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第7話 侯爵様は人生を損している


馬車に揺られて数時間。


日和は早くも後悔していた。


「……お尻が痛い」


「まだ半日も経っていないぞ」


向かいに座るエリアスが呆れたように言う。


「馬車って、もっと優雅な乗り物だと思ってました」


「何を想像していたんだ」


「貴族が紅茶とか飲んでるやつです」


「走行中に飲めばこぼれる」


「夢がないですね」


窓の外には、見渡す限りの草原が続いている。

景色はきれいだ。

空は広く、遠くには山も見える。


ただし、馬車は揺れる。

とにかく揺れる。

これがあと3日。


考えないことにした。



昼を少し過ぎた頃、馬車は小さな街に停まった。

馬を休ませるため、しばらくここで休憩するらしい。

馬車から降りた日和は、大きく身体を伸ばした。


「地面って素晴らしい」


「大げさだ」


「ずっと馬車に乗ってた人には分かりません」


「私も乗っていただろう」


そうだった。


日和は街を見回した。


王都よりずっと小さいが、通りにはいくつもの店が並んでいる。野菜や果物を積んだ露店もあり、奥からは肉を焼く香ばしい匂いが漂ってきた。


日和の足が自然とそちらへ向く。


「どこへ行く」


「ちょっと見るだけです」


串に刺した肉を炭火で焼いている。

隣では丸いパンが積まれ、その向こうには赤い果実が山になっていた。


見たことがないものもある。

でも、どれもちゃんと食べ物だ。

異世界なのに、不思議と少し安心した。


「これ、何ですか?」


日和は露店に並ぶ赤い果実を指さした。

店主が答えてくれたが、聞いたことのない名前だった。

見た目はトマトに近い。


「食べてみたい……」


「買えばいいだろう」


「お金、荷物の中です」


王宮でもらった硬貨は、着替えと一緒に馬車へ積んでしまった。

エリアスが小さく息を吐き、店主へ硬貨を2枚渡した。


「え、いいんですか?」


「後で返せ」


「侯爵様なのに細かいですね」


「侯爵だから金を粗末にしていいという理屈にはならない」


もっともだった。


日和は赤い果実を受け取り、ひと口かじる。

酸味が強い。

でも、その後から甘みがくる。


「おいしい」


もうひと口。


生でも食べられるけれど、火を通した方が甘みが増しそうだ。肉と一緒に煮てもいいし、刻んで酢と合わせてもいい。


気づけば、また料理のことを考えていた。


「随分楽しそうだな」


「食材見るの、好きみたいです」


「みたい?」


「その辺の記憶が曖昧なので」


そう言うと、エリアスはそれ以上聞かなかった。

日和は少しありがたく思った。


隣の店から、肉の焼ける音がする。

じゅうじゅうと脂が落ち、炭から煙が上がっていた。


おいしそう。


「…………」


「食べたいのか」


「顔に出てました?」


「かなり」


またエリアスが硬貨を出した。


「ちゃんと返しますからね」


「分かっている」


焼きたての串を受け取る。

ひと口食べると、香ばしい肉汁が口の中に広がった。味付けは塩と香草だけらしい。


「……おいしい」


王宮で食べた薄いスープとは大違いだ。


「この世界にも、おいしいものあるんですね」


「当然だろう」


「昨日のスープを食べたときは、ちょっと心配になりました」


エリアスの口元がほんの少し動いた。


笑った?


「今、笑いました?」


「笑っていない」


「笑いましたよね」


「気のせいだ」


怪しい。


日和は串を食べながら、並んでいる店を眺める。


「侯爵様の領地にも市場ってあります?」


「ある」


「こういう食材も?」


「もっと多い」


日和の目が輝いた。


「行ってみたいです」


「好きにしろ」


「案内してください」


「断る」


即答だった。



再び馬車に乗り、街を出る。


日和は窓の外を眺めながら、先ほど見た食材を思い返していた。


「侯爵様」


「何だ」


「好きな食べ物って何ですか?」


エリアスが少し考える。


「特にない」


「じゃあ、よく食べるものは?」


「出されたものを食べる」


「外で食べたりしないんですか?」


「必要がなければしない」


信じられない。


「食べるの、好きじゃないんですか?」


「嫌いでもない」


「じゃあ何なんです?」


エリアスは本当に不思議そうな顔をした。


「空腹を満たせれば、それでいいだろう」


日和は黙った。


朝には「生きている限り、人は食べる」なんて少しいいことを言っていたのに。


そういう意味だったのか。


「侯爵様」


「何だ」


「人生、損してますね」


エリアスの眉間に皺が寄った。


「余計なお世話だ」


「おいしいもの食べると、ちょっと幸せになりますよ」


「そうか」


「興味なさそう」


「ないな」


日和は呆れて窓の外へ顔を向けた。



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