第64話 痴話喧嘩ならよそでお願いします
ガルドのお見舞いに行ってから、数日が経った。
その日の宵日和には珍しく客が少なく、ミレイユはカウンターに座って酒を飲みながら、さっきから同じ男の愚痴を言い続けていた。
「ほんっと、腹立つ」
「ガルドさん?」
「そう!」
聞くまでもなかったらしい。
「まだ治ってないくせに、もう仕事に戻れるとか言うのよ。昨日なんて重い荷物まで持とうとして」
「止めたの?」
「当たり前でしょ。医者にもまだ大人しくしろって言われてるのに、本人はもう平気だの何だのって」
ミレイユは酒を一口飲み、大きく息を吐いた。
「怪我人って、みんなあんなに言うこと聞かないもの?」
「ガルドさんだからじゃない?」
「やっぱりそう思う?」
「うん」
即答すると、ミレイユが額を押さえた。
日和は苦笑しながら、彼女の前に小皿を置く。
「でも、心配なんだね」
「……そりゃ心配するでしょ」
さっきまでの勢いが少しだけ弱くなった。
日和はその横顔を見て、この前の治療院で気になっていたことを思い出す。
「そういえば、あのとき言ってたよね。またそこ、って」
ミレイユの手が止まった。
「……聞いてた?」
「目の前にいたからね」
「ああ、そっか」
少し迷ったあと、ミレイユは杯を置いた。
「あそこ、昔も怪我してるの。私を庇って」
「ミレイユを?」
「傭兵だった頃ね。私が判断を間違えて、危ないところに出ちゃって。それを庇ったガルドがまともに攻撃を受けたの」
右肩から腕にかけての大怪我だったらしい。治るまで長くかかり、以前のようには動かせなくなった。ガルドが傭兵を辞めたのも、それがきっかけの1つだったという。
「だから、私がもっとちゃんとしてたらって、今でも思う」
「ガルドさんは?」
「そんなこと思ってないって言うよ。むしろ私が謝ると怒る」
「じゃあ――」
「分かってる」
ミレイユが苦笑した。
「あの人が私のせいだと思ってないことくらい。でも、それと私がどう思うかは別でしょ」
日和はそれ以上何も言えなかった。
「だから放っておけないの。ちゃんと食べてるか気になるし、怪我してないか気になるし、お酒飲みすぎてたら腹が立つし……」
好きだからじゃないの、と言いかけてやめる。
それは日和が言うことではない。ミレイユ自身、もう分かっているのだから。
そのとき、店の扉が開いた。
「酒」
聞き慣れた低い声に、日和とミレイユが揃って振り返る。
右腕にまだ包帯を巻いたガルドが立っていた。
「……」
「……」
2人が黙ると、ガルドが眉を寄せる。
「なんだよ」
「いえ、別に」
「何でもない」
「絶対なんかあっただろ」
怪訝そうな顔をしながら、ガルドはいつもの席へ座った。
「日和、酒」
「出しません」
「なんでだよ」
「まだ包帯取れてないでしょう」
「もうほとんど治ってる」
その言葉に、隣から声が飛んだ。
「ほとんどでしょ?」
ガルドの顔が露骨に歪む。
「……いたのか」
「最初からいたわよ」
「気づかなかった」
「その大きな耳、飾り?」
「うるせえな」
ミレイユはガルドの右腕を見る。
「医者は何て?」
「あと数日大人しくしてろって」
「じゃあ大人しくしてなさいよ!」
「飯食いに来ただけだろ!」
「最初に酒って言ったでしょ!」
ガルドが黙った。
日和も黙って見つめる。
「……飯も食う」
「お酒は?」
「……いらねえ」
「はい。よろしいです」
日和はガルドの前に料理を並べた。それでも隣では、まだ言い合いが続いている。
「だいたいお前は気にしすぎなんだよ」
「誰のせいよ」
「俺は頼んでねえだろ」
「頼まれなくても心配するの!」
「だから、それは昔のことをまだ責任感じてるからだろ」
ミレイユの口が止まった。
ガルドは気づかず続ける。
「俺が傭兵辞めたこと、自分のせいだと思ってんだろ。だからいちいち世話焼いて――」
「……ほんっと馬鹿」
「は?」
「馬鹿って言ったの」
「なんで俺が馬鹿なんだよ」
「分からないなら一生分からなくていい!」
「意味分かんねえよ!」
日和は2人の間に新しい小皿を置いた。
「痴話喧嘩ならよそでお願いします」
「「誰が痴話喧嘩だ!」」
日和は2人を見比べる。
「……息ぴったりですね」
「「どこが!」」
「はいはい」
「日和!」
ミレイユに睨まれたが、まったく怖くない。
その後も2人は何かにつけて言い合いながら、結局どちらも帰ろうとはしなかった。
しばらくして、ガルドが自分の小皿に残っていた煮卵を箸で半分に割った。黄身はまだ柔らかく、とろりとしている。
ガルドはその片方を、何でもないことのようにミレイユの皿へ置いた。
「何?」
「食え」
「なんで?」
「こういうの好きだろ」
ミレイユが煮卵とガルドを交互に見る。
「……覚えてたの?」
「何年一緒にいたと思ってんだ」
「そういうところなのよ」
「何がだよ」
「もういい」
ミレイユは呆れたように息を吐いた。それでも煮卵は返さず、しばらく眺めてから口に運ぶ。
ガルドも残った半分を食べた。
さっきまであれだけ言い合っていたのに、そんなところだけ妙に自然だった。
日和はカウンターの中から2人を見る。
責任だから放っておけないと思っているミレイユと、責任だから自分の世話を焼くのだと思っているガルド。そのくせ、お互いのことを誰よりよく覚えている。
どう考えても、責任だけには見えなかった。
「……やっぱり痴話喧嘩じゃない?」
「「違う!」」
また、きれいに重なった。




