第66話 なんだか距離が近くないですか
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宣言したばかりで申し訳ない…
夕方の客足がひと段落した頃、宵日和の扉が開く。
「こんばんは」
「おう」
入ってきた2人を見て、日和は思わず手を止めた。ミレイユとガルドだ。
「……一緒なんだ」
「途中で会っただけよ」
「こいつが勝手についてきた」
「逆でしょ、あんたが私の後ろ歩いてたんじゃない」
「店に向かってただけだ」
「私もよ」
言っていることも声の調子もいつも通りなのに、何かが違う。日和がじっと見ていると、ミレイユが眉を寄せた。
「何?」
「ううん、なんでもない」
「その顔で?」
「どんな顔?」
「何か面白いもの見つけた顔」
そんなつもりはない、と言おうとして日和は気づいた。ミレイユが何の迷いもなくガルドの隣に座っている。
以前なら1つ空けていた席だ。
「……」
「だから何よ」
「なんでもないって」
「顔がなんでもなくないのよ」
日和は口元が緩みそうになるのを堪えながら、2人の前に水を置いた。
「今日は何にする?」
「酒」
「私も」
「ガルドさんは1杯だけですね」
「もう治ったって言っただろ」
「治ったばっかりでしょ」
日和が酒を用意していると、ミレイユも横から口を挟む。
「日和、ほんとに1杯でいいから」
「お前まで何言ってんだ」
「この前まで怪我人だったんだから、それくらいでいいでしょ」
「もう怪我人じゃねえ」
「じゃあ1杯で我慢できるわね」
ガルドは面倒そうに顔をしかめたものの、しばらくして「分かったよ」と諦めた。
日和の手が止まる。
「……何だよ」
「いや、素直に聞くんだなと思って」
「俺だって話くらい聞く」
「前よりはね」
ミレイユが小さく笑うと、ガルドは「うるせえ」と返すだけで、それ以上文句を言わなかった。
やっぱり何か違う。
手をつないでいるわけでも、甘い言葉を交わしているわけでもない。相変わらず口を開けば言い合っているのに、以前より少しだけ距離が近い。
「日和」
「何?」
「さっきからニヤニヤしてない?」
「してないよ」
「してる」
「してねえな」
ガルドの言葉に、日和は嬉しくなって顔を向けた。
「ガルドさんは分かってくれるんですね」
「ああ、ニヤニヤっていうより気持ち悪いくらい笑ってる」
「前言撤回します」
ガルドが声を上げて笑う。
「日和もそんな顔すんだな」
「どんな顔ですか」
「面白いもん見つけた子どもみてえな顔」
「ガルドさんたちが面白いからでしょう」
「俺は何も面白くねえよ」
「最近ちょっと素直になった気がしますけどね」
「お前までミレイユみてえなこと言うな」
「いいことじゃないですか」
「じゃあ、お前も少しは素直になれ」
「私?」
「人のことばっか見て笑ってんじゃねえよ」
「私は十分素直ですよ」
「どうだかな」
「なんですか、それ」
日和が笑うと、ガルドもつられたように笑った。
その横でミレイユが頬杖をつく。
「……仲いいわね、あんたたち」
「そうですか?」
「どこがだ」
声が重なり、ミレイユが「ほら」と笑う。
「今のはたまたまです」
「そうだ」
「また揃ってるじゃない」
そんなやり取りをしていると、扉が開いた。
「こんばんは」
聞き慣れた声に日和が顔を上げる。
「エリオさん、いらっしゃいませ」
エリオはいつもの席へ向かいながら、日和とガルドを見る。
「今日はずいぶん楽しそうですね」
「そうですか?」
「ええ」
日和は気づかなかったが、声がいつもより少し低い。
ミレイユがエリオを見る。
「さっきまで2人でずっと楽しそうにしてたのよ」
「ミレイユ?」
日和が首を傾げる。
エリオはガルドを見る。
「……そうですか」
「なんだよ」
「いえ、別に」
「なら見るな」
「見ていただけです」
「それを言ってんだよ」
ガルドが面倒そうに酒を飲む。
日和は2人を見比べた。
「なんか今日、エリオさんとガルドさん変じゃないですか?」
「俺はいつも通りだ」
「僕もです」
「そうかなあ」
「日和、注文」
ガルドに言われて、日和は「あ、そうだった」とエリオへ向き直る。
「エリオさん、今日もいつのでいいですか?」
「……はい」
「分かりました」
日和が厨房へ向かう。
その背中を見送ってから、ミレイユが小さく笑った。
「分かりやすいわね」
「何のことでしょう」
「別に?」
エリオは答えず、ガルドへ視線を向ける。
ガルドはそれに気づくと、心底面倒そうに眉を寄せた。
「……俺に当たんなよ」
「当たっていません」
「じゃあその顔やめろ」
「どんな顔ですか?」
「知らねえよ」
ミレイユが肩を揺らして笑う。
「ちょっと、面白すぎる」
「お前も煽るな。余計面倒になる」
「だって」
「だってじゃねえ」
そこへ日和が料理を持って戻ってきた。
「何の話?」
「なんでもねえ」
「ガルドさん、さっきからそればっかりですね」
「お前がいちいち聞くからだ」
「気になるじゃないですか」
「気にすんな」
