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弟と間違えて召喚されたので、異世界で小料理屋をはじめます~小料理屋《宵日和》~  作者: HaKo
第5章 異世界暮らしは恋まで忙しいようです
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第76話 海の町は気になるものだらけです


馬車が町へ入る頃には、窓を閉めていても潮の匂いが分かるほどになっていた。


日和はさっきからずっと窓の外を見ている。建物の隙間から海が見えるたびに目で追い、道を行き交う荷車に積まれた魚を見つけては振り返った。


「魚!」


「……見れば分かる」


「いっぱいありますよ。あれ、見たことない」


「海の町だからな」


少しでも長く見ようと窓へ寄ると、後ろから上着の袖を引かれた。


「危ない」


「まだ馬車の中ですよ」


「窓から落ちそうな勢いだった」


「そこまでは出てません」


「どうだろうな」


納得がいかず振り返ると、エリアスの口元がわずかに緩んでいる。


「……笑ってます?」


「笑っていない」


「今日それ何回目ですか」


そんなことを話しているうちに馬車が止まり、外からオスカーの声がした。


「到着いたしました」


扉が開いた瞬間、潮の香りを含んだ風が一気に入り込んでくる。


「海の匂い……」


思わず大きく息を吸う。


懐かしい。


そう思った瞬間、胸の奥がほんの少しだけ揺れた。


向こうの世界で最後に海へ行ったのはいつだっただろう。思い出そうとしたところで、先に馬車を降りたエリアスがこちらへ手を差し出した。


「日和」


「あ、はい」


その手に自分の手を重ね、馬車を降りる。


少し強い風が吹いて髪が顔にかかり、日和は慌てて押さえた。


「思ったより風強いですね」


「海沿いだからな」


目の前にはアルノルトとはまるで違う町並みが広がっていた。


港へ続く道には荷車が行き交い、その先には大きな市場が見える。魚や貝、干したものらしき品が店先に並び、あちこちから威勢のいい声が飛び交っていた。


日和の目が輝く。


「エリアス様」


「先に言っておくが、視察がある」


「まだ何も言ってません」


「市場へ行きたいんだろう」


「……なんで分かったんですか」


「顔を見れば分かる」


そこまで出ていたらしい。


港の管理所へ向かう途中も、日和の視線は忙しかった。


「あれ、貝ですよね」


「ああ」


「大きいなあ。焼いたら美味しそう」


「日和」


「ちゃんと歩いてます」


少し先では銀色の魚がずらりと並び、その向こうには見覚えのない海藻らしきものもある。


「……あれも気になる」


「後で見ればいい」


「後で時間あります?」


「ああ。そのために連れてきたんだからな」


日和は足を止めた。


「……え?」


エリアスも立ち止まる。


「何だ」


「視察についてきてもいいってだけかと思ってました」


「市場を見たいと言っていただろう」


確かにそうだけれど。


それを覚えていて、この時間まで考えてくれていたとは思わなかった。


「ありがとうございます」


「礼を言われるほどのことではない」


そう言って歩き出す背中を追いながら、日和は少しだけ笑った。


視察を終えたあと、約束通り市場へ向かった。


近くで見ると、気になるものはさらに増えた。


見たことのない魚を覗き込み、店主に名前を聞いて、その隣の貝にも目を奪われる。数歩進んでは止まる日和に、エリアスは何も言わず付き合っていた。


そのとき、ふわりと香ばしい匂いが流れてくる。


「……いい匂い」


見ると、少し先の店で小さな魚を串に刺して焼いていた。


「食べるか」


「いいんですか?」


「食べたい顔をしている」


「そんな顔してました?」


「ああ」


「じゃあ……食べます」


焼きたての串を受け取る。


熱い。


息を吹きかけてから一口食べると、皮は香ばしく、身にはしっかりと塩が効いていた。


「おいしい」


思わず声が漏れる。


「エリアス様も食べます?」


「ああ」


もう1本受け取って渡しながら、日和はふと手を止めた。


こうしてエリアスと市場を歩きながら食べるのは、初めてではない。


まだ侯爵邸にいた頃、街を案内してもらったときにも2人で市場へ行った。


あのときも何かを買って、その場で食べた。


「……懐かしいですね」


「何がだ」


「前にもこうやって市場で食べましたよね」


エリアスも思い出したのか、手元の串を見る。


「ああ」


「あの頃は、私がこの世界のこと何も知らなくて」


「今も知らないことだらけだろう」


「あの頃よりは知ってます」


「そうか?」


「知ってますよ」


言い返しながら、日和は笑った。


あのときは、この人が怖かった。


何を考えているのか分からなくて、話しかけるだけでも少し身構えていた気がする。


それなのに今は、同じように隣を歩いて、同じものを食べている。


「変な感じ」


「何がだ」


「いえ。最初の頃は、エリアス様とこんなふうに出かけるなんて思ってなかったなって」


エリアスが日和を見る。


「私、エリアス様のこと怖い人だと思ってましたから」


「知っている」


「知ってたんですか?」


「顔に出ていた」


「そんなに?」


「ああ」


「私、顔に出すぎじゃないですか」


日和が困って笑う。


その顔を見て、エリアスの表情がふっと緩んだ。


いつもの、ほんの少し口元が動く程度ではない。


青みがかった灰色の目まで柔らかくなって、日和を見ている。


日和の胸が大きく鳴った。


「……何ですか」


「いや」


「今、絶対笑いましたよね」


「ああ」


今度は否定しなかった。


それが余計に困る。


「なんで笑うんですか」


「楽しそうだと思っただけだ」


「私が?」


「ああ」


エリアスはまだ少し笑っている。


「連れてきてよかった」


胸の奥が、また大きく鳴った。


日和は手に持った串へ視線を落とす。


さっきまで普通に話せていたのに、急に顔を見られなくなった。


前にも同じ人と市場を歩いた。


同じように隣で何かを食べた。


それなのに。


あの頃は、こんなふうに胸が鳴ったりしなかった。


「……魚、冷めますよ」


ようやく出たのは、そんな言葉だった。


「ああ」


隣でエリアスがまた少し笑う。


日和はそれ以上何も言わず、もう一口魚を食べた。


味はさっきと同じはずなのに、なぜかよく分からなくなっていた。


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