第6話 王宮を出ることになりました
話し合いを終えて部屋を出ると、ノアが追いかけてきた。
「日和様」
振り返ると、相変わらず少し疲れた顔をしたノアが立っている。
「どうしました?」
「少し、お話ししてもよろしいでしょうか」
日和は頷いた。
ノアに案内されたのは、王宮の中庭だった。手入れされた花壇を囲むように石畳が続き、その中央には小さな噴水がある。
並んで歩きながら、ノアはなかなか口を開かなかった。
「……話があるんじゃないんですか?」
「あります」
「じゃあ聞きますよ」
「はい」
それでも黙っている。
日和は急かさず待った。
やがてノアが足を止める。
「申し訳ありませんでした」
突然、深く頭を下げられた。
「召喚のことですか?」
「はい。昨日もお伝えしましたが、僕は召喚を行った術者の1人です」
「聞きました」
「本来であれば、湊様が召喚されるはずでした。対象者の選定にも術式の確認にも、何重もの手順を踏んでいます。それでも、あなたが召喚された」
ノアは顔を上げた。
「原因が分かっていません」
「そうなんですね」
「だから、調べます」
「何を?」
「なぜあなたが召喚されたのか。そして、元の世界へ帰る方法がないか」
日和は少し驚いた。
昨日は、帰還方法は確立されていないと言っていた。
「見つかるんですか?」
「分かりません」
即答だった。
「そこは、見つけますって言ってくれた方が安心できるんですけど」
「できない約束はしたくありません」
「真面目ですね」
「よく言われます」
ノアは少し困ったように笑った。
「ですが、諦めるつもりもありません。召喚術には、まだ解明されていない部分が多くあります。過去の記録も調べますし、今回使用した術式も最初から解析し直します」
「……ありがとうございます」
「お礼を言われることではありません。僕たちがあなたを連れてきたんですから」
日和はノアを見た。
昨日から謝ってばかりの人だ。
召喚そのものを決めたのは、きっとノアではない。それでも、自分が術者として関わったことを気にしているのだろう。
「じゃあ、お願いします」
「はい」
「帰れるかもしれないって分かったら、教えてください」
「必ず」
帰れるかもしれない。
そう考えてみる。
もし方法が見つかったら、自分は帰るのだろうか。
当然、帰るはずだ。
家族がいる。湊もいる。
なのに、その未来を想像しようとしても、やっぱりうまく形にならなかった。
日和はその違和感を振り払う。
今考えても仕方がない。
帰る方法は、まだないのだから。
「それと、もう1つ」
ノアが言った。
「記憶についても調べます」
「私の?」
「召喚術に記憶を失わせる作用はないはずですが、今回の召喚は通常とは違います。何か影響が出ている可能性も否定できません」
「お願いします」
「頭痛など、何か変化があれば必ず教えてください」
「分かりました」
日和は頷いた。
少しだけ安心した。
帰る方法も。
失った記憶も。
今すぐどうにかなるわけではない。
それでも、調べてくれる人がいる。
それだけで十分だった。
*
翌朝。
王宮の前には、大きな馬車が停まっていた。
日和はそれを見上げる。
「これに乗るんですか?」
「ああ」
隣に立つエリアスが答える。
「侯爵様の領地まで、どのくらいです?」
「3日だ」
日和はエリアスを見る。
「3日?」
「ああ」
もう1度、馬車を見る。
そして、もう1度エリアスを見る。
「……ずっと一緒ですか?」
「基本的にはな」
3日間。
この怖い顔の人と。
日和は少しだけ不安になった。
「何だ、その顔は」
「いえ」
「言いたいことがあるなら言え」
「侯爵様と3日間、何を話せばいいのかなと思って」
エリアスの眉間に皺が寄る。
「無理に話す必要はない」
「3日間ずっと?」
「静かでいいだろう」
本気で言っている。
「やっぱり会話苦手ですよね」
「まだ言うのか」
昨日から思っていたが、どうやら間違いなさそうだ。
御者が馬車の扉を開ける。
日和が乗り込もうとしたところで、後ろから声がした。
「日和様!」
振り返ると、ノアがこちらへ走ってきていた。
「間に合った……」
「どうしたんですか?」
「これを」
小さな革袋を渡される。
中を見ると、何枚かの硬貨が入っていた。
「お金?」
「王宮から支給されるものとは別です。僕個人から」
「いや、受け取れませんよ」
「ですが」
「ノアさん、これから私のために調べてくれるんですよね」
「それはそうですが」
「だったら十分です」
革袋を返す。
ノアは何か言おうとしたが、結局そのまま受け取った。
「……分かりました」
「帰る方法、お願いしますね」
「はい」
ノアはしっかりと頷いた。
「必ず連絡します」
「待ってます」
そう言ってから、日和は少しだけ引っかかった。
待っている。
未来のことを口にした。
ただそれだけなのに、胸の奥が妙にざわつく。
「日和?」
馬車の中からエリアスに呼ばれる。
「今行きます」
考えるのをやめ、日和は馬車へ乗り込んだ。
*
馬車が動き出す。
窓の外で王宮が少しずつ遠ざかっていった。
召喚されてから、まだ2日。
それなのに、ずいぶん長い時間が経ったような気がする。
日和は窓の外を眺める。
この先どうなるのかは分からない。
帰る方法もない。
仕事もない。
自分の最近の記憶すらない。
あるのは、少しのお金と着替え。それから、なぜかはっきり覚えている料理の知識だけ。
「…………」
ぐう。
お腹が鳴った。
向かいに座るエリアスがこちらを見る。
「…………」
「…………」
日和は窓の外へ顔を向けた。
「何も聞かなかったことにしてください」
「無理だな」
「そこは聞かなかったふりをするところでしょう」
「朝食を食べていないのか」
「食べました」
「なら、なぜ腹が鳴る」
「私に聞かれても困ります」
エリアスが小さく息を吐いた。
そして座席の横に置いていた袋を日和へ差し出す。
「何ですか?」
「食べろ」
中には、小さなパンが入っていた。
日和はエリアスを見る。
「侯爵様のですか?」
「予備だ」
「もらっていいんです?」
「腹の音を聞き続けるよりはましだ」
言い方。
「……ありがとうございます」
パンを1つ取る。
やっぱり少し硬い。
ひと口食べながら、日和は思った。
この世界のパンは、全部こんなに硬いのだろうか。
小麦があるなら、もっと柔らかくできないのかな。
バターはある?
卵は?
牛乳は?
そういえば、この世界にはどんな食材があるんだろう。
「何を考えている」
突然エリアスに聞かれた。
「ご飯のことです」
「…………」
「何ですか、その顔」
「いや」
エリアスは窓の外へ目を向けた。
「随分と余裕があると思っただけだ」
「そうですか?」
「異世界に召喚され、王宮を追い出され、知らない土地へ向かっている人間が考えることには思えない」
言われてみれば、確かにそうかもしれない。
日和は手にしたパンを見る。
自分でも不思議だった。
こんな状況なのに。
今日の昼は何を食べるんだろう。
この世界にはどんな料理があるんだろう。
そんなことを考えている。
「でも」
日和はパンをもうひと口食べた。
「お腹は空くので」
エリアスがこちらを見る。
「そうだな」
少し間を置いて、彼は言った。
「生きている限り、人は食べる」
日和は瞬きをした。
それから、少しだけ笑う。
「侯爵様、たまにいいこと言いますね」
「たまにとは何だ」
「そのままの意味です」
「……君は本当に遠慮がないな」
馬車は王都を離れ、北へ向かって進んでいく。
3日間の長い旅。
どうやら、退屈だけはしなくて済みそうだった。




