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第53話 たまにはお休みです


それからしばらくして、ミレイユはすっかり宵日和の常連になった。


近くで仕事があれば昼を食べに来て、仕事がなくても顔を出す。最初のうちは「日和さん」「ミレイユさん」と呼んでいたはずなのに、いつの間にか呼び捨てになり、敬語もなくなっていた。


「日和、明日休みなさい」


閉店後、片づけをしていた日和に、カウンター席のミレイユが突然言った。


「なんで?」


「最近ずっと店開けてるでしょ」


「休んでるよ」


「いつ?」


聞かれて、日和は手を止めた。


「……いつだろう」


「ほら。たまには店も休み」


「じゃあ明日は何するの?」


「私と出かける」


どうやら、そこまで決まっていたらしい。


翌日の宵日和には『本日休み』の札がかかった。



「こういうところ、初めて来た」


日和は目の前のカップを眺めた。


市場から少し離れた通りにある店で、飲み物と甘い焼き菓子を出している。昼を過ぎた店内には女性客が多く、宵日和とはまた違った賑やかさがあった。


「この街に来て結構経つのに?」


「食材を買いに行くところばっかり覚えちゃって」


「日和らしいわね」


今日はミレイユもいつもの胸当てや剣を身につけていない。こうして向かい合っていると、仕事帰りに店へ来るときとは少し違って見えた。


「で、最近どうなの?」


「店?」


「休みの日まで店の話はやめなさいよ」


「じゃあ何の話?」


ミレイユがカップを置いた。


「恋の話」


「……恋?」


「好きな男くらいいないの?」


「いないよ」


「即答ね。じゃあ、気になる人は?」


日和は答えようとして、少しだけ止まった。


頭に浮かんだ顔が、1人ではなかった。


「今、誰か浮かんだでしょ」


「そういうんじゃないよ」


「名前は聞かないから。どんな人?」


日和は少し考えた。


「……怖い人」


「いきなり?」


思わず笑ってしまう。


「最初はね。顔も怖いし、あんまり喋らないし、説明も足りないし、何考えてるか分からなかった」


「散々ね」


「でも、本当はいい人だよ」


困っている人を放っておけない。自分がやったことでもないのに責任を背負って、日和がこの世界で暮らせるようにしてくれた。


「真面目すぎるんだと思う。もっと自分のこと考えればいいのにって思うくらい」


「ずいぶんよく見てるのね」


「前にお世話になってたから」


「今は会ってないの?」


「うん。でも、お店には来てくれるって約束してくれた」


「来た?」


「まだ」


「待ってるんだ」


「別に待ってはないよ」


「はいはい」


まったく信じていない顔をされた。


「じゃあ、もう1人は?」


「もう1人?」


「さっき2人浮かんだ顔してた」


「そんな顔ある?」


「今作った」


「ミレイユ」


楽しそうに笑われる。


「……隣に住んでる人」


「お隣さん?」


「最近引っ越してきた人。話しやすいし、優しいよ。帰りが遅くなったとき、一緒に帰ってくれたりする」


「ふうん」


「何、その顔」


「別に。ほかには?」


「たまに、よく分からないことするけど」


「たとえば?」


日和は少し考えてから、あの夜のことを話した。


「ルカが珍しい調味料を手に入れたって言うから、見せてもらいに行こうとしたことがあって」


「ああ、商会の坊っちゃんね」


「坊っちゃんって」


「フェルナー商会の次男でしょ。宵日和でも何度か会ってるし」


「ルカはそう呼ばれるの嫌がりそう」


「本人の前では言わないわよ」


ミレイユは平然と飲み物を口にする。


「で、あの商会の坊っちゃんはどうなの?」


「どうって?」


「日和の店によく来てるじゃない」


「仕入れでお世話になってるからね。ルカはいい人だよ」


ミレイユが一瞬黙った。


「……それだけ?」


「うん」


「そう」


なぜか納得したように頷かれた。


「それで、商会の坊っちゃんと調味料を見に行こうとしたら?」


「お隣さんに止められた」


「どうやって?」


「腕を掴まれて」


ミレイユがカップを置いた。


「そのまま家まで一緒に帰ったよ」


「……日和」


「何?」


「それ、本当にただのお隣さん?」


「隣に住んでるから、お隣さんだよ」


「そういう意味じゃない」


日和には何を言いたいのか分からない。


「夜だったから心配してくれたんだと思う」


「商会の坊っちゃんと一緒だったのに?」


「うん」


「……へえ」


ミレイユが妙な顔をした。


「絶対何か思ってるでしょ」


「まあね」


否定すらしなかった。


「でも、お隣さんより最初の人の方が気になるわね」


「なんで?」


「日和が話すときの顔」


「普通だったよ」


「本人はそう思ってるでしょうね」


日和は納得できないまま焼き菓子を一口食べた。


「じゃあ、会いたいのはどっち?」


「え?」


不意に聞かれて、言葉に詰まった。


会いたい。


そう言われて最初に浮かんだのは、灰色の髪と青みがかった灰色の目だった。


「……最初の人、かな」


口にしてから、自分でも少し驚いた。


「しばらく会ってないから。元気にしてるかなって」


「そう」


「それだけだよ」


「私は何も言ってないわよ」


「その顔が言ってる」


「日和も少しは分かるようになったじゃない」


ミレイユが笑う。


なんとなく落ち着かなくなって、日和はカップを持ち上げた。


「じゃあ、今度はミレイユの番」


「え?」


「私だけ話すのはずるいでしょ」


「私には何もないわよ」


「本当に?」


「本当よ」


日和はミレイユを見る。


「パンケーキ持って帰った人」


ミレイユの動きが止まった。


「……覚えてたのね」


「もちろん」


「忘れていいのに」


「昔からお世話になってる人だったよね?」


「そうだけど」


「どんな人?」


さっきまで楽しそうに質問していたミレイユが、今度は困ったようにカップへ視線を落とした。


「ずるいわね、日和」


「ミレイユが始めたんでしょ」


「……それもそうね」


ミレイユは小さく笑った。


その笑い方が、いつもより少しだけ柔らかかった。


たまには店を休むのも悪くない。


料理を作らず、誰かの悩みを聞くでもなく、友達とお茶を飲んで、くだらない話をする。


日和は焼き菓子をもう一つ取った。


「それで、どんな人?」


「まだ聞くの?」


「聞くよ」


「日和って、意外としつこいのね」


「最近知った?」


ミレイユが笑う。


つられて、日和も笑った。


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