第55話 酒はほどほどにしてください
「じゃあ、私はこっちだから」
しばらく3人で歩いたところで、ミレイユが足を止めた。
「また店に行くわ」
「うん」
日和が答えると、ミレイユはガルドを見る。
「仕事帰りなんでしょ。今日はもう休みなさいよ」
「分かってる」
「あと、飲みすぎないこと」
「お前は俺の母親か」
「放っておくとろくなもの食べないから言ってるの」
「うるせえな」
言い合っている。
日和は2人を見比べた。
ついさっき、ミレイユがこの男を好きだと聞いたばかりだ。それを知って見ると、なんだか少し違って見える。
「じゃあね、日和」
「うん。またね」
ミレイユは手を振り、通りの向こうへ歩いていった。
残されたのは日和とガルドだ。
「……仲いいんですね」
「どこがだ」
即答だった。
「昔からああなんだよ」
ガルドは面倒そうに言って、大きなあくびをした。
よく見ると革の防具には土がつき、肩に担いだ荷物も重そうだ。
「仕事帰りですか?」
「ああ。朝から護衛だ。近くの村まで商人を送ってきた」
「お疲れさまです」
「そういや、お前の店、この辺だったな」
「すぐそこです」
「酒、あるって言ってたよな」
覚えていたらしい。
「ありますけど」
「行く」
返事が早い。
今日は休みのつもりだったが、仕込みはしてある。
「少しだけですよ」
「分かってる」
さっきも聞いた気がする返事だった。
*
『本日休み』の札を出したまま、宵日和に灯りをつける。
ガルドはカウンター席に腰を下ろし、大きく息を吐いた。
「休みなのに悪いな」
「今さらですね」
日和は酒とお品書きを出した。
「何か食べます?」
「酒だけでいい」
「駄目です」
「なんでだよ」
「さっきミレイユにも怒られてたでしょう」
「……余計なこと覚えてんな」
ガルドは渋々お品書きを手に取った。
「じゃあ、これ」
最初に選んだのは、海で獲れる足の多い生き物を使った小鉢だった。
さっと茹でて小さく切った身に、酢と発酵させた魚の調味料をほんの少し。そこへ鼻に抜ける辛味のある香草を刻んで混ぜてある。
ガルドが一切れ口に入れた。
「……なんだこれ」
「苦手でした?」
「逆だ。酒が進む」
それは困る。
けれど料理を褒められれば、悪い気はしない。
次に頼んだのは、薄く伸ばして干した海の生き物だった。
火で軽く炙ると、端がくるりと丸まり、香ばしい匂いが立つ。
「これはそのまま?」
「噛んでみてください」
ガルドが噛みつく。最初は硬そうな顔をしていたが、噛むうちに表情が変わった。
「……これもいいな」
「噛めば噛むほど味が出ます」
「酒」
「早いです」
空になった杯を差し出され、日和は仕方なく次を注いだ。
その次は、魚の内臓を塩漬けにしたものを辛味のある香辛料と発酵調味料で和えた小皿。
ガルドは一口食べると、無言で杯を差し出した。
「何も言わずに酒を要求しないでください」
「これは酒なしで食う方が無理だろ」
「そんなことないです」
「作った奴が悪い」
理不尽だ。
口直しには、さっと茹でた青菜を冷ましたものを出した。森茸で取っただしに発酵調味料を少しだけ加え、炙った干し魚を細かくほぐしてのせる。
「急に優しい味になったな」
「ずっと濃い味だと疲れるでしょう」
「考えてんだな」
「料理屋なので」
最後に頼んだのは卵だった。
殻を剥いたゆで卵を、森茸のだしと発酵調味料、それからほんの少し甘みを加えた汁に漬けてある。
半分に切れば、黄身はまだ柔らかい。
ガルドは一口で半分を食べた。
「……もう1個」
「気に入ったんですね」
「酒も」
「それは駄目です」
「なんでだよ」
「何杯飲んだと思ってるんですか」
「数えてねえ」
「私は数えてます」
不満そうな顔をされたが、追加したのは煮卵だけにした。
しばらくすると、ガルドはすっかり上機嫌になっていた。
「この卵、あいつ好きそうだな」
ぽつりと呟く。
「あいつ?」
「ミレイユ」
日和は思わずガルドを見る。
「ミレイユ、卵好きなんですか?」
「好きだぞ。半熟のやつ。硬いのはあんまり食わねえ」
「詳しいですね」
「長い付き合いだからな」
ガルドは何でもないことのように答えた。
「辛いもんも好きだ。酒飲むときは特にな。甘いもんはあんまり食わねえけど、この前のパンケーキは食ってた」
「一緒に食べたんですか?」
