第56話 久々の再会ですが、視察だそうです
ガルドが眠ってしまってから、しばらく経った。
何度か声をかけてみたものの、起きる気配はない。仕方なく日和は、そのまま後片づけを始めた。
使った皿を洗い、残った料理を片づける。酒の瓶を棚へ戻し、調理台を拭く。
本日休みのはずだったのに、結局いつもと同じことをしている。
「……重そうだなあ」
ちらりとカウンターを見る。
大きな獣人が突っ伏したまま眠っている。
これを家まで運ぶのは無理だ。ミレイユを呼べれば一番早いのだろうけれど、今から探しに行くわけにもいかない。
「起きるまで待つしかないか」
最後の皿を棚へ戻したところで、背後から椅子の軋む音がした。
「ガルドさん?」
振り返る。
ガルドがゆっくりと顔を上げていた。
「起きました?」
返事はない。
ぼんやりした目でこちらを見ている。
「お水、飲みます?」
日和が近づく。
「……ミレイユ」
低い声が落ちた。
「え?」
次の瞬間、大きな手が日和の両肩を掴んだ。
「ちょ、ガルドさん?」
力は強くない。けれど、簡単には振りほどけそうにない。
ガルドはまだ半分眠っているらしく、焦点の合わない目で日和を見ていた。
「……お前、また……」
「私、ミレイユじゃ――」
言い終えるより先だった。
突然、身体が後ろへ引かれた。
「え?」
背中が誰かの胸にぶつかる。
肩を掴んでいたガルドの手が離れ、代わりに日和の身体を支えるように腕が回った。
「触るな」
聞き覚えのある低い声。
日和は目を見開いた。
「……侯爵様?」
すぐ後ろにエリアスがいる。
片方の腕が日和の肩を抱き、もう片方が腰に回っていた。
ほとんど抱きしめられている。
「え、あの……」
状況が理解できない。
どうしてここにエリアスがいるのか。
それ以前に、どうして自分はエリアスの腕の中にいるのか。
ガルドがゆっくり瞬きをした。
「……誰だ、お前」
「酔いが覚めてから話せ」
いつも以上に低い声だった。
ガルドはしばらくエリアスを見たあと、日和へ視線を戻した。
「……ミレイユじゃねえな」
「最初から違います」
「そうか」
「そうです」
ガルドは納得したように頷くと、再びカウンターへ突っ伏した。
「また寝るんですか?」
返事はない。
日和は呆然とする。
そして、しばらくして別のことに気づいた。
まだエリアスの腕の中にいる。
「あの……侯爵様」
「何だ」
「もう大丈夫です」
エリアスが止まった。
それから、自分が何をしているのか今気づいたように腕を離した。
「……すまない」
「いえ」
日和も一歩離れる。
妙に近かった。
肩と腰に、さっきまであった腕の感触が残っている。
なんとなく落ち着かなくて、日和は意味もなく前掛けを整えた。
「それより、どうしてここに?」
今日は休みだ。
それに、エリアスが宵日和へ来たことはまだ一度もない。
「……視察だ」
「視察?」
「ああ」
エリアスは平然と答えた。
「店を始めて1か月が過ぎただろう」
「過ぎましたけど」
「問題なく営業できているか確認する必要がある」
「侯爵様が?」
「そうだ」
日和は首を傾げた。
「もう侯爵邸を出てますよ?」
「分かっている」
「店も自分で借りてます」
「それも分かっている」
「じゃあ、なんで視察が必要なんですか?」
エリアスが黙った。
「……領内の店だからだ」
「全部のお店を視察してるんですか?」
「…………」
していないらしい。
「侯爵様?」
「必要だと判断した」
押し切った。
相変わらず説明が足りない。
けれど、久しぶりに見るその顔を眺めているうちに、日和は少しだけ笑った。
「来てくれたんですね」
エリアスの表情が止まる。
「約束してたでしょう。お客さんとして来てくれるって」
「……ああ」
「今日は休みですけど」
「そうらしいな」
「残念でしたね」
そう言いながら、日和は少し嬉しかった。
今日、ミレイユに聞かれたばかりだ。
会いたいのはどっちか。
あのとき最初に浮かんだ人が、今、目の前にいる。
「でも、少しくらいなら何か作れますよ」
「今日はいい」
「遠慮しなくても」
「休みの日に働かせるために来たわけではない」
その言葉に、日和は瞬きをした。
「じゃあ、本当に様子を見に来ただけ?」
「……そうだ」
エリアスは答えた。
日和は笑う。
「やっぱり優しいですね」
「何がだ」
「そういうところです」
エリアスが黙った。
日和はそれ以上説明せず、眠っているガルドへ視線を戻した。
「それより、この人どうしよう」
「知り合いか?」
「前に商会で一度会った人です。今日、友達の知り合いだって分かって」
エリアスがガルドを見る。
「なぜその男がここで酔いつぶれている」
「仕事帰りだったので、少し飲んでいくことになって」
「今日は休みではなかったのか」
「休みです」
「では、なぜ酒を出した」
「流れで」
エリアスの眉間に皺が寄った。
「日和」
「はい」
「視察が必要だったようだな」
「なんでですか」
「休みの日に店を開け、酔った男と2人きりになっている」
「ガルドさんはお客さんですよ」
「客なら何をしてもいいわけではない」
「酔いつぶれる予定ではなかったんです」
「酔った人間は予定を守らない」
正論だった。
日和は少し言葉に詰まる。
「……侯爵様、怒ってます?」
「怒ってはいない」
怒っている顔に見える。
もっとも、最初に会った頃から大体こんな顔だった気もする。
「心配してくれたんですか?」
何気なく聞くと、エリアスが黙った。
その沈黙に、日和は首を傾げる。
「侯爵様?」
「……視察だと言っただろう」
「そうでした」
やっぱり仕事らしい。
責任感の強い人だ。
さっきまでガルドが何度も口にしていた言葉を思い出す。
昔の部下だから。
長い付き合いだから。
それだけだ、と。
あれだけミレイユのことを気にしておいて、よく言う。
ガルドはきっと、自分で思っている以上にミレイユのことが好きなのだ。
日和には、それくらい分かる。
「……何だ」
エリアスの声に、日和は我に返った。
「何でもないです」
「そうか」
「はい」
日和は眠っているガルドを見た。
その隣で、エリアスが難しい顔をして立っている。
ガルドは分かりやすいのに。
侯爵様は、相変わらず何を考えているのか分からない。
「それより、本当にどうしましょう、この人」
「起こせ」
「起きないんです」
「水をかけろ」
「駄目です」
即答すると、エリアスがこちらを見る。
「風邪をひいたらどうするんですか」
「……では、どうするつもりだ」
「それを考えてるんです」
久しぶりに会ったというのに、結局こんな話をしている。
それがおかしくて、日和は小さく笑った。
「何がおかしい」
「なんでもないです」
「さっきからそればかりだな」
「そうですか?」
日和は笑いながら、もう一度ガルドを起こすためにカウンターへ向かった。
その背中をエリアスが見つめていたことには、気づかなかった。




