第52話 甘くないパンケーキ
家賃を払いに行った翌日、宵日和はいつも通り昼前に店を開けた。
開店から1か月。昼に来る客も少しずつ増えてきたので、今日はいつものお品書きとは別に、軽く食べられるものを試していた。
小麦粉に卵と乳を加え、塩を少し。混ぜた生地を熱した平たい鍋へ流す。
表面にぷつぷつと穴が開いたところで裏返すと、小麦と卵の香りがふわりと立った。
「うん、いい感じ」
作っているのはパンケーキだ。
甘くするのではなく、目玉焼きと焼いた肉、それから葉物を添える。パンを焼くより手軽だし、注文を受けてからでも作れそうだ。
試しに焼いたものを一口食べたところで、入口の扉が開いた。
「まだ昼、食べられる?」
入ってきたのは、日和より少し年上に見える女性だった。動きやすそうな服に革の胸当てをつけ、腰には剣を下げている。
「はい。どうぞ」
女性は席につき、お品書きを眺めた。
「何が食べられる?」
「そこに書いてあるものなら、だいたいできます。あとは今、試しに作ってるものがあって」
「それ?」
女性の視線が、焼き上がったばかりのものへ向く。
「はい。パンケーキっていいます」
「パン?」
「パンではないですね」
「ケーキ?」
「甘くないです」
女性が眉を寄せた。
「じゃあ何なのよ」
「……パンケーキです」
数秒の沈黙のあと、女性が吹き出した。
「分かった。それにするわ」
日和は新しく生地を焼き、目玉焼きと焼いた肉、葉物を添えた。
「お待たせしました」
女性はまずパンケーキだけを一口食べ、それから卵の黄身を崩してつけてみる。
「あ、これ好き」
「よかったです」
「肉にも合うわね」
気に入ったらしく、あっという間に皿が空いていく。
「これ、持って帰れる?」
「パンケーキだけなら。でも、焼きたての方がおいしいですよ」
「そうなのよねえ」
女性が少し困った顔をした。
「昔から世話になってる人がいるんだけど、放っておくと肉を焼いただけとか、酒だけとかで済ませるのよ」
「酒だけは食事じゃないですね」
「でしょ?」
「野菜も食べた方がいいです」
「そうなのよ。何度言っても聞かないんだから」
思わず顔を見合わせる。
「なんか、あなたとは話が合いそう」
「私も今ちょっと思いました」
女性が楽しそうに笑った。
初めて会ったのに、不思議と話しやすい人だった。
「だったら、今度その方と一緒に来たらどうですか? 焼きたてを出せますよ」
「……あの人と?」
急に歯切れが悪くなった。
「嫌なら無理にとは言いませんけど」
「嫌じゃないのよ。そういうわけじゃなくて……まあ、考えとく」
よく分からないけれど、何か事情があるらしい。
日和はそれ以上聞かなかった。
食事を終えた女性が代金を出したところで、そういえば名前を知らないことに気づく。
「私、穂積日和っていいます」
「日和ね。私はミレイユ」
「よろしくお願いします」
「敬語じゃなくていいわよ。私、37だから」
「私は29です」
「8つくらいじゃない」
「8つは結構ありますよ」
「面倒ねえ。じゃあ好きにしなさい」
「そうします」
「そこは素直なのね」
ミレイユが笑う。
「また来るわ」
「はい。お待ちしてます」
扉へ向かったミレイユが、途中で足を止めた。
「……やっぱり、パンケーキ3枚お願い」
「持って帰るんですね」
「悪い?」
「何も言ってません」
「顔が言ってるわよ」
日和は笑いながら、もう一度生地を流した。
この街に来て、知っている人がまた1人増えた。
それがなんとなく、嬉しかった。




