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弟と間違えて召喚されたので、異世界で小料理屋をはじめます~小料理屋《宵日和》~  作者: HaKo
第6章 異世界暮らしは恋まで忙しいようです
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第89話 隣人の名前が違いました


「……エリアス、様?」


返事はなかった。


日和は床に落ちた濡れた布を拾うこともできず、ベッドに眠る男を見つめていた。


灰色の髪も、鋭い輪郭も、見間違えるはずがない。つい数日前まで海の町で一緒に過ごしていた人が、どうしてエリオのベッドで眠っているのだろう。


いや、違う。


目の前で見た。


栗色だった髪が灰色に変わり、顔立ちまで変わった。魔法のある世界なのだから、何が起きたのかは分かる。


分かるのに、理解が追いつかなかった。


「……どういうこと?」


呟いても、答える人はいない。


日和はもう一度その顔を見る。


エリアスだ。


何度見てもエリアスだった。


では、エリオは。


そこまで考えたところで、ベッドの上の男がわずかに身じろぎした。


「……ん」


日和の肩が跳ねる。


閉じていた瞼がゆっくりと持ち上がり、青みがかった灰色の瞳が現れた。焦点の合わない目がしばらく宙をさまよい、やがて日和を捉える。


「……日和?」


その呼び方に、息が止まった。


エリオなら、日和さんと呼ぶ。


「……エリアス様」


名前を呼ぶと、ぼんやりしていたエリアスの目がわずかに見開かれた。


「なぜ、お前が……」


掠れた声で言いながら身体を起こそうとして、すぐに眉を寄せる。


「起きないでください。まだ熱ありますから」


反射的にそう言ってから、日和は自分でも何をしているのだろうと思った。


今はそれどころではない。


エリアスも同じことに気づいたらしい。


日和を見る。


自分のいる部屋を見る。


そして、額へ落ちかかっていた灰色の髪に触れた。


その手が止まった。


「……まさか」


エリアスの顔から眠気が消える。


日和は膝の上で手を握った。


聞かなければならない。


聞くのが怖い。


それでも、このまま何も聞かずにはいられなかった。


「エリオさん、なんですよね」


沈黙が落ちた。


否定してほしいのか、自分でも分からなかった。


何かの間違いだと言われれば、きっと安心する。


けれど、エリアスはもう誤魔化さないと言った。


海の町で、自分に正直でいると言った。


だからだろうか。


エリアスは目を逸らさなかった。


「……ああ」


たった一言だった。


その瞬間、頭の中で何かが弾けた。


声が似ていると思った。


心配性なところも、言い方も似ていると思った。


王都へ行く前、エリオは日和が馬車の2日目には外を見なくなっていたことを知っていた。


どうして知っているのかと聞けば、以前聞いた気がすると言われた。


自分が忘れているだけだと思った。


海へ向かう馬車では、エリアスにエリオと似ていると言った。


心配性なところも、言い方も。


あのときエリアスは何と言った。


――偶然だろう。


「…………」


思い出せば思い出すほど、頭が痛くなってきた。


それだけではない。


エリオには、エリアスの話を何度もしている。


屋敷で世話になったことも。


エリアス様と呼ぶようになったことも。


縁談の噂を聞いて、嫌だったことまで。


知らない女性と結婚して、一緒に暮らして、食事をするのを想像したら嫌だったと。


全部。


本人に話していた。


「……ちょっと待ってください」


日和は両手で顔を覆った。


「日和」


「待ってください。今、いろいろ思い出してるので」


思い出したくないことまで次々に出てくる。


ルカのことも話した。


エリオの前で、エリアスのことで落ち込んだ。


あれもこれも、全部。


「……嘘でしょ」


「日和、俺の話を――」


「ごめんなさい」


日和は立ち上がった。


自分でも驚くほど勢いがついて、椅子が床を擦る。


エリアスも身体を起こそうとした。


「待て」


「起きないでください」


「だが」


「熱あるんですよ」


「今はそれより――」


「それよりじゃないです」


反射的に言い返してから、日和は唇を噛んだ。


こんな状況なのに、具合が悪そうな顔を見ると放っておけない自分が嫌になる。


エリアスは何かを言おうとしている。


聞かなければならないことがあるのも分かっていた。


どうしてエリオになったのか。


どうして隣に住んだのか。


いつからだったのか。


どうして何も言わなかったのか。


聞きたいことはいくらでもある。


けれど、今は無理だった。


「……今日は帰ります」


「日和」


「今は、ちょっと無理です」


エリアスが黙る。


日和は床に落ちていた布を拾った。水で濡らしたばかりのそれをどうすればいいのか一瞬迷い、結局近くの台へ置く。


「説明する」


低い声が背中に届いた。


日和の足が止まる。


「分かってる」


自分でも驚くほど小さな声になった。


「分かってます。ちゃんと聞かなきゃいけないのも。でも今聞いたら、たぶん……ちゃんと聞けないから」


怒っているのかもしれない。


恥ずかしいのかもしれない。


騙されていたと思っているのかもしれない。


それすら、今はよく分からなかった。


ただ、エリアスの顔を見ていると頭の中がぐちゃぐちゃになる。


「……雑炊」


「何?」


「そこに置いてあります。食べられそうだったら食べてください」


こんなときに何を言っているのだろう。


それでも、作ってきたのだから仕方がない。


「水も飲んでください。まだ熱あるので、今日はちゃんと寝て……無理しないでください」


「日和」


また名前を呼ばれる。


その声がエリオのものと重なって聞こえて、日和は振り返れなかった。


「……お大事に」


それだけ言って、日和は寝室を出た。


後ろからもう一度名前を呼ばれた気がしたけれど、今度は足を止めなかった。


家を出て、扉を閉める。


すぐ隣にある自分の家まで、ほんの少しの距離しかない。


なのに、ひどく遠く感じた。


自宅の扉を開けて中へ入り、背中で扉を閉める。


そこでようやく、日和は大きく息を吐いた。


「…………エリオさんが、エリアス様」


口に出してみる。


やっぱり意味が分からない。


「……どうしよう」


答えてくれる人はいなかった。


今日の更新はここまでです!


明日の7:00をお待ちくださいφ(..)

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