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第25話 夏③

「今夜は、おまちかねのバーベキューです」


 別荘に戻るなり、早智が宣言した。


 海から引き上げた私たちは、シャワーを浴びて砂と塩を落とし、リビングに集まっていた。窓の外では、夕陽が水平線を橙色に染め始めている。


「もうお腹ぺこぺこです」


「待ってました!」


 姫乃とぬかしーさんが声を揃える。


「食材は昨日のうちに届けてもらってます。テラスにバーベキューセットも常設なので、準備は楽ですよ」


 さすがは早智だ。この合宿の段取りは、すべて彼女が組んでいる。初日は遊び、二日目と三日目は缶詰で作業。食事のメニューまで事前に決まっていた。私は研究以外のロジスティクスに関しては壊滅的なので、こういう人材は本当にありがたい。


「じゃあ、手伝うよ」


「志保ちゃんは座っててください」


「……なんで」


「前科がありますから」


「解凍する時間がもったいなかったから、時短と思って、冷凍マグロをそのまま天ぷらにしようとしただけでしょ。失敗はその一回だけで……」


「一回でも情状酌量の余地なしです」


 反論の余地を与えない笑顔だった。


 ……何が問題だったのか、いまだによくわからない。効率的だと思ったんだけど。


 私は諦めて、テラスに出てベンチに腰を下ろした。潮風が心地いい。隣には、すでに姫乃が座っている。


「先生も追い出されたんですね」


「姫乃もか」


「私は邪魔だからじゃないですよ!曲作りを始めておいてって言われたんです」


「……そう」


 二人並んで、働く二人の背中を眺める構図になった。姫乃は大事な仕事を任されていて、私は戦力外通告。なんだか居心地が悪い。


 それにしても、海の疲労というのは、独特だ。


 全身を使って泳いだわけでもないのに、潮風と日差しと波の音が、じわじわと体力を削っていく。シャワーを浴びて砂と塩を落とし、テラスのベンチに腰を下ろしたところまでは覚えている。


 そこから先の記憶が、曖昧だった。


 早智とぬかしーさんが何か話していた気がする。姫乃が隣で何か言っていた気もする。私は相槌を打っていたような、打っていなかったような。夕陽が海を橙色に染めていく光景をぼんやり眺めているうちに、意識が溶けていた。


「志保ちゃん、起きてください。お肉焼けましたよ」


 早智の声で、ようやく浮上する。


 目の前には、湯気を立てる皿が並んでいた。香ばしい炭火の匂い。艶やかに焼き上がった肉。いつの間にか切り揃えられた野菜。焼きおにぎりまである。


「……いつの間にか寝てた」


「志保ちゃんが意識飛ばしてる間に、全部終わりました」


「手伝うって言ったのに」


「そうして静かにしてくれていたので、無事に終わりました」


「先生の寝顔かわいかったですよ」


 隣から姫乃の声。私は無言で缶ビールを開けた。もちろんノンアルコールだ。


「いただきます」


 姫乃が早速肉に手を伸ばす。幸せそうな顔で頬張っている。私も一切れ口に運んだ。炭火の香ばしさが、肉の旨味を引き立てている。


「……美味い」


「でしょう?ぬかしーさんの下ごしらえが上手いんですよ」


「意外でしょ?一人暮らし長いと、こういうの慣れるんですよ」


 ぬかしーさんが串に刺した肉を頬張りながら言った。


「インドア派恐るべし」


「インドア派だからこそ、です。外食より自炊の方が、家から出なくていいんで」


 なるほど。筋は通っている。


 二杯目のビールを開けたところで、私は切り出した。


「さて。明日から本気出すとして、博覧会まで約1カ月。やることは山積みです」


「新曲と、アートワークと、AR演出ですよね」


 姫乃が指を折りながら確認する。


「それらが、まだ、なにも決まってません。なので一番重要なのは——」


「新曲、ですよね」


「ええ、今回はそれにテーマも設定しようと思ってるの」


「テーマ、ですか?」


「今回はこの四人で同じ方向を向いてライブを作ろう思う。それに――」


「それに?」


「私自身もやってみたいことがあるし」


izanagi3.0に触れてみて、このシステムの可能性を試したくなったってのが本音だ。


「わたしは今回も、姫乃ちゃんの曲が出来たら超特急で仕上げますので!」


「ええ、頼りにしてる。報酬は据え置きで、システムのプライベート使用も込みってことで」


「……そういう含みを持たせるのやめてください!」


「何も言ってないけど」


「言ってます!目が!目が全部言ってます!」


 ぬかしーさんが項垂れる。先ほどの巻き込み事故がよほど堪えているらしい。


「そういえば、志保ちゃん」


 早智が箸を止めて口を開いた。


「そのテーマって志保ちゃんが決めるんですか?」


「いいえ。テーマは姫乃に決めてもらおうと思ってる」


「私、ですか?」


「そう。チーム・リラの方向性を決めるのは、怪物でないと」


 姫乃が手元のグラスを見つめた。中身はオレンジジュースだ。


「また私のこと怪物って……それなら、今回はあまり激しくないやつがいいです」


「激しくないやつ?」


「だって、前回もそうでしたけど……私の曲って、不満とか怒りとかばっかりじゃないですか」


 姫乃の声が、少しだけ小さくなった。


「今回は、違う方向性で歌ってみたいなって」


「バラードとかってことですか?」


「うーん……そこまで具体的じゃないんですけど」


 私は黙ってビールを一口飲んだ。


「姫乃がそう思うなら、それでいいんじゃない?」


「……先生は、こうした方がいいとか、ないんですか」


「ない。私は技術屋だから。姫乃が歌いたいものを、最高の形で届けるのが仕事」


 姫乃は窓の外に視線を向けた。夕陽が水平線に沈みかけている。


「……今日、海に浮かんでて思ったんです」


「うん」


「歩けなくなってから……こんなに楽しかったの、初めてかもしれないって」


 姫乃の声が、少しだけ震えた。


「みんなで泳いで、浮き輪に乗って、くだらないことで笑って。……こういうの、もう一生できないと思ってたから」


 その横顔には、いつもの「お姫様」の甘さはなかった。


「だから——今回のテーマは『海』にします。この思い出を、曲にしたいんです」


「海、か」


 私は頷いた。悪くない。


「ざっくりだけど、テーマは決まりね。細部は明日以降詰めればいい」


 私はビールを飲み干した。

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