第14話 新曲①
2032年のゲームセンターは、私が学生だった頃とは別の生き物になっていた。
かつては不良のたまり場だの、薄暗い社交場だのと揶揄されたこの空間は、今やARデバイスの普及によって「体験型エンターテインメント施設」へと脱皮を遂げている。筐体の周囲には拡張現実のエフェクトが踊り、プレイヤーの一挙手一投足に合わせて空間そのものが演出装置と化す。照明は明るく、客層も家族連れからカップル、果ては老夫婦まで幅広い。
——とはいえ、この店は少し毛色が違った。
日本橋の路地裏。外観だけは昭和の残り香を漂わせる、古びたゲームセンター。看板のネオンは半分切れかかり、入口の自動ドアは微妙に軋む。中に入ると、最新のAR筐体と、骨董品のようなレトロ筐体が無秩序に同居していた。
「……ここ、ですか」
車椅子を押しながら店内を見回す姫乃が、困惑した声を漏らす。
「ぬかしーさんから『この時間はもっぱらここにいる』って連絡が来たの。常連らしいわよ」
私はスマートグラスに表示された店内マップを頼りに、奥へと進んだ。レトロゲームの電子音と、最新筐体の重低音が不協和音を奏でる中、ひときわ古い筐体の前に人影があった。
小柄な女性だった。パーカーのフードを目深に被り、筐体に食らいつくように画面を睨んでいる。指先だけが異常な速度で動き、画面の中ではドット絵のキャラクターが敵を薙ぎ倒していく。
「……ぬかしーさん?」
声をかけると、女性の指が止まった。画面に「GAME OVER」の文字が浮かぶ。
「あー……」
振り返った顔は、二十代後半くらいだろうか。眠そうな目と、どこか気怠げな雰囲気。けれど、私の顔を見た瞬間、その目が一瞬だけ鋭くなった。
「園田志保さん、ですよね。……SNSで見た」
「初めまして。連絡していた園田です」
「知ってます。ていうか——」
ぬかしーさんは筐体から離れ、私の前に立った。フードの奥から覗く目が、好奇心で光っている。
「あのライブ映像、見ました。折り紙みたいに世界が変わるやつ。……一度、会ってみたいと思ってたんですよね」
意外だった。こちらから売り込むつもりだったのに、向こうから興味を示してくるとは。
「光栄ね。それなら話が早い——」
「で、依頼ってなんですか?」
ぬかしーさんは、ポケットに手を突っ込んだまま、単刀直入に聞いてきた。
「女の子のイラストですか?キャラデザ? それともLive2D用の素材?」
彼女は淡々と選択肢を並べる。
「背景を描いてほしいの」
私の言葉に、ぬかしーさんの眉がぴくりと動いた。
「……背景?」
「ええ。重厚な、世界観を構築するような背景イラスト」
沈黙が落ちた。ゲームセンターの喧騒が、急に遠くなる。
「……それ、私じゃなくていいですよね」
ぬかしーさんの声が、少しだけ硬くなった。
「私、基本的にキャラ屋なんで。背景とかメカとかは専門外、知り合いにも背景専門の人、いくらでもいますよ。私は——」
「あなたの昔の絵を見たの」
私は、スマートグラスから一枚の画像を彼女の視界に送った。
廃墟の遊園地。錆びついた観覧車。夕焼けに溶ける空。——さっき、姫乃にも見せたあの絵だ。
「これ……」
ぬかしーさんの目が、わずかに見開かれた。
「私がまだ学生の頃に、課題で出した……」
「キャラがいなくても、世界が息をしている。色彩の選び方、光の角度、空気の密度——全部が計算されてる。あなたは自分を『キャラ屋』だと言うけれど、私が見たいのはこっちの才能なの」
ぬかしーさんは、しばらく黙って画像を見つめていた。
そして——首を横に振った。
「……無理です」
「理由を聞いても?」
