第53話 たまにはお休みです
それからしばらくして、ミレイユはすっかり宵日和の常連になった。
近くで仕事があれば昼を食べに来て、仕事がなくても顔を出す。最初のうちは「日和さん」「ミレイユさん」と呼んでいたはずなのに、いつの間にか呼び捨てになり、敬語もなくなっていた。
「日和、明日休みなさい」
閉店後、片づけをしていた日和に、カウンター席のミレイユが突然言った。
「なんで?」
「最近ずっと店開けてるでしょ」
「休んでるよ」
「いつ?」
聞かれて、日和は手を止めた。
「……いつだろう」
「ほら。たまには店も休み」
「じゃあ明日は何するの?」
「私と出かける」
どうやら、そこまで決まっていたらしい。
翌日の宵日和には『本日休み』の札がかかった。
*
「こういうところ、初めて来た」
日和は目の前のカップを眺めた。
市場から少し離れた通りにある店で、飲み物と甘い焼き菓子を出している。昼を過ぎた店内には女性客が多く、宵日和とはまた違った賑やかさがあった。
「この街に来て結構経つのに?」
「食材を買いに行くところばっかり覚えちゃって」
「日和らしいわね」
今日はミレイユもいつもの胸当てや剣を身につけていない。こうして向かい合っていると、仕事帰りに店へ来るときとは少し違って見えた。
「で、最近どうなの?」
「店?」
「休みの日まで店の話はやめなさいよ」
「じゃあ何の話?」
ミレイユがカップを置いた。
「恋の話」
「……恋?」
「好きな男くらいいないの?」
「いないよ」
「即答ね。じゃあ、気になる人は?」
日和は答えようとして、少しだけ止まった。
頭に浮かんだ顔が、1人ではなかった。
「今、誰か浮かんだでしょ」
「そういうんじゃないよ」
「名前は聞かないから。どんな人?」
日和は少し考えた。
「……怖い人」
「いきなり?」
思わず笑ってしまう。
「最初はね。顔も怖いし、あんまり喋らないし、説明も足りないし、何考えてるか分からなかった」
「散々ね」
「でも、本当はいい人だよ」
困っている人を放っておけない。自分がやったことでもないのに責任を背負って、日和がこの世界で暮らせるようにしてくれた。
「真面目すぎるんだと思う。もっと自分のこと考えればいいのにって思うくらい」
「ずいぶんよく見てるのね」
「前にお世話になってたから」
「今は会ってないの?」
「うん。でも、お店には来てくれるって約束してくれた」
「来た?」
「まだ」
「待ってるんだ」
「別に待ってはないよ」
「はいはい」
まったく信じていない顔をされた。
「じゃあ、もう1人は?」
「もう1人?」
「さっき2人浮かんだ顔してた」
「そんな顔ある?」
「今作った」
「ミレイユ」
楽しそうに笑われる。
「……隣に住んでる人」
「お隣さん?」
「最近引っ越してきた人。話しやすいし、優しいよ。帰りが遅くなったとき、一緒に帰ってくれたりする」
「ふうん」
「何、その顔」
「別に。ほかには?」
「たまに、よく分からないことするけど」
「たとえば?」
日和は少し考えてから、あの夜のことを話した。
「ルカが珍しい調味料を手に入れたって言うから、見せてもらいに行こうとしたことがあって」
「ああ、商会の坊っちゃんね」
「坊っちゃんって」
「フェルナー商会の次男でしょ。宵日和でも何度か会ってるし」
「ルカはそう呼ばれるの嫌がりそう」
「本人の前では言わないわよ」
ミレイユは平然と飲み物を口にする。
「で、あの商会の坊っちゃんはどうなの?」
「どうって?」
「日和の店によく来てるじゃない」
「仕入れでお世話になってるからね。ルカはいい人だよ」
ミレイユが一瞬黙った。
「……それだけ?」
「うん」
「そう」
なぜか納得したように頷かれた。
「それで、商会の坊っちゃんと調味料を見に行こうとしたら?」
「お隣さんに止められた」
「どうやって?」
「腕を掴まれて」
ミレイユがカップを置いた。
「そのまま家まで一緒に帰ったよ」
「……日和」
「何?」
「それ、本当にただのお隣さん?」
「隣に住んでるから、お隣さんだよ」
「そういう意味じゃない」
日和には何を言いたいのか分からない。
「夜だったから心配してくれたんだと思う」
「商会の坊っちゃんと一緒だったのに?」
「うん」
「……へえ」
ミレイユが妙な顔をした。
「絶対何か思ってるでしょ」
「まあね」
否定すらしなかった。
「でも、お隣さんより最初の人の方が気になるわね」
「なんで?」
「日和が話すときの顔」
「普通だったよ」
「本人はそう思ってるでしょうね」
日和は納得できないまま焼き菓子を一口食べた。
「じゃあ、会いたいのはどっち?」
「え?」
不意に聞かれて、言葉に詰まった。
会いたい。
そう言われて最初に浮かんだのは、灰色の髪と青みがかった灰色の目だった。
「……最初の人、かな」
口にしてから、自分でも少し驚いた。
「しばらく会ってないから。元気にしてるかなって」
「そう」
「それだけだよ」
「私は何も言ってないわよ」
「その顔が言ってる」
「日和も少しは分かるようになったじゃない」
ミレイユが笑う。
なんとなく落ち着かなくなって、日和はカップを持ち上げた。
「じゃあ、今度はミレイユの番」
「え?」
「私だけ話すのはずるいでしょ」
「私には何もないわよ」
「本当に?」
「本当よ」
日和はミレイユを見る。
「パンケーキ持って帰った人」
ミレイユの動きが止まった。
「……覚えてたのね」
「もちろん」
「忘れていいのに」
「昔からお世話になってる人だったよね?」
「そうだけど」
「どんな人?」
さっきまで楽しそうに質問していたミレイユが、今度は困ったようにカップへ視線を落とした。
「ずるいわね、日和」
「ミレイユが始めたんでしょ」
「……それもそうね」
ミレイユは小さく笑った。
その笑い方が、いつもより少しだけ柔らかかった。
たまには店を休むのも悪くない。
料理を作らず、誰かの悩みを聞くでもなく、友達とお茶を飲んで、くだらない話をする。
日和は焼き菓子をもう一つ取った。
「それで、どんな人?」
「まだ聞くの?」
「聞くよ」
「日和って、意外としつこいのね」
「最近知った?」
ミレイユが笑う。
つられて、日和も笑った。




