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第31話 帰り道で会った人


店の名前が決まったあとも、エリアスはしばらく店内を見て回っていた。


厨房、裏口、窓、鍵。


一通り確認を終えると、ようやく頷く。


「問題ない」


「よかったです。視察合格ですね」


「開店してからが本番だ」


「分かってますよ」


日和は店を出て、扉に鍵をかけた。


エリアスはこのあと予定があるらしく、オスカーと先に屋敷へ戻ることになっている。


「日和様は?」


「私はもう少し町を見てから帰ります」


オスカーに答えると、エリアスがこちらを見た。


「一人でか」


「はい」


「……そうか」


それだけ言って、エリアスは通りの先へ目を向ける。


その方向に、日和が借りる予定の部屋がある。


「侯爵様」


「何だ」


「家は見せませんよ」


「何も言っていない」


「顔に書いてあります」


「今は別の顔だ」


「そうでした」


思わず納得しかけて、日和は首を振った。


「とにかく、昨日の約束は店だけです」


「分かっている」


意外にも、エリアスはそれ以上言わなかった。


代わりにオスカーを見る。


「周辺は確認したんだな」


「はい。夜間の人通りも含めて」


「戸締まりは」


「問題ございません」


「建物の管理は」


「信用できる方です」


「そうか」


日和は二人を交互に見る。


「……私がいないところで全部確認してません?」


「確認したのはオスカーだ」


「指示したのは?」


エリアスは答えなかった。


「侯爵様」


「時間だ。行くぞ、オスカー」


「逃げましたね」


「予定があると言っただろう」


エリアスは歩き出す。


数歩進んだところで、足を止めた。


「日和」


「はい?」


「日が落ちる前には戻れ」


「分かってます」


「あまり遅くなるな」


「はいはい」


「返事は一度でいい」


「はい」


今度こそ、エリアスはオスカーと歩いていった。


日和はその背中を見送りながら、小さく息を吐いた。


結局、部屋そのものは見せずに済んだ。


もっとも、周りのことはすでにほとんど調べられていたらしい。


「……領主って、そこまで確認するものなのかな」


よく分からない。


日和は首を傾げながら、町の方へ歩き出した。


アルノルトの町にも、ずいぶん慣れた。


最初はどこを歩いているのか分からなかった道も、今では市場までなら迷わず行ける。顔を覚えてくれた店も少しずつ増えている。


もうすぐ、この町で暮らす。


そう思って眺めると、いつもの景色が少しだけ違って見えた。


「あれ?」


不意に声をかけられた。


振り向くと、見覚えのある男が立っている。


「日和さん?」


「あ、フェルナーさん」


ルカ・フェルナー。


店の仕入れ先を探す中で知り合った商人で、近隣の農家から野菜や卵などを仕入れ、町の飲食店へ卸している。


何度か話したことがあり、宵日和にも食材を入れてもらう予定になっていた。


「こんなところでどうしたんです?」


「ちょっと町を見ながら帰ろうかなって。フェルナーさんは?」


「俺は仕事帰り。家がこっちだから」


フェルナーが通りの先を指した。


「この辺なんですか?」


「すぐそこ。日和さんの店からも近いよ」


「そうなんですね」


店の近くに住んでいるとは知らなかった。


「そういえば、店の準備はどう?」


「だいぶ進みました。今日、名前も決めたんです」


「へえ。なんて名前?」


「宵日和です」


「ヨイビヨリ?」


やはり聞き返された。


日和は少し笑う。


「私のいたところの言葉なんです」


「どういう意味?」


「夜をのんびり過ごすのに、ちょうどいい日……みたいな感じです」


「いい名前だな」


フェルナーはあっさり言った。


「本当ですか?」


「うん。聞いたことないから覚えやすいし」


「それならよかった」


この世界にはない言葉だから、逆に覚えにくいのではないかと思っていた。


「いつから開けるの?」


「もう少しです。手続きもほとんど終わったので、あとは細かい準備ですね」


「じゃあ、開いたら食べに行くよ」


「ぜひ」


「仕入れ先が客になってもいい?」


「お金払ってくれるなら」


「しっかりしてるなあ」


フェルナーが笑う。


「賃料払わないといけないので」


「それは大事だ」


フェルナーとは何度か仕入れの相談をしているが、仕事以外の話をするのは初めてだった。


話してみると、思っていたより気さくな人だった。


「そういえば、日和さん。薪はどこで買うか決めた?」


「一応決めてます。でも、もう少し安いところがあれば知りたいです」


「だったら、この先にある店がいいよ。飲食店ならまとめて買えば少し安くしてくれる」


「あ、それ知りたかったです」


「あと、食器を少しだけ買い足したいときは市場の奥。表通りの店より種類は少ないけど、安い」


「そんなところあったんですか?」


「分かりにくい場所だからな。今度教えるよ」


「お願いします」


話しているうちに、店の話から町の話へと広がっていった。


朝早くから開いているパン屋。


安く薪を買える店。


この辺りで一人でも入りやすい食堂。


フェルナーはこの町で長く暮らしているらしく、日和の知らないことをよく知っていた。


「詳しいですね」


「そりゃ住んでるから」


「私ももうすぐこの辺に住むんですけど、全然知らないです」


「最初はそんなもんだろ」


「フェルナーさんは、ずっとこの辺なんですか?」


「今の家は5年くらいかな。店から歩いてすぐだよ」


「じゃあ、ご近所さんになるんですね」


「そうなるな」


フェルナーが笑った。


「困ったことあったら言って。近所ならそれくらいはできるから」


「ありがとうございます」


同い年だからだろうか。


エリアスやオスカーと話すときとは、また少し違う。


気を遣わないわけではないが、話しやすかった。


気づけば、思っていたより長く話していた。


ふと空を見る。


「あ」


日がかなり傾いている。


「まずい」


「どうした?」


「思ったより遅くなりました」


「どこまで帰るの?」


「今は侯爵邸にお世話になってるので、そこまで」


フェルナーの動きが止まった。


「……侯爵邸?」


「はい」


「日和さん、侯爵邸に住んでるの?」


「今だけですけど」


「何者?」


「普通の人です」


「普通の人は侯爵邸に住まないと思うけど」


「いろいろありまして」


説明すると長い。


フェルナーは気になっているようだったが、それ以上は聞かなかった。


「じゃあ、途中まで送ろうか?」


「大丈夫です。もう道も覚えましたから」


「暗くなるぞ」


「まだ大丈夫ですよ」


日和は笑って断った。


「じゃあ、また仕入れのときに」


「うん。また」


フェルナーと別れ、日和は屋敷へ向かった。


結局、戻る頃には夕方になっていた。


エリアスに、日が落ちる前には戻れと言われたのを思い出す。


「……まだ暗くはない」


ぎりぎりである。


屋敷に入り、自室へ向かう。


今日はよく歩いた。


店の名前も決まったし、町のこともいろいろ知れた。


思っていたより充実した一日だった。


早く着替えて、少し休もう。


そう思いながら廊下を進み、自室の扉へ手を伸ばしたところで。


「日和」


背後から声がした。


手が止まる。


聞き慣れた低い声。


振り返ると、そこにはいつもの姿に戻ったエリアスが立っていた。


灰色の髪に、青みがかった灰色の瞳。


昼間とは違う、すっかり見慣れた顔だ。


「侯爵様?」


エリアスは日和を見ていた。


「……ずいぶん遅かったな」


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