第62話 常連さんが怪我をしたそうです
ガルドが討伐の仕事に出てから、数日が経っていた。
出発する前に宵日和へ寄り、「しばらく来ねえから酒を残しとけ」と言っていたので、日和も数日姿を見せないこと自体は気にしていなかった。
その日の夜も店はいつも通りだった。
「エリオさん、今日は早いですね」
「仕事が早く終わったので」
「じゃあ、まだ日替わり残ってますよ」
「それをお願いします」
最近ではすっかり定位置になったカウンターの端にエリオが座る。日和も注文を聞く前から茶を出すようになり、エリオも当たり前のようにそれを受け取る。
少しして、顔馴染みの男たちが2人入ってきた。
「いらっしゃいませ」
「日和ちゃん、酒と適当に何か頼む」
「はい。今日は煮込みがありますよ」
「じゃあそれも」
注文された料理を用意している間、男たちは仕事帰りらしく、その日あったことを話していた。
最初は日和も気にしていなかった。
「そういや、西門の方でまた魔物が出たらしいな」
その言葉に、エリオの手がわずかに止まった。
「またか。最近多くないか?」
「西の方から流れてきてるって話だぞ。いつもこの辺に出るやつよりでかかったらしい」
「物騒だな」
日和は煮込みを皿によそいながら、その会話を聞いていた。
以前、商人組合でも西の方で魔物の被害が増えているという話を耳にした。ここから遠い場所の話だと思っていたが、少しずつこちらにも影響が出ているのだろうか。
「お待たせしました」
料理を運ぶと、男の1人が礼を言って酒を飲む。
「そういや、ここのでかい獣人も行ってたんじゃなかったか?」
日和の手が止まった。
「でかい獣人?」
「ああ。ほら、よくそこに座ってる」
男がカウンターの一角を指さす。
「ガルドさんですか?」
「そうそう、その人」
日和は持っていた盆をカウンターへ置いた。
「ガルドさんがどうかしたんですか?」
「あれ、聞いてないのか?」
「何をです?」
男たちが顔を見合わせた。
「怪我したって聞いたぞ」
「……え?」
一瞬、意味が分からなかった。
「怪我?」
「ああ。俺も直接見たわけじゃないけどな。昨日戻ってきた冒険者が言ってた」
「どのくらいの怪我なんですか?」
「さあ、そこまでは。結構血が出てたって話だけど」
もう1人の男が口を挟む。
「仲間に肩を貸されて戻ってきたらしいぞ」
「……どこにいるんですか?」
「冒険者組合か治療院じゃないか? 怪我してるなら、まずそっちに運ばれるだろ」
曖昧な話ばかりで、肝心なことが何も分からない。
命に関わるような怪我なのか、それとも歩けないだけなのか。ガルドなら多少の怪我をしても「大したことねえ」と言いそうだから、余計に判断がつかなかった。
「日和さん」
静かな声に呼ばれ、日和は振り返った。
エリオがこちらを見ている。
「まだ怪我の程度も分かっていません」
「……そうですけど」
「討伐から戻っているなら、治療は受けているはずです」
「そうですよね」
日和は頷いたものの、落ち着かない。
いつもなら、そろそろ酒を飲みに来てもおかしくない時間だった。
「ガルドさん、怪我したなら教えてくれればいいのに」
「心配をかけたくなかったのかもしれません」
「それで人づてに聞く方が心配しますよ」
日和がため息をつくと、エリオは少し黙った。
「……そうですね」
どこか思い当たることでもあるような返事だった。
すぐにでも様子を見に行きたいが、まだ店には客がいる。場所も分からないまま店を閉めて探し回るわけにもいかない。
日和は気持ちを切り替え、止まっていた手を動かした。
「すみません。料理、冷めちゃいますね」
男たちのところへ戻り、追加の注文を聞く。
それでも仕事をしながら、何度も入口へ目が向いた。
いつものように扉が開いて、「酒」と一言だけ言いながらガルドが入ってくる気がした。
けれど、その夜ガルドが姿を見せることはなかった。
客が少なくなった頃、エリオが席を立った。
「ごちそうさまでした」
「もう帰るんですか?」
普段なら閉店近くまでいることも珍しくない。
「はい。少し用事を思い出しました」
「今から?」
「急ぎなので」
エリオは代金を置き、扉へ向かう。
「日和さん」
「はい?」
「今日は店が終わったら、そのまま家に帰ってください」
日和は首を傾げた。
「ガルドさんを探しに行くと思ってます?」
「少し」
「……ちょっと思ってました」
エリオが小さく息を吐いた。
「明日になれば、何か分かるかもしれません。今夜は1人で探し回らない方がいい」
「分かりました」
「本当に?」
「本当です」
疑われている。
日和が苦笑すると、ようやくエリオは頷いた。
「では、おやすみなさい」
「おやすみなさい、エリオさん」
扉が閉まる。
日和はしばらくその扉を見つめたあと、ガルドがいつも座っている席へ目を向けた。
数日空いているだけなのに、今日はやけにその席が寂しく見える。
「……ミレイユ、知ってるのかな」
小さく呟く。
明日になったら、何か分かるだろうか。
大した怪我じゃなければいい。
そう思いながら、日和は残っていた皿を片づけ始めた。




