第67話 しばらく留守にするそうです
「しばらく留守にします」
営業を終えて片づけをしていると、いつもの席に座っていたエリオが突然そんなことを言った。
「留守?」
「ええ。少し王都へ行くことになりまして」
「王都って、ここから結構かかりますよね」
「馬車で3日ほどですね」
日和は手にしていた布巾を止める。
王都からアルノルトへ来たときも、それくらいかかったはずだ。あの頃はまだこの世界へ来たばかりで、何も分からないまま馬車に揺られていた。
「3日かあ……長いんですよね、馬車」
「苦手ですか?」
「苦手っていうほどじゃないですけど、ずっと座ってるのが結構しんどくて。最初は珍しくて外ばっかり見てたんですけど、途中からそれどころじゃなくなりました」
「そうでしょうね。2日目にはほとんど外を見なくなっていましたから」
「……」
日和の手が止まった。
エリオも止まる。
「……なんで知ってるんですか?」
「何がです?」
「私が2日目に外を見なくなったこと」
数秒、妙な沈黙が落ちた。
「……以前、聞いた気がします」
「私から?」
「ええ」
「話しましたっけ」
「話していましたよ」
言い切られると自信がなくなる。
この世界へ来てからいろんな人にいろんな話をしたし、エリオとも随分話すようになった。自分が忘れているだけかもしれない。
「そうだったかなあ」
「忘れているんでしょう」
「エリオさん、たまに私より私のこと覚えてますよね」
「あなたが忘れすぎなんです」
「そんなことないですよ」
「あります」
即答された。
納得はいかないけれど、本人が聞いたと言うならそうなのだろう。
日和は布巾を動かしながら、ふと思う。
「王都には、どれくらいいるんですか?」
「2週間ほどかと」
「2週間……」
思っていたより長い。
毎日会っているわけではない。それでもエリオがここへ来るようになってから、営業を終える頃にいつもの席にいる姿を見ることが増えた。
数日来なければ、今日は来ないのかなと思うくらいには、その存在が日常に入り込んでいる。
それが2週間いなくなる。
「……結構長いですね」
「そうですね」
「仕事ですか?」
「ええ。少し片づけなければならないことがあって」
「大変ですね」
日和は何気なく店内を見回し、いつもの席に視線を戻す。
「しばらく寂しくなりますね」
口にしてから、自分で少し驚いた。
エリオもわずかに目を見開く。
「いや、店がですよ」
「店が?」
「常連さんが1人減るので」
「そういうことですか」
「そういうことです」
なぜか念を押してしまった。
エリオはしばらく日和を見ていたけれど、やがて小さく笑う。
「なるべく早く戻ります」
「無理しなくていいですよ。仕事なんでしょう?」
「ですが、寂しいんですよね」
「店が」
「はいはい」
「なんですか、その返事」
日和が睨むと、エリオは楽しそうに笑った。
最近、この人はよく笑うようになった気がする。
最初に隣の家で会った頃は、もっと穏やかではあるけれど何を考えているのか分からない人だった。それが今では、こんなふうにからかってくる。
「向こうでもちゃんと食べてくださいね」
「分かっています」
「忙しいからって抜いたら駄目ですよ」
「あなたに言われたくありませんね」
「私はちゃんと食べてます」
「忙しい日は昼が遅くなるでしょう」
「……なんで知ってるんですか」
「店に来ていますから」
「ああ、そっか」
今度はちゃんと理由があった。
「寝るのも忘れないでくださいね」
「子どもではありません」
「エリオさん、仕事に集中したら忘れそうだから」
「あなたほどではありませんよ」
「またそういうこと言う」
「事実です」
言い返そうとしたけれど、思い当たることが多すぎてやめた。
「とにかく、元気で帰ってきてください」
何気なく言ったつもりだった。
けれどエリオが黙ったので、日和は首を傾げる。
「エリオさん?」
「……ええ」
いつもより少しだけ柔らかい声だった。
「帰ってきます」
「はい」
「そのときは、また食べに来ても?」
「もちろん。常連さんですから」
「では、それを楽しみにしておきます」
エリオが席を立つ。
いつものように店を出て、隣の家へ帰るだけなのに、今日はなぜか見送る足取りが少し重かった。
「じゃあ、気をつけて」
「日和さんも」
扉の前でエリオが振り返る。
「私がいない間、あまり無茶をしないように」
「しませんよ」
「本当に?」
「信用ないなあ」
「心配されるようなことをするからです」
「……エリオさん、結構心配性ですよね」
「誰のせいでしょうね」
そう言って、エリオはいつもの柔らかな笑みを浮かべた。
「行ってきます」
「はい。行ってらっしゃい」
扉が閉まる。
静かになった店内で、日和はしばらくそこに立っていた。
2週間。
長いような、短いような。
毎日会っていたわけでもないのだから、きっとすぐだ。
「……片づけよ」
誰に言うでもなく呟いて、日和は店の奥へ戻った。
それでも翌日、営業を終える頃になると、日和は無意識にいつもの席を見ていた。
当然、そこには誰もいない。
「……2週間か」
思っていたより長いかもしれない。




