第60話 4皿目 欲張りオムレツ
「何か作ります」
そう言って厨房へ向かいかけた日和は、ふと思い出して振り返った。
「お品書きから選びます? それとも、おまかせにします?」
ノアは壁に掛けられたお品書きを見上げ、しばらく考えてから首を傾げた。
「……おすすめはありますか?」
「それを聞かれると、全部おすすめって答えますよ」
「では、おまかせで」
「分かりました。座って待っててください」
昨日からまともに食べていないかもしれない人に、重たいものを出すのもよくない。日和は食材を確認して卵を取り出すと、火玉とひき肉、それからチーズも用意した。
細かく刻んだ火玉を炒め、透き通ってきたところでひき肉を加える。塩と香草で味を整えて一度取り出し、今度は乳を少し加えて溶いた卵を鍋へ流し込んだ。
卵が柔らかく固まり始めたところで、炒めた具とチーズを中央にのせる。少し欲張りすぎたかと思ったが、どうせならどちらも入っていた方がおいしい。
形を整えて皿へ移し、温めたパンと野菜のスープを添えれば完成だ。
「お待たせしました。欲張りオムレツです」
「欲張り?」
ノアが皿を見る。
「中にいろいろ入れたので」
「なるほど」
あっさり納得したノアは匙を入れた。柔らかな卵が割れ、中から火玉とひき肉、それに熱でとろけたチーズが顔を出す。
一口食べ、ノアが小さく頷いた。
「……柔らかいですね」
「味の感想を聞きたいんですけど」
「美味しいです」
「今、付け足しましたよね?」
「いいえ」
怪しい。
それでもノアはもう一口食べ、今度は断面をじっと見ている。
「肉とチーズが入っているんですね」
「はい。ひき肉だけでもいいかなと思ったんですけど、チーズも合いそうだったので両方入れました」
「どちらかではなく?」
「おまかせって言われましたから。欲張ってみました」
ノアは少し不思議そうな顔をしたものの、そのまま食事を続けた。
半分ほど食べたところで、ふいに匙が止まる。
「日和さん」
「はい?」
「僕、研究院を辞めようかと思っています」
日和は洗っていた皿から顔を上げた。
「……急ですね」
「以前から考えていました」
「そうなんですか。どうして辞めるんです?」
ノアはすぐには答えず、手元のオムレツへ視線を落とした。
「研究院に所属している以上、国から命じられた仕事を断ることはできません。自分の研究だけをしているわけにもいかないので」
「それはまあ、仕事ですからね」
「はい。だから辞めて、あなたの召喚についての調査だけをしようかと考えています」
日和は瞬きをした。
「……私のことだけ?」
「はい。なぜ弟さんではなく日和さんが召喚されたのか。元の世界へ戻る方法があるのか。それだけに時間を使えば、今より早く答えに辿り着ける可能性があります」
「ちょっと待ってください」
日和は思わず手を止めた。
「それ、私のために仕事を辞めるってことですよね?」
「そうなります」
あまりにも当然のように言われて、日和は困った。
ノアからは以前、一度きちんと謝罪を受けている。自分をこの世界へ巻き込んだことに責任を感じているのも知っていた。
「前にも言いましたけど、ノアさんが私を呼びたくて呼んだわけじゃないでしょう?」
「それでも、僕が召喚に関わったことは変わりません」
「その謝罪なら、もう受け取りましたよ」
「分かっています。だから謝罪するつもりはありません」
ノアは静かに日和を見た。
「謝るのではなく、今できることをしようと思ったんです」
「それで仕事を辞めるんですか?」
「その方が、あなたの調査に時間を使えますから」
「……それは嫌です」
ノアがわずかに目を見開いた。
「嫌、ですか?」
「はい。私のために仕事を辞められるのは嫌です」
「ですが――」
「ノアさん、研究院の仕事は嫌いなんですか?」
「いいえ」
「研究も?」
「好きです」
「だったら、辞めないでください」
ノアは黙った。
「でも、研究院に残れば日和さんの調査だけをすることはできません」
「私のことだけにしなくていいですよ」
「それでは時間がかかります」
「かかってもいいです」
日和はそう答えてから、ふとノアの皿を見た。
半分ほど残ったオムレツの中から、ひき肉と溶けたチーズが覗いている。
「ノアさん、どっちかしか選べないんですか?」
「どっちか?」
「研究院の仕事をするか、私のことを調べるか」
「両方するには時間が足りません」
「じゃあ、できる範囲で両方じゃ駄目ですか?」
日和はオムレツを指さした。
「それと一緒です」
「……オムレツと?」
「ひき肉だけでもいいし、チーズだけでもいい。でも両方入れられるなら、両方入れたっていいじゃないですか」
ノアは自分の皿を見る。
「仕事とオムレツは違うと思います」
「それは私も言ってから思いました」
「……そうですか」
「でも、言いたいことは同じです」
日和は少し笑った。
「本当にどっちかしか選べないなら、そのとき考えればいいと思います。でも今は、研究院にいながら私のことも調べられるんですよね?」
「……はい」
「だったら、最初から片方を捨てなくてもいいんじゃないですか?」
ノアは答えなかった。
研究院にいれば、日和の調査だけに時間を使うことはできない。国から命じられた仕事もこなさなければならない。
けれど、そこにいるからこそ触れられる資料があり、知ることのできる情報もある。
そして今は、それ以上に――。
ノアはそこで考えるのをやめ、もう一度オムレツへ匙を入れた。
「日和さん」
「はい?」
「これ、欲張りオムレツでしたね」
「そうですよ」
「……なら、僕も少し欲張ってみます」
日和は目を瞬かせ、それから笑った。
「いいと思います」
「研究院は辞めません。その上で、日和さんの召喚についても調べます」
「はい。お願いします」
「どちらも、できる限り全力で」
「それはいいですけど、ご飯を食べる時間まで研究に使わないでくださいね」
「……善処します」
「そこは欲張らなくていいです」
ノアは少しだけ口元を緩め、残っていたオムレツを食べる。
仕事も、日和の調査も、どちらかを捨てる必要はない。
少なくとも今は、両方を手放さずに進んでみようと思えた。




