第36話 まずは食べてからです
「ここです」
日和が足を止めると、リリィは店を見上げた。
「宵日和……?」
「うん。私の店」
「本当にお店始めたんですね!」
「だからそう言ったでしょ」
鍵を開けると、リリィは興味津々で中を覗き込んだ。
「かわいい!」
「ありがとう」
「いいなあ。こういうお店、好きです」
その一言だけで、この1週間の寂しさが少し報われた気がした。
「じゃあ、好きなところ座って」
「はい!」
リリィはカウンター席を選んだ。
日和は厨房へ入り、仕入れてきたものを置く。
「何か食べられないものある?」
「ないです」
「嫌いなものは?」
「ほとんどないです」
「優秀」
さて、何を作ろう。
朝から何も食べていないのなら、あまり重すぎるものより、温かくて食べやすいものがいい。
日和は鍋に湯を沸かした。
森茸で取っておいた出汁を加え、塩で味を整える。そこへ細く切った葉野菜を入れ、最後に溶いた卵を流し込んだ。
もう一品。
昨日炊いておいた穀物に、細かく刻んだ香草とほぐした川魚を混ぜる。
小さく丸めて表面を焼けば、香ばしい匂いが立った。
「いい匂い……」
カウンターから声がする。
「さっきまで怒ってた人とは思えないね」
「怒っててもお腹は空きます」
「それでいいと思う」
日和は笑って、料理をリリィの前に置いた。
「どうぞ」
「いただきます」
まずスープを一口。
リリィの肩から、ふっと力が抜けた。
「……おいしい」
「よかった」
続いて、焼いた穀物を口に運ぶ。
「これも好きです」
「まだあるよ」
「食べます」
返事が早い。
日和は自分の分も用意して、カウンターの向こう側に座った。
しばらくは、二人とも食べることに集中した。
半分ほど食べた頃。
「……お父さん、最近ずっと新しい料理を考えてるんです」
リリィがぽつりと言った。
日和は何も言わず、続きを待った。
「お客さんが減ってるから」
以前訪れた食堂を思い出す。
決して悪い店ではなかった。
料理も普通においしかったし、長く町で続いている店なのだろう。
「それで私、店の中をもう少し明るくしたらとか、料理を変えてみたらとか、若い人向けのものも出したらって言ったんです」
「うん」
「でもお父さん、全然聞いてくれなくて」
リリィが頬を膨らませる。
「『お前は何も分かってない』って」
「それは腹立つね」
「ですよね!」
勢いよく顔を上げた。
「私だって毎日店にいるのに!」
「うん」
「お客さんのことだって見てるし!」
「うん」
「なのに子ども扱いするんです!」
リリィは一気に言ってから、残っていたスープを飲んだ。
少し落ち着いたらしい。
「……でも」
今度は声が小さくなる。
「私も言いすぎました」
「何て言ったの?」
「そんな古い店だから、お客さんが来なくなるんだって」
「ああ」
「あと、お父さんの料理なんて誰も食べたくないって」
「それは言ったねえ」
「……はい」
リリィが項垂れる。
「本当は、そんなこと思ってないんです」
「うん」
「お父さんの料理、好きだし」
日和は空になった皿を見た。
「じゃあ、それは言った?」
「……言ってません」
「そっか」
日和はそれ以上何も言わなかった。
リリィが顔を上げる。
「怒らないんですか?」
「私が?」
「だって、ひどいこと言ったから」
「私に言ったわけじゃないし」
「そうですけど」
「それに、悪かったって自分で分かってるみたいだし」
日和は自分のスープを一口飲む。
「だったら、あとはお父さんと話すことじゃない?」
リリィは黙った。
「……でも、お父さんも悪いです」
「うん。それも本人に言えばいいよ」
「また喧嘩になりそう」
「なるかもね」
「止めてくださいよ」
「そこは私の仕事じゃないかなあ」
リリィが不満そうな顔をする。
日和は笑った。
「仲直りしなさいとは言わないよ。でも、本当は思ってないことだけ訂正しておいた方がいいんじゃない?」
「……お父さんの料理なんて誰も食べたくない、ってところ?」
「うん」
リリィはしばらく考えていた。
やがて、小さく息を吐く。
「帰りづらいなあ」
「分かる」
「日和さん、一緒に来てくれません?」
「嫌です」
「即答!」
「親子喧嘩に巻き込まれたくないので」
「冷たい!」
「ごはんは作ったでしょ」
「それとこれとは別です」
そんなことを言い合っていると。
店の外に、人影が止まった。
日和が顔を上げる。
大柄な男が、窓越しに店の中を覗いていた。
見覚えがある。
以前、エリアスと訪れた食堂の店主。
つまり。
「……リリィちゃん」
「はい?」
「お迎え来たみたい」
リリィの顔が固まった。
「え」
ゆっくり振り返る。
店の外には、腕を組んだ父親が立っている。
「……なんで」
リリィが小さく呟いた。
その瞬間。
店の扉が開いた。




