第2話 春②
私の歌は、同情で評価されている。
それは確信に近い諦めだった。動画のコメント欄でも、路上ライブでも、観客は私の歌が終わると決まって称賛を投げてくる。でも、その全ては私の「境遇」に向けられたものだ。
才能なんて関係ない。技術なんてどうでもいい。彼らが見ているのは、旋律ではなく「車椅子なのに頑張っている可哀想な少女」という物語。私はただ、彼らの善意を満たすための道具でしかない。
それでも私は歌を捨てられない。
だから私は、歌手活動を休止しても諦めきれずにいる。どうせ評価されるのは「境遇」なのだから、せめて、親元を離れて自立してやろうと——そんな、半ば自棄に近い動機でこの大学への進学を決めた。
大学構内の並木道。朝の空気は冷たく、思考が研ぎ澄まされる。 視界の端では、ARグラスが推奨ルートを緑色のラインで示し、頭上には「新入生歓迎!」の派手なデジタル看板がいくつも浮かんでいた。あまりにカラフルで情報量の多さに、私の意識は自然と目を逸らす。
——その時だった。
ガクン、と視界が揺れた。情報のレイヤーに気を取られて、現実の植え込みに気づかなかった。車椅子のタイヤが植え込みに食い込み、前進を拒む。
『警告:前方に段差があります。走行にご注意ください』
一拍遅れて浮かんだ黄色い警告マークを、私は睨みつけた。遅いのよ。
「クソッ!なんで、動かないのよ!」
周囲に人の気配はない。朝が早すぎたのだ。車椅子を前後に揺すってみるが、タイヤは食い込むばかりで、びくともしない。
「……手伝いますよ」
背後から、淡々とした女性の声が届いた。私は慌てて振り返ろうとして、車椅子が動かないことを思い出す。代わりに声のトーンを整えて、可愛らしく答えた。
「あ、ありがとうございます。助かります」
演技だ。こうやって「良い子」を演じれば、相手は気持ちよく助けてくれる。それが世の中というものだ。
「押しますね」
「いえ、タイヤが食い込んでいるので、引いてもらえますか?」
「わかりました。それじゃあ、引きますね」
車椅子が後ろに引かれ、タイヤが解放される。私はようやく振り返って、助けてくれた人にお礼を言おうとして――言葉を失った。
白衣を雑に羽織った女性だった。乱れた髪からは、どこか退廃的な空気が漂っている。だが、何より目を引いたのは、その視線だった。
彼女は私を見ていた。けれど、車椅子など視界に入っていないかのように、ただ私の顔だけを、どこか品定めするように見ている。
「猫被るの、下手ですね。さっきのままでよかったのに」
笑うようにそう言った彼女の顔が、あまりに整っていた。そして何より――私を憐れんでいなかった。
十八歳の春。私はその目から、視線を逸らせなくなった。
◇◇◇
「開けてくれて助かったわ。鍵、どこで落としたんだか」
スマートグラスでの早智との通話。シャワーを浴びて着替えただけなのに、もう眠気が襲ってくる。徹夜三日目の朝は、人間の限界を試されている気分になる。
『いいですよー。私がいなかったらどうするつもりだったんですか』
早智の声が、呆れと心配を半々に混ぜて響く。
「どうにかなったんじゃない?窓から入るとか」
『三階ですよ?死にますって』
「冗談。……お礼にコンビニで好きなの買ってきていいから」
『本当ですか!じゃあ、行ってきます!』
弾んだ声とともに通話が切れる。現金な子だ。
私はARグラスを外し、デスクに放った。サーバーラックの低い唸りだけが、薄暗い研究室を満たしている。
鍵、どこで落としたんだろうか。シャワーを浴びに家に帰る時には確かに持っていた。となると、道中か。それとも今朝、あの新入生を助けた時か。
早智が見せてきた映像の少女。『車椅子の歌姫』。転倒しても歌い続けた、あのライブ映像。笑っているのに笑っていない目。歌っているのに歌っていない声。
今朝、植え込みにはまっていた彼女は、あの映像と同じ目をしていた。
まあ、どうでもいいことだ。赤の他人だ。
私は目を閉じた。
——ノックの音。
目を開ける。五分も経っていない。早智にしては早すぎる。
「どうぞ」
扉が開く。
——早智じゃなかった。
車椅子に乗った少女が、研究室の入り口で私を見つめていた。今朝の、あの子だ。
「あ、見つけました。園田志保准教授」
妙に達成感のこもった声。私は椅子の背もたれに体を預けたまま、彼女を見返した。
「あー、今朝の」
「駒路姫乃です。これ、届けに来ました」
彼女が差し出したのは、見覚えのある鍵だった。ラバーダックのキーホルダーが、ぶら下がっている。
「……ああ、助かる」
私は立ち上がり、鍵を受け取った。やはり今朝、落としていたらしい。
「ありがとう」
「いえ」
用件は済んだ。普通なら、ここで帰るはずだ。
なのに、駒路姫乃は動かない。車椅子を研究室の入り口に止めたまま、私をじっと見ている。
「……ところで、どうやってここがわかったの?」
私が尋ねると、彼女は一瞬だけ言葉に詰まった。
「……ARグラスの事故録画機能です」
「事故録画?」
「車椅子が植え込みにはまった時、自動的に録画が始まってて。あなたの顔が映っていたので、顔認識検索をかけました」
私は思わず眉を上げた。
「……恐っ」
「え?」
「これだから現代っ子は。顔検索で人を探し出すとか、普通にやるんだ」
呆れたような声が出た。技術を作る側の人間として、使われ方に驚くことは珍しくない。でも、こうやって自分が検索される側になると、なかなかに背筋が寒い。
すると、駒路姫乃は少しムッとした顔になった。
「あなただって、こんな薄暗くて怪しいところで何やってるんですか」
彼女の視線が、研究室の中を巡る。低く唸るサーバーラック。散らかったデスク。半分閉じられたブラインド。蛍光灯だけが落とす無機質な光。
確かに、人に見せられる状態じゃない。
「研究」
私はあっさりと答えた。
「ここは私の城だからね」
「……ずいぶんみすぼらしい城ですね」
遠慮のない言葉。さっきの「可愛らしい声」は消えて、素の棘が出ている。
——面白い子だ。
「せっかくだから、私の研究みてく?」




