乃の表情が、晴れない。


「……先生」


 姫乃の声が、震えていた。


「先生は、どこにでも行ってください」


「……え?」


 意味がわからなかった。


「izanagiでも、G社でも。……今日の演出、すごかったです。世界中の人たちと繋がる先生の技術を見て。私なんかが、先生を独占しちゃいけないって、わかったんです」


 姫乃は、真っ直ぐに私を見ていた。泣きそうな顔で、それでも言葉を続ける。


「私は——もっと実力をつけます。いつか先生に、本当の意味で選んでもらえる歌手になります。だから、今は——」


 姫乃の声が詰まる。涙が、彼女の頬を伝った。


「——今は、先生の邪魔を、したくないんです」


 沈黙が、落ちた。


 私は、姫乃の言葉を咀嚼していた。


 邪魔。独占。どこにでも行っていい。


 ——この子は、何を言っているんだろう。


 私は、呆れたようにため息をついた。


「……何か勘違いしてるみたいだけど」


「……え?」


「私、izanagiには戻らないよ」


 姫乃の目が、見開かれた。


「あんな不自由な場所、二度と御免だわ」


「そ、それじゃあ、G社に……?」


「それも無理」


 言いたくなかった。でも、この子の勘違いを解くには、これしかない。


「……これはあまり言いたくなかったんだけど」


 私は、少しだけ目を逸らした。


「私、飛行機が怖いんだ。だから海外なんて、行こうとも思わない」


 姫乃が、涙を流したまま固まった。……その顔は、やめてほしい。


 それに、曖昧なままにしておくのは、私の性に合わない。


「じゃあ、これを機に宣言しておきます」


 私は、正面から姫乃を捉える。


「私は別に、どこかへ行くつもりなんてない」


「……」


「だってそうでしょう。こんなに楽しいことを捨ててまで、他にやりたいことなんてないんだから」


 楽しい。


 その言葉が、自然と口から出た。


 izanagiにいた頃は、こんな言葉を使ったことがなかった。技術は面白かった。でも、「楽しい」とは違った。


 今は、違う。


 この小さな研究室で、わけのわからない演出を考えて、車椅子の少女の歌に合わせて世界を作り変える。それが——楽しい。


「先生……」


 姫乃の涙が、止まらなくなっていた。嗚咽が漏れる。


「……先生。やっぱり、私の歌の良さって、分からないですか?」


「……泣きながら聞かれても、答えに困るんだけど」


 私はポカンとした顔をしていたと思う。この子は、泣きながら何を聞いているんだろう。


 でも——答えなければならない気がした。


「……さっきの質問だけど」


 私は、言葉を選びながら言った。


「私はやっぱり、歌の良し悪しなんて分からない。だって、私にとって歌は——」


「非言語的なコミュニケーション・ツールでしかない。……ですよね?」


 姫乃が、先回りして言った。


「……ああ」


 私は頷いた。それは本当のことだ。音楽の良し悪しなんて、私には判断できない。


 でも——。


 姫乃が、車椅子をわずかに進めた。私の顔を、覗き込むように。


 涙の跡が残る顔。でも、その目は——笑っていた。


「先生。知っていますか? 歌には、もう一つの意味があるんですよ」


「……なに?」


 姫乃が、微笑んだ。


 脅迫でも、演技でもない。ただの「駒路姫乃」としての、まっすぐな笑顔。


「——それは、『求愛行動』です」


 私の眉が、ピクリと跳ねた。


「チャールズ・ダーウィンは、音楽は鳥のさえずりと同様に、異性を惹きつけるための求愛行動として進化したという説を提唱したんです」


 姫乃の目が、真っ直ぐに私を捉えている。


「わかりますか? これは私から志保先生への、全力の求愛行動です」


 ——思考が、止まった。


 求愛行動。


 心拍数が、跳ね上がるのがわかった。


 言葉が出ない。反論が浮かばない。技術者としての正論が、何一つ組み立てられない。


 姫乃は、まだ笑っている。泣いた跡の残る顔で、勝ち誇ったように。


 ——ああ。


 私にとっての「歌」の意味が、塗り替えられてしまった。

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