「これ、描いたのだいぶ昔ですよ。今の私は、こういうのを求められてない。市場が求めてるのは可愛い女の子で、私もそれに応えてきた。今さら——」
「一度、うちの大学に来てくれない?」
私は、彼女の言葉を遮った。
「見せたいものがあるの。それを見てから、断るなら断って」
ぬかしーさんは、困ったような顔をした。けれど、好奇心が勝ったのだろう。小さくため息をついて、頷いた。
「……まあ、見るだけなら」
◇◇◇
翌日。園田研究室。
ぬかしーさんは、サーバーラックが唸る薄暗い部屋を物珍しそうに見回していた。
「ここが……あのライブを作った場所」
「狭くて汚いでしょ」
私は彼女にスマートグラスを手渡し、装着を促した。
「まずは、これを見て」
指先でスイッチを入れる。瞬間——研究室の壁が、折り畳まれ始めた。
あの日のライブと同じだ。現実が紙のように折り目をつけられ、幾何学的に変形していく。天井が三角形に畳まれ、床がめくれ上がり、すべてが一点に収束して消えていく。
「っ——!」
ぬかしーさんが、思わず後ずさった。
「これ、これですよ……!SNSで見たやつ……!」
興奮で声が上ずっている。私は満足げに頷き、次の演出を起動した。
「次は、こっち」
白い虚空の中に、小さな影が現れた。
それは——丸っこいハムスターのようなキャラクターだった。ぬかしーさんが、たまにSNSに落書きとして投稿している、あのマスコットキャラ。
「え……?なんで、私の——」
ハムスターは、ちょこちょこと足を動かし、ぬかしーさんの足元まで歩いてきた。見上げるような仕草。鼻をひくひくさせる動き。まるで、本当にそこに存在しているかのように。
「嘘……」
ぬかしーさんが、しゃがみ込んだ。手を伸ばす。もちろん触れることはできない。けれど、ハムスターは彼女の指先を認識したかのように、ぴょこんと跳ねた。
「動いてる……私の子が、動いてる……!」
声が震えている。私は、その反応を見逃さなかった。
「ねえ、ぬかしーさん」
ぬかしーさんの耳元に顔を寄せて囁いた。
「これ——人間のキャラにも、使えますよ」
ぬかしーさんの目が、期待と欲望で揺れた。
「……データ、送っていいですか」
「どうぞ」
彼女の指が、ものすごい速度でスマートグラスを操作し始めた。ファイルが転送されてくる。私がそれを読み込み、レンダリングを実行した瞬間——
研究室の中央に、一人の少女が現れた。
ショートカットの銀髪。凛とした眼差し。騎士のような軽鎧を纏い、腰には細身の剣。ボーイッシュで、けれどどこか儚げな——完璧な二次元美少女が、三次元の空間に立っていた。
「あ……ああああああ……!」
ぬかしーさんが壊れた。
「私の子……!私の最推しが……!立ってる……!呼吸してる……!」
彼女は両手で口を押さえ、膝から崩れ落ちた。銀髪の騎士は、そんな彼女を見下ろすように——いや、見守るように、静かに佇んでいる。
「こんなの……こんなの、反則でしょ……!」
涙声で叫ぶぬかしーさん。私は、静かに問いかけた。
「ねえ、ぬかしーさん」
「……はい」
「あなたが作り出す世界を——現実に再現してみたくない?」
ぬかしーさんが、顔を上げた。涙で濡れた目が、けれど確かな光を宿している。
「あなたの描く背景、あなたの生み出すキャラクター。それを、ただの絵ではなく、人が『体験』できる空間として具現化する。——それが、私の技術」
私は、報酬の数字を彼女の視界に送った。
ぬかしーさんの目が、さらに大きく見開かれた。
「……これ、桁、間違ってません?」
「間違ってないわ。これが、あなたの才能に対する私の評価」
沈黙が流れた。やがて——ぬかしーさんは、深く息を吸い込んだ。
「……やります」
その声には、もう迷いがなかった。
