第80話 6皿目肉じゃが
着替えを終えたエリアスが戻ってきた頃には、肉じゃがはちょうど食べ頃になっていた。
別宅の食堂に料理を運んでもらい、日和はエリアスと向かい合って座る。普段なら何でもないはずなのに、好きだと気づいたばかりの今は、こうして2人で食卓を囲むだけでも妙に落ち着かなかった。
「……どうした」
「なんでもないです」
「さっきからそればかりだな」
「今日はそういう日なんです」
怪訝そうな顔をされたので、日和は誤魔化すように肉じゃがへ視線を落とした。
大きめに切った土芋は少し角が崩れ、火玉や赤根、肉と一緒に艶のある煮汁をまとっている。
「これが、作りたかった料理です。肉じゃがっていいます」
「これがそうか」
「はい。私がいたところでは珍しいものじゃないんですけど、母がよく作ってくれました」
エリアスが肉じゃがを見る。
「夢で見たのも?」
「これです。母のは少し甘かったんですよ。私が自分で作るときはもう少し控えめだったんですけど、今日は母の味に近づけてみました」
「そうか」
エリアスが土芋を口へ運ぶ。
日和はついその様子を見つめてしまい、目が合いそうになって慌てて自分も箸を取った。
「……どうですか?」
「うまい」
「よかった」
自分でも一口食べる。
ほくりと崩れる土芋に甘めの煮汁が染みていて、元の世界とまったく同じではないのに懐かしい。
「やっぱり好きだな、これ」
自然と笑みがこぼれた。
けれど向かいにいるエリアスは、なぜか肉じゃがを見たまま黙っている。
「……エリアス様?」
「なんだ」
「おいしくないですか?」
「今うまいと言っただろう」
「じゃあ、なんでそんな顔してるんですか」
「どんな顔だ」
「いつもより難しい顔」
「いつも難しいと言いたいのか」
「そこは否定しません」
わずかに眉間の皺が深くなる。
けれど日和は笑えなかった。
何かを考えている。
そんなことくらい、今では分かる。
「何か気になることあります?」
「いや」
「ありますね」
「……なぜそうなる」
「今の間です」
エリアスが黙る。
やっぱりある。
日和は箸を置いた。
「私のことはすぐ心配するのに、自分のことは言わないですよね」
「言う必要がないこともある」
「それを決めるのもエリアス様じゃないですか」
「……そうだな」
意外にもあっさり認められて、今度は日和が少し驚いた。
エリアスはしばらく何も言わず、肉じゃがへ視線を落としていた。
「今日、お前が海の話をしただろう」
「はい」
「弟と遊んだことを思い出して、嬉しそうにしていた」
「……そうですね」
「あのとき、よかったと思った」
日和は黙って続きを待つ。
「お前はずっと元の世界の記憶が曖昧だった。だから、少しでも戻ったなら喜ぶべきだと思った」
「思った?」
過去形なのが気になった。
エリアスは一瞬言葉を止めた。
「……同時に、嫌だとも思った」
「嫌?」
「ああ」
静かな声だった。
日和は少し驚いてエリアスを見る。
「どうしてですか?」
「お前があまりにも嬉しそうだったからだ」
「それが嫌だったんですか?」
「違う」
エリアスは眉間を押さえ、小さく息を吐いた。
「……うまく言えないな」
珍しい。
いつも言葉が足りない人ではあるけれど、本人がそれを認めることはほとんどない。
「ゆっくりでいいですよ」
そう言うと、エリアスがこちらを見る。
「お前が元の世界のことを思い出せば、帰りたいと思うかもしれない」
日和は瞬きをした。
「母親がいて、弟がいて、お前が暮らしていた場所がある。今日初めて、その一部を見たような気がした」
エリアスの視線が肉じゃがへ落ちる。
「これもそうだ。私の知らない場所で、お前が家族と食べていたものだろう」
「はい」
「それを食べて、懐かしいと言っているお前を見ていたら……」
そこでまた言葉が止まった。
けれど今度は長くなかった。
「帰したくないと思った」
胸の奥が大きく鳴った。
エリアスは静かに続ける。
「お前を帰す方法を探す。それが最初から私の考えだった。望まずこの世界へ連れてこられた以上、元いた場所へ戻れるようにするのが当然だと思っていた」
「……はい」
「それなのに今は、方法が見つかったとしても、素直に喜べる気がしない」
日和は何も言えなかった。
エリアスの口から、こんな言葉が出てくるとは思っていなかった。
「帰るなと言うつもりはない。お前が望むなら、その選択を邪魔することもない」
そこでエリアスが日和を見る。
「ただ、帰したくないと思っている。それも事実だ」
また胸が鳴った。
ここにいてほしい。
そう言われているように聞こえてしまう。
「……それって」
口にしかけて、止めた。
聞くのが怖い。
今の自分なら、きっと都合のいい意味に受け取ってしまう。
代わりに日和は、少しだけ笑った。
「今日はやけに素直ですね」
エリアスが目を細める。
「そうか?」
「そうですよ。いつもなら『責任だ』とか『必要だからだ』とか言って終わるのに」
言ってから、昔のことを思い出した。
何かをしてくれるたび、エリアスはそう言っていた。
責任だから。
必要だから。
領主として当然だから。
「前は何を聞いても、そんな感じだったじゃないですか」
「……ああ」
「だから今、ちょっとびっくりしてます」
エリアスが黙る。
それから視線を落とし、何かを考えるように少しだけ間を置いた。
「日和」
「はい」
「俺は、お前を保護したことを後悔したことはない」
日和は一瞬、返事を忘れた。
今までと違う。
声も、言葉も。
そして。
俺。
エリアスはそのまま続ける。
「店を持つ手助けをしたことも、お前の様子を見に行ったことも、今日ここへ連れてきたことも」
「……はい」
「もう責任だけでやっているわけじゃない」
心臓がうるさい。
エリアスは日和から目を逸らさなかった。
「それを責任だと言えば楽だった。領主だから、保護した人間だから、放っておけないだけだと。そう言っておけば、それ以上考えなくて済んだからな」
日和は息をするのも忘れそうになる。
「でも、それではお前を困らせるだけだと分かった」
「私を?」
「ああ。言わなければ伝わらない。勝手に動いて、理由を説明せず、お前に勘違いさせる」
思い当たることが多すぎて、日和は少しだけ笑った。
「……それは、まあ」
「否定しないんだな」
「できません」
エリアスの口元がわずかに緩んだ。
けれど、すぐに真っ直ぐ日和を見る。
「だから、もうやめる」
「何をですか?」
「誤魔化すことをだ」
低く、はっきりした声だった。
「少なくとも、お前には正直でいる。都合のいい理由で取り繕わないし、言わずに済ませようともしない」
日和は何も言えなかった。
そんなことを言われたら、これから何を言われるのか期待してしまう。
好きだと気づいたばかりなのに。
エリアスはそんな日和の動揺など知らないように、静かに続けた。
「だから今日のことも誤魔化さない」
青みがかった灰色の目が、真っ直ぐ日和を見る。
「俺は、お前を帰したくないと思っている」
今度はもう、責任という言葉はどこにもなかった。
11:00に更新しますφ(・ω・`)