「俺んとこ持ってきたとき、あいつも1枚食ってた」
パンケーキ3枚は、全部ガルドの分ではなかったらしい。
「それから、あいつは魚より肉だな。酒は強いけど、調子乗ると次の日頭痛いってうるせえ」
日和は黙って聞いていた。
よく知っている。
ものすごく、よく知っている。
「あと、寒いと右手が動きにくくなる」
「怪我ですか?」
「ああ。昔の傷だ。だから冬は手袋忘れんなって何度も――」
そこでガルドが止まった。
「……何だ」
「いえ」
「その顔は何だ」
「別に」
日和は笑いそうになるのを堪えた。
ミレイユの好きな食べ物を知っている。
酒の好みも知っている。
昔の怪我も覚えていて、寒い日の心配までしている。
――これ、好きなんじゃないの。
口に出しかけて、飲み込んだ。
本人が気づいていないなら、勝手に決めつけるのもよくない。
「ミレイユから何聞いた?」
今度はガルドが聞いた。
「何って?」
「さっきパンケーキがどうとか言ってただろ」
「それは言えません」
「聞いてんじゃねえか」
「聞きましたけど、言えません」
「なんでだよ」
「ミレイユから聞いた話なので」
ガルドが面倒そうに頭を掻いた。
「……昔から余計なことばっかりすんだよ、あいつは」
「余計なこと?」
「飯持ってきたり、怪我してねえか見に来たり。仕事が続いたらちゃんと寝ろだの、酒飲みすぎるなだの」
「今日も言われてましたね」
「昔から変わらねえ」
そう言うガルドの口元は、ほんの少し緩んでいた。
「嫌なんですか?」
「嫌とは言ってねえ」
「じゃあ嬉しい?」
「なんでそうなる」
「嫌じゃないなら」
「お前、面倒くせえな」
ガルドは残っていた酒を飲み干した。
日和は空になった杯を取り上げる。
「もう終わりです」
「もう1杯」
「駄目です」
「けち」
「酔っ払いに言われたくありません」
ガルドは諦めたのか、カウンターに肘をついた。
「……あいつが俺のこと気にするのは、責任感じてるだけだ」
不意に声の調子が変わった。
「責任?」
「ああ」
「何の?」
ガルドは少し黙った。
「昔、いろいろあったんだよ」
それだけ言って、煮卵を口に入れる。
「だから、あいつが俺のところに来るのは、そういうことだ」
「でも、ミレイユは――」
日和は口を閉じた。
好きだと言っていた。
けれど、それは日和が勝手に話していいことではない。
「何だ?」
「何でもないです」
ガルドは気にする様子もなく続けた。
「俺があいつを気にするのだって同じだ。昔の部下だからな」
「……はい」
「長い付き合いだし、放っとくと無茶するし」
「はい」
「仕事入れすぎるし、怪我しても黙ってるし、腹減ってても面倒だって飯抜くし」
「はい」
「変な男に声かけられても愛想笑いで流すし」
日和は瞬きをした。
「それも気になるんですか?」
「そりゃ気になるだろ」
「どうして?」
「危ねえからだよ」
「ミレイユ、強いですよね?」
「そういう話じゃねえ」
ガルドが眉を寄せる。
日和はじっとその顔を見た。
やっぱり。
――好きなんじゃないの。
むしろ、これで好きじゃない方が難しい気がする。
けれどガルドは、そんな日和の考えなど知らずに大きく息を吐いた。
「昔の部下だからだ」
また言った。
「それだけだ」
念まで押した。
日和は首を傾げる。
何かを思い出すような言い方だった。
責任だから。
昔の部下だから。
それだけだから。
そうやって理由をつけないといけないほど、誰かのことを気にするものなのだろうか。
ふと、別の人の顔が頭をよぎった。
自分をこの世界で引き取ってくれた人。
住む場所を用意して、仕事を探すのを手伝って、店を持つところまで気にかけてくれた人。
あの人の場合は、本当に責任感が強いからだろう。
日和がそう結論づけたところで、目の前から低い音が聞こえた。
「……ガルドさん?」
返事がない。
いつの間にか、ガルドはカウンターに突っ伏していた。
「ガルドさん」
大きな耳だけが、ぴくりと動く。
「寝てる……」
日和は額を押さえた。
飲みすぎるなとミレイユが言っていた意味が、よく分かった。
「だから、ほどほどにって言ったのに」
眠っているガルドは答えない。
日和は大きな体を見下ろし、ため息をついた。
さて。
これをどうやって帰せばいいのだろう。




