第58話 会いたい人がいるそうです
エリアスに家まで送ってもらった夜から、1週間が過ぎた。
あの日、名前を呼んだだけで胸が妙に騒いだ理由は、結局分からないままだ。考えても分からないものは仕方がないし、店を開ければ仕込みがあり、客が来れば料理を作る。そんな毎日を過ごしているうちに、宵日和はいつも通りの日常に戻っていた。
昼の客足が落ち着いた頃、入口から聞き覚えのある声がした。
「日和様」
顔を上げると、オスカーが立っている。
「オスカーさん。いらっしゃいませ」
「ご無沙汰しております」
「どうぞ。今日は何にします?」
オスカーがカウンター席に腰を下ろす。何度か店に来てくれているせいか、最初の頃よりもこの場所に馴染んで見えた。
日和は温かい茶を出しながら尋ねる。
「侯爵邸は変わりないですか?」
「はい。皆、変わらず過ごしております」
「よかった。エリアス様も元気ですか?」
オスカーの動きが一瞬止まった。
「……はい。お元気でいらっしゃいます」
「そうですか」
日和が頷くと、なぜかオスカーがこちらを見ている。
「何ですか?」
「いえ、何もございません」
「何かありますよね?」
「いいえ」
なんとなく気になるが、本人が何もないと言うなら仕方がない。
日和は簡単な昼食を用意して出した。オスカーはいつものように丁寧に食べ、食事が半分ほど進んだところで、ふと思い出したように口を開く。
「そういえば日和様。先日、ノア様が旦那様を訪ねていらっしゃいました」
「ノアさんが?」
懐かしい名前に、日和の手が止まった。この世界へ来て間もない頃、召喚について調べると約束してくれた人だ。
「はい。日和様にお会いしたいとのことでした」
「私に?」
「ええ」
「何か分かったんでしょうか」
「そこまでは私にも」
日和は少し考える。ノアはずっと召喚について調べているはずだ。自分ではなく、湊を呼ぶはずだった召喚で何が起きたのか。
「じゃあ、ノアさんはここに来るんですか?」
オスカーが少し言いにくそうに箸を置いた。
「……いいえ。旦那様は、日和様がどこにいらっしゃるかをノア様にお伝えになりませんでした」
「どうしてですか?」
ノアが自分を探しているのなら、居場所を教えれば済む話だ。
「旦那様は、ノア様の目的を警戒しておられるのだと思います」
「目的?」
「ノア様は召喚魔法を研究しておられます。日和様に会いたい理由が、その研究に関わることである可能性もございますから」
オスカーは少し言葉を選んでから続けた。
「研究のために日和様を利用するつもりではないかと、旦那様は懸念されているのでしょう」
「……利用」
その言葉に、少しだけ胸がざわついた。
この世界へ呼ばれたばかりの頃、勇者ではない、役に立たないと判断された自分を、この国は必要としていなかった。そんな中で、エリアスだけが自分を引き取ってくれた。
「エリアス様らしいですね」
そう言うと、オスカーがわずかに目を細めた。
「そうですね」
「でも、ノアさんはそんな人じゃないと思います」
ノアのことをよく知っているわけではない。それでも、あのとき彼は召喚について調べると言ってくれたし、何よりこれは自分自身のことだ。
少し考えてから、日和はオスカーを見る。
「私、ノアさんに会いたいです」
「よろしいのですか?」
「はい。何か分かったなら知りたいですし、まだ分かってないなら、今どうなってるのか聞きたいです」
迷いはなかった。
オスカーは日和をしばらく見たあと、静かに頷いた。
「承知いたしました。旦那様にお伝えいたします」
「お願いします。エリアス様には、私が会いたいって言ってたって伝えてください」
また、オスカーの動きが止まった。
日和は首を傾げる。
「……何ですか?」
「いえ、何もございません」
「さっきもそれ言ってましたよ」
「お気になさらず」
「気になりますけど」
オスカーは答えず、静かに茶を飲んだ。
絶対に何かある。
けれど、それ以上聞いても教えてくれそうになかった。
*
オスカーを見送ったあと、日和はカウンターの中へ戻った。
ノアが自分に会いたがっている。何か分かったのだろうか。どうして自分が召喚されたのか、それとも元の世界へ帰る方法についてなのか。
日和は無意識に胸元へ手を当てた。
1週間前とは違う理由で、胸が落ち着かなかった。