「私の世界を、現実にしてください。ついでに推しも!」
契約成立。私が満足げに頷いたところで、ぬかしーさんが思い出したように手を挙げた。
「あ、そうだ。園田さん、一つ聞いていいですか」
「契約内容について質問?」
「いえ、その、このシステムって……個人で利用してもOKですか?」
その目が、さっきまで銀髪の騎士を見つめていた時と同じ熱を帯びている。何に使いたいかなんて、聞くまでもなかった。
「外部に流出させず、個人利用の範囲なら構わないかな。ただし——」
私は人差し指を立てて、釘を刺した。
「何に使用したかは全部ログで分かるからね。変なことに使ったら、即座にアクセス権限を剥奪するから」
「変なことって何ですか」
「あなたの想像に任せるわ」
「……善処します」
曖昧な返事だった。まあ、自分の推しキャラを愛でる程度なら目を瞑ってやろう。クリエイターのモチベーション管理も、プロジェクトマネジメントの一環だ。
「あの、先生」
横から、姫乃が控えめに声を上げた。
「私も個人利用できるんですか?」
「……何に使いたいの?」
嫌な予感がした。姫乃は悪戯っぽく唇の端を持ち上げて、さらりと言った。
「自宅用に、志保先生でも置いておこうかと」
「却下」
「即答!?」
「当たり前でしょ。私のアバターを勝手に生成して、何をさせるつもりよ」
「別に変なことには使いませんよ。ただ、先生がいつでもそばにいてくれたら心強いなって——」
「却下」
私は強引に話を打ち切った。背後で早智が「志保ちゃん、照れてる」と小声で囁いているのが聞こえたが、無視することにした。
◇◇◇
ぬかしーさんが帰った後、研究室には私と姫乃、そして早智だけが残った。
私は姫乃の前に立ち、真っ直ぐに彼女を見た。
「姫乃。ここからは、君の仕事よ」
「……私の、ですか?」
「今回の作戦は、ぬかしーさんの協力だけじゃ完成しない。君のシンガーとしての価値を、世間に示してほしいの」
姫乃が、車椅子の上で背筋を伸ばした。
「新曲を作って。君の再出発のための、新しい歌を」
「新曲……」
「本当はね、過去の持ち歌をアレンジして使うつもりだったの。権利関係を事務所と詰めて、ライセンス料を払って——完璧な計画だったんだけど」
私は姫乃を半眼で睨んだ。
「どこかのバカが勝手に全部手放してきたせいで、その選択肢は消えてしまった」
「……あはは。すみません」
姫乃が、まったく悪びれない笑顔で頭を掻く。
「でも、いいじゃないですか。過去の曲より、新曲の方が『再出発』って感じがしますし」
「開き直らないでくれる?」
私はため息をついた。けれど、彼女の言葉にも一理ある。過去の延長ではなく、ゼロから始める。それはそれで、悪くない。
「これは——君にとっての、初めてのドームライブだと思ってほしい」
私は、あえて厳しい声で続けた。
「前回のライブで、私は君に言ったわよね。『君の歌なんて誰も覚えていない』って」
姫乃が、小さく頷く。
「でも、これからはそれじゃダメなんだ」
私は、窓の外を見た。夕暮れの空が、オレンジ色に染まっている。
「歌は——記憶を蘇らせる力がある。プルースト効果、って知ってる?何年経っても、あのメロディを聴いただけで、その時の感情や景色が鮮やかに戻ってくる。……君の新曲を聴いた時、観客の脳裏に、私たちが作り上げた世界がフラッシュバックするようにしてほしいの」
姫乃は、しばらく黙っていた。やがて、彼女は静かに口を開いた。
「……わかりました」
その声には、覚悟が滲んでいた。
「私の歌で——先生たちの世界を、刻み込んでみせます」
私は、小さく笑った。
「期待してる」
窓の外では、夕陽が沈みかけていた。ドームまで、あと十三日。