「はいはい。エリオさん、お待たせしました」
「ありがとうございます」
エリオの前に料理を置くと、さっきまでの不機嫌そうな表情が少しだけ和らいだ。
それを見たミレイユが、またにやりとする。
「ミレイユ?」
「何?」
「やっぱり今日ずっとニヤニヤしてる」
「日和も人のこと言えないでしょ」
「私はもうしてないよ」
「そういうことにしとく」
「何それ」
その後は別の客も入り、宵日和はいつもの賑やかさになった。
日和は注文を聞き、料理を作り、空いた皿を下げていく。ひと段落した頃にはガルドの杯が空になっていた。
「日和」
「お酒ならダメですよ」
「まだ何も言ってねえ」
「もう1杯でしょ?」
「分かってんなら――」
「ダメ」
今度はミレイユと日和の声が重なる。
ガルドは2人を見比べた。
「……帰ろうかな」
「拗ねないでくださいよ」
「誰が拗ねてんだ」
日和が笑いながら杯を下げる。
「代わりにお茶出しますね」
「いらねえ」
「出します」
「勝手だな」
「ガルドさんに言われたくないです」
「言うようになったな」
「誰のせいですか」
「知らねえよ」
また2人で笑う。
エリオが無言でフォークを置いた。
今度は日和にも聞こえた。
「エリオさん?」
「何ですか?」
「……怒ってます?」
「怒っていません」
「でも」
「怒っていません」
2回言われた。
日和はますます分からなくなって首を傾げる。
「ならいいですけど」
別の客に呼ばれ、日和が離れていく。
その途端、ミレイユが吹き出した。
「分かりやすすぎるでしょ」
「何がですか」
「それで隠してるつもり?」
「何の話をしているのか分かりません」
「はいはい」
ガルドは長く息を吐く。
「……ほんっと面倒くせえな」
エリオが見る。
「何ですか?」
「俺を睨むな。日和と話してただけだろ」
「睨んでいません」
「じゃあ、さっきから俺を見るのやめろ」
「見ているだけです」
「だからそれが面倒なんだよ」
ミレイユは完全に楽しんでいる。
「ガルド、好かれちゃったんじゃない?」
「やめろ。余計ややこしくなる」
「誰が誰をですか」
「ほら、食いついた」
「ミレイユ」
エリオの声がさらに低くなり、ミレイユはとうとう声を上げて笑った。
やがて最後の客が帰り、日和は店の片づけを始める。
「ちょっと奥片づけてきますね」
「手伝う?」
「大丈夫。ミレイユはゆっくりしてて」
日和は食器を持って厨房の奥へ入り、水を流し始めた。
その音が聞こえたところで、ガルドがエリオを見る。
「……しかし、器用なもんだな」
エリオの手が止まる。
「何がですか?」
「別に、人間ってのは便利だなと思ってよ」
エリオの淡い緑色の目がわずかに細くなる。
「ずいぶん曖昧な話ですね」
「そうか? あんた、獣人が鼻利くって知ってるか?」
一瞬、沈黙が落ちる。
「……ええ、聞いたことはあります」
「なら話は早えな。見た目がどうだろうが、分かるもんは分かる」
エリオは何も答えない。
ガルドは面倒そうに息を吐いた。
「だから俺を睨むなって。あんたが誰だろうが、日和と普通に話すくらい勝手だろ」
「……睨んでいません」
「まだ言うか」
ミレイユが肩を震わせる。
「ちょっと待って、何? ガルド、何か知ってるの?」
「知らねえ」
「今の流れで?」
「知らねえもんは知らねえ」
「絶対嘘」
「うるせえな」
エリオもそれ以上何も言わず、ガルドから視線を外した。
ガルドは鼻を鳴らす。
「ったく。面倒な男だな」
「聞こえていますよ」
「聞こえるように言った」
ミレイユがまた笑う。
厨房ではまだ水の音が続いていた。
「すみません、何か言いました?」
奥から日和の声が飛んでくる。
「なんでもねえよ!」
「そうですか?」
それきり、また水の音が続く。
しばらくして片づけが終わると、ミレイユが席を立った。
「じゃあ、そろそろ帰ろうかな」
ガルドも立ち上がる。
「俺も帰る」
日和は2人を見比べた。
「一緒に?」
「「違う!」」
ぴったり重なった。
日和はまた笑う。
「やっぱり仲いいですよね」
「違うって言ってるでしょ!」
「同じ方向だから一緒に出るだけだ」
「はいはい」
「その顔やめろ!」
ガルドが扉を開け、ミレイユがその後を追う。
「じゃあね、日和」
「うん、またね」
「おう」
「ガルドさんも飲みすぎないでくださいね」
「分かってる」
「私が見張っとくわ」
「いらねえよ」
「ほら、行くわよ」
「お前が先に行け」
言い合いながら2人が出ていく。
日和は閉じた扉を眺め、また口元を緩めた。
「……やっぱり何かあったと思いません?」
「そうですね」
「絶対、前より仲良くなってますよね」
「ええ」
「何があったんだろう」
楽しそうに首を傾げる日和を見て、エリオは小さく息を吐いた。
「……日和さん」
「はい?」
「いえ、何でもありません」
「今日そればっかりですね」
「そうかもしれません」
日和は不思議そうにしながら、最後の皿を片づける。
エリオはしばらく何か言いたそうにその横顔を見ていた。




