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第5話 怖い侯爵様に拾われました



日和が振り返ると、扉の前に1人の男が立っていた。


背が高い。黒に近い髪に、鋭い灰色の目。濃紺の服は飾り気がないのに、立っているだけで妙な威圧感がある。


そして何より。


怖い。

それが日和の第一印象だった。


男は日和には目もくれず、まっすぐセドリックの方へ歩いてくる。


「レーヴェン侯爵」


セドリックの声がわずかに低くなった。


「随分と遅いご到着ですね」


「呼び出したのはそちらだろう。領地から王都まで何日かかると思っている」


男は空いていた椅子の前まで来たが、座ろうとはしなかった。


「それより、今の話は何だ」


「聞いていた通りです。召喚された女性には、勇者としての適性がありませんでした」


「だから追い出すのか」


「言葉を選んでいただきたい。必要な金銭と宿はこちらで用意します」


「数日だけな」


「その間に、この国で生活するために必要な知識も与えます」


男の眉間に皺が寄った。


「文字は?」


「これから学んでいただきます」


「貨幣の価値は?」


「同じく」


「この国の法律は?」


「説明する予定です」


「仕事は?」


セドリックが黙った。


男は小さく息を吐く。


「それで数日後には1人で生きろと?」


「成人した女性です」


「異世界のな」


部屋が静まり返った。


日和は男の横顔を見つめた。


怖い。

怒っているのか、元からこういう顔なのかも分からない。


ただ、言っていることはまともだった。


「召喚は国が行った。本人の意思とは無関係に、異世界から人間を連れてきた。しかも、目的の人間ではなかった」


男はセドリックをまっすぐ見据える。


「間違えたのはこちらだろう」


日和は瞬きをした。


「勇者として役に立つかどうかなど関係ない。連れてきた以上、最低限この世界で生きられるようになるまで責任を持て」


初めてだった。

この世界へ来てから、自分のことをそんなふうに言った人は。


勇者なのか。

力があるのか。

役に立つのか。


昨日から、そんな話ばかりだった。


でも、この人は違う。

日和が何者なのかも知らないくせに、役に立つかどうかなんて関係ないと言った。


ただ、勝手に連れてきたのだから責任を持て、と。


それだけのことなのに、少しだけ胸の奥が軽くなった気がした。


「なるほど」


セドリックが静かに呟いた。


その口元に、ほんのわずかな笑みが浮かぶ。

なぜだろう。

日和はその顔を見て、嫌な予感がした。


「そこまで仰るのであれば、レーヴェン侯爵」


セドリックは男を見る。


「あなたが保護されてはいかがです?」


「…………」


男が黙った。


「北部は比較的戦火から離れている。王都より落ち着いて暮らせるでしょう。それに、あなたほど責任感の強い方であれば、彼女を放り出すようなこともない」


「待て」


「何がでしょう」


「なぜ私が引き取る話になる」


「今、国が責任を持てと仰ったではありませんか」


「国が、と言った」


「あなたもこの国の侯爵でしょう」


「詭弁だ」


「そうでしょうか」


セドリックは涼しい顔をしている。


日和はなんとなく分かった。

この2人、仲が悪い。


「ちょうどよかったではありませんか」


「何がだ」


「日和殿の今後が決まりました」


「勝手に決めるな」


「私もそう思います」


日和が口を挟むと、男が初めてこちらを見た。


目が合う。


怖い。

近くで見ると、もっと怖い。


日和は少しだけ姿勢を正した。


「……何だ」


「いえ。やっとこっち見たなと思って」


「見ていた」


「今初めて目が合いましたけど」


男の眉間の皺が深くなった。

怒らせたかもしれない。

まあ、元から怒っているような顔なのでよく分からない。


「日和殿」


セドリックがこちらを見る。


「いかがです? レーヴェン侯爵の領地であれば、生活に慣れるまで不自由はないでしょう」


「本人の意見を聞く前に話を進めるな」


男が遮った。


日和はまた瞬きをした。


「彼女が望まないのであれば、この話はなしだ」


その言葉に、セドリックがわずかに目を細める。


「では、ご本人に決めていただきましょう」


突然選択を委ねられてしまった。


日和は考える。


王宮にはいられない。


数日後に1人で放り出されても、どうすればいいのか分からない。文字も読めなければ、お金の価値も知らない。仕事を探そうにも、どんな仕事があるのかすら分からない。


それなら、この男についていく方が現実的だ。


怖いけど。

ものすごく怖いけど。

少なくとも、この人は自分を役に立つかどうかで判断しなかった。


それに、今の言葉もそうだ。

本人が望まないならなし。

当たり前のことなのかもしれない。


でも、勝手に異世界へ連れてこられ、その後の人生まで勝手に決められそうになっていた日和には、その当たり前がありがたかった。


「……もし、ご迷惑でなければ」


日和は男を見る。


「しばらくお世話になってもいいですか?」


男は少し黙った。


「生活の基盤ができるまでだ」


「十分です」


「文字と、この国で暮らすために必要なことは覚えてもらう」


「はい」


「働けるようになれば、仕事も探せばいい」


「そうします」


話が早い。


男は短く頷いた。


「エリアス・フォン・レーヴェンだ」


「穂積日和です」


「知っている」


「……じゃあ、なんで名乗ったんですか?」


エリアスが黙る。


日和も黙る。


「…………」


「…………」


もしかして。


この人。


「侯爵様、会話苦手ですか?」


「なぜそうなる」


「なんとなく」


エリアスは深いため息をつき、セドリックを見る。


「明朝、領地へ戻る。彼女の身支度を整えておけ」


「承知しました」


「それから」


エリアスの声が低くなる。


「これは貸しだ、セドリック」


「覚えておきましょう」


「お前の『覚えておく』ほど信用できない言葉もないな」


やっぱり仲が悪い。

日和は心の中で確信した。


こうして、異世界に召喚されて2日目。


日和は王宮を出て、会ったばかりの侯爵の領地で暮らすことになった。


行くあてもなかったのだから、ありがたい話ではある。


ただ、1つだけ不安がある。


日和は隣に立つエリアスをちらりと見た。


目つきが鋭い。

眉間には皺。

口元も笑う気配がない。

これからこの人と一緒に暮らすのか。


「……大丈夫かな」


「何か言ったか」


「何も言ってません」


どうやら異世界生活は、まだまだ落ち着きそうになかった。



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