第87話 ちゃんと返事をしようと思います
翌日、いつもの時間にルカが店へやってきた。
注文していた食材を受け取り、数を確認する。海へ行く前と変わらないやり取りなのに、今日はどうしても落ち着かなかった。
「日和、これで全部?」
「うん。ありがとう」
「じゃあ、ここに印だけ頼む」
差し出された紙に印をつけて返すと、ルカは荷物をまとめ始める。
今しかない。
そう思うのに、いざ口を開こうとすると喉につかえる。
「……ルカ」
「ん?」
「今日、このあと少し時間ある?」
ルカの手が止まった。
日和の顔を見て、すぐに何の話なのか察したらしい。
「あるよ」
「じゃあ、ちょっとだけ付き合って」
「ああ」
日和は少し迷ってから、ルカと一緒に外へ出た。
人通りの少ない道まで歩いたところで足を止める。
「待たせてごめん」
「別に。待つって言ったのは俺だから」
「うん。でも、ちゃんと返事したくて」
ルカは何も言わず、続きを待ってくれた。
日和は一度息を吸う。
「ルカの気持ちには、応えられない」
言ってしまえば短い言葉だった。
ルカは少しだけ目を伏せ、それから小さく息を吐いた。
「……そっか」
「ごめん」
「謝らなくていいよ。そういうのは、どうしようもないだろ」
そう言って笑ったけれど、いつもの笑い方とは少し違う。
日和にはそれが分かってしまった。
「好きな人、できた?」
不意に聞かれ、日和は言葉に詰まった。
けれど、ここで誤魔化すのは違う。
「……うん」
「そっか」
ルカはもう一度そう言って、空を見上げた。
「それなら、まあ……仕方ないな」
「ルカ」
「今すぐ笑って応援できるほど出来た男じゃないけど」
少し困ったように笑う。
「でも、ちゃんと返事してくれてありがとう」
胸が痛んだ。
それでも、曖昧にしなくてよかったと思う。
「これからも、仕入れお願いしていい?」
「そこ心配してたの?」
「ちょっとだけ」
「断ったら親父に怒られるよ。せっかくいい取引先ができたのに何してるんだって」
「そこなんだ」
「そこそこ」
ようやく、いつものルカらしい笑い方になった。
「だから、これからも普通に来るよ。……まあ、しばらくはちょっと格好つけさせて」
「うん」
「次に来たときは、いつも通りで」
「分かった」
日和も笑った。
「ありがとう、ルカ」
「こっちこそ」
恋人にはなれなかった。
けれど、これまで積み重ねてきたものまでなくなるわけではない。
「じゃあ、また」
「うん。またね」
ルカが去っていくのを見送り、日和はしばらくその場に立っていた。
胸の奥に少し重たいものは残っている。それでも、ちゃんと伝えられた。
これでよかったのだと思う。
店へ戻る前に少しだけ遠回りをして歩いた。
夕方の風は少し冷たく、家々の窓には明かりが灯り始めている。もうすぐ宵日和も夜の営業だ。
家の近くまで戻ってきたところで、隣家の前に人影が見えた。
日和は足を止める。
栗色の髪。
見慣れた背中だった。
「……エリオさん?」
人影が振り返る。
久しぶりに見る淡い緑色の目が、日和を見た瞬間わずかに細くなった。
「日和さん」
「やっぱり。久しぶりですね」
「ええ。少し留守にしていました」
「仕事ですか?」
「まあ、そんなところです」
やっぱり忙しかったらしい。
そう納得しかけて、日和は眉を寄せた。
「……エリオさん?」
「はい?」
「顔色、悪くないですか?」
「そうですか?」
「そうですよ」
近づいてみれば、いつもより明らかに顔色が悪い。それどころか、扉に添えている手にも力が入っていないように見えた。
「ちょっと失礼します」
「え?」
日和は手を伸ばし、エリオの額に触れた。
熱い。
「熱あるじゃないですか」
「少し疲れているだけです」
「少しの人はそんな顔しません」
「寝れば治りますよ」
「本当に?」
「ええ」
答えた直後、エリオの身体がわずかに揺れた。
日和は反射的に腕を掴む。
「ほら!」
「……少し、立ちくらみが」
「それを大丈夫とは言わないんです」
「日和さん」
「とりあえず中に入りましょう。鍵、開けられます?」
エリオは何か言いたそうだったが、今度は反論しなかった。
日和が支えながら隣家へ入り、椅子まで連れていく。座った途端、エリオは疲れたように背もたれへ身体を預けた。
こんな姿を見るのは初めてだった。
「1人なんですよね?」
「ええ」
「食事は?」
「まだです」
「……でしょうね」
嫌な予感しかしない。
「私、これから店があるので一度戻ります。でも、終わったらまた来ますから」
「そこまでしなくても大丈夫です」
「今のエリオさんに言われても説得力ないですよ」
「寝れば――」
「治るんですよね。分かりました。じゃあ、ちゃんと寝ててください」
日和が言い切ると、エリオは諦めたように息を吐いた。
「……分かりました」
「あと、水は飲んでくださいね」
「はい」
「本当にですよ?」
「日和さん」
「何ですか」
「心配性ですね」
一瞬、言葉に詰まった。
どこかで聞いたような言葉だった。
「……誰かさんたちに言われたくないです」
「誰かさんたち?」
「こっちの話です」
エリオが少し笑う。
けれど、その笑顔にもいつもの余裕はなかった。
「じゃあ、あとで来ますから。絶対寝ててくださいね」
「分かりました」
隣家を出て扉を閉めても、日和はしばらくその場から動けなかった。
久しぶりに会ったと思ったら、随分ひどい顔をしていた。
「……本当に大丈夫かな」
気にはなる。
けれど、今は店を開けなければならない。
日和は何度か隣家を振り返りながら、宵日和へ向かった。




