第69話 分からないなら、行ってみればいいらしいです
「ごちそうさま」
「はい、お粗末さまでした」
ルカが食べ終えた皿を下げ、日和はカウンターを拭く。ほかの客はすでに帰り、店には2人だけになっていた。
「じゃあ、俺もそろそろ帰るかな」
「うん。荷物ありがとう、助かった」
「また足りなくなったら言って」
「お願いします」
ルカが立ち上がりかけて、ふと動きを止める。
「日和」
「何?」
「今度、休みの日ある?」
「休み? あるけど……どうしたの?」
ルカは少し言いづらそうに視線を逸らしてから、日和を見る。
「よかったら、俺と出かけない?」
「……出かける?」
「うん。店とか仕入れとか関係なく、2人で」
日和は瞬きをした。ルカとは市場へ行ったこともあるし、仕入れ先を見に行こうという話もしたことがある。でも今回は、それとは少し違う気がする。
「それって……」
「返事は今じゃなくていいよ。急に言われても困るだろうし、次に来たとき聞かせて」
「あ、うん」
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみ」
扉が閉まっても、日和はしばらくその場に立っていた。
店でも仕入れでもなく、休みの日に2人で。
「……デート、だよね」
翌日、宵日和にやってきたミレイユへ話すと、案の定同じ答えが返ってきた。
「デートね」
「やっぱり?」
「それ以外に何があるのよ」
「でも、デートとは言われてないよ」
「言わなくても分かるでしょ」
ミレイユは酒を飲みながら日和を見る。
「で、どうするの?」
「それを相談したかったの」
「商会の坊っちゃんと出かけるのは嫌?」
「嫌じゃないよ。話しやすいし、一緒にいて楽しいし」
「じゃあ、誘われて嬉しかった?」
「え?」
日和は答えようとして口を閉じた。
嫌ではなかったし、驚いた。でも素直に嬉しかったかと聞かれると、すぐには頷けない。
「……分からない」
「行きたいとは思った?」
「それも、よく分からなくて」
「ふうん」
ミレイユは杯を傾けながら、じっと日和を見る。
「エリオさん、まだ帰ってこないの?」
「うん、もう1か月」
返事はすぐに出た。
ミレイユの眉が少し上がる。
「ちゃんと数えてるのね」
「別に数えてたわけじゃないよ。こんなに長いと思ってなかったから」
「寂しい?」
「寂しいっていうか……いつもの席にいないと、なんか変な感じがする」
日和はカウンターの端を見る。その視線を追ったミレイユが、小さく笑った。
「なるほどね」
「何、その顔」
「別に?」
明らかに何か思っている顔だ。
日和は少し迷ってから、声を落とした。
「あと昨日、ちょっと嫌な話を聞いたの」
「どんな?」
「前に話した、顔の怖い人覚えてる?」
「覚えてるわよ。日和が前に世話になってた人でしょ? 無口で、説明が足りなくて、怖い顔してるけど本当はいい人」
「そんなに言ったっけ?」
「結構聞いたわよ」
「……そっか」
「その人がどうしたの?」
「縁談があるかもしれないんだって」
ミレイユの目が少し細くなる。
「へえ。それで?」
「それでって?」
「日和はどう思ったの?」
聞かれて、日和は黙る。
まだ噂だ。決まったわけでもないし、自分には関係のない話。それなのに昨日からずっと胸の奥に残っている。
「……嫌だった」
「何が?」
「その人が誰かと結婚するって考えたら」
言葉にすると、胸がまたざわついた。
「知らない人が隣にいて、一緒に暮らして、毎日一緒に食事するのかなって考えたら……なんか嫌で」
ミレイユは何も言わない。
「別に私には関係ないのにね。結婚してもおかしくない年齢だし、立場的にもそういう話はあるだろうし」
「なのに嫌なのね」
「……うん」
ミレイユはしばらく日和を見てから、呆れたように息を吐いた。
「分かりやすいわねえ」
「何が?」
「あんたが」
「私?」
「商会の坊っちゃんに誘われて、行きたいかどうかは分からない。でもエリオさんが帰ってこない日数はすぐ出てきて、顔の怖い人が誰かと結婚するのは嫌」
「……」
「しかも、知らない女と一緒に暮らして毎日食事するところまで想像してる」
「だって、結婚したらそうなるでしょ?」
「そういうことじゃないのよ」
ミレイユはとうとう笑った。
「日和って、人のことはよく見てるのに自分のことになると本当に鈍いわね」
「ガルドさんにも似たようなこと言われた」
「珍しく正しいこと言うじゃない」
「本人に言ったら怒るよ」
「いいのよ、いないし」
日和も少し笑ったものの、すぐにミレイユを見る。
「……ミレイユ、何か分かった?」
「分かったわよ」
「何?」
「教えない」
即答された。
「なんで?」
「自分で分かりなさい」
「相談した意味ないじゃん」
「あるわよ」
ミレイユは杯を置く。
「商会の坊っちゃんと出かけてきなさい」
「え?」
「嫌じゃないんでしょ?」
「嫌じゃないけど……でも、中途半端な気持ちで行くのって失礼じゃない?」
「付き合うわけじゃないんだから、そこまで考えなくていいのよ。2人で出かけるだけ」
「そうだけど」
「それに、分からないなら確かめてくればいいじゃない」
「何を?」
「自分の気持ち」
ミレイユは少しだけ笑った。
「商会の坊っちゃんと2人で出かけて楽しいなら、それでいい。何か違うと思ったなら、それも答えよ」
「……うん」
「もしかしたら、その間ずっと別の誰かのこと考えてるかもしれないし」
「別の誰か?」
日和の頭に、栗色の髪が浮かぶ。
そのすぐあと、なぜか灰色の髪と青みがかった灰色の目まで浮かんだ。
ミレイユがにやりとする。
「ほら」
「何?」
「なんでもない」
「絶対なんかあるでしょ」
「教えないって言ったでしょ」
ミレイユは楽しそうに酒を飲む。
「行ってきなさい、日和。たぶん今のあんたには、その方がいいわ」
日和は少し考えてから、頷いた。
「……うん」
数日後、ルカが店へやってきた。
「この前の話、考えてくれた?」
少し緊張した顔で聞かれ、日和は頷く。
まだ自分がどうしたいのかは分からない。でも、分からないなら確かめてみようと思った。
「うん」
日和はルカを見る。
「行く。一緒に出かけよう」




