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第30話 店の名前を決めました


「ここです」


日和が店を示すと、エリアスはしばらく黙って建物を見ていた。


何を考えているのかは、相変わらず分からない。


しかも今日は変装魔法で顔まで違うので、余計に分からなかった。


「入ります?」


「ああ」


日和は鍵を取り出し、扉を開けた。


「どうぞ」


エリアスとオスカーが中へ入る。


半月前まで埃をかぶっていた店内は、すっかりきれいになっていた。


窓も磨いた。床も何度拭いたか分からない。カウンターもテーブルも手入れをして、残されていた食器や調理器具も一つずつ使えるか確認した。


まだ少し殺風景ではあるが、最初に来たときとはずいぶん違う。


エリアスは入口から店内を見渡した。


「思っていたより小さいな」


「最初にそれ言います?」


「悪いとは言っていない」


「そうですけど」


日和はカウンターの向こうへ回った。


「私はこれくらいがいいんです。一人でも動けそうですし、料理しながらお客さんの顔も見えるので」


エリアスも厨房を覗き込む。


「竈は?」


「2つあります」


「水は」


「ここです」


「食材の保管場所は」


「こっち」


「火事への備えは」


「確認しました」


「裏口は」


「あります」


「鍵は」


「新しくしました」


次々に聞かれ、日和は途中から腕を組んだ。


「……本当に視察ですね」


「だから最初からそう言っている」


「もっと、ふーんって見て終わるのかと思ってました」


「何のために来たと思っている」


「暇つぶし?」


「帰るぞ」


「冗談です」


オスカーが小さく笑った。


一通り確認すると、エリアスは厨房から客席へ戻った。


カウンターが数席と、小さなテーブルが2つ。


大勢が入れる店ではない。


けれど、それでいい。


料理を作りながら、食べている人の顔が見える。


声をかけようと思えば、すぐに声をかけられる。


日和は、そんな距離が気に入っていた。


「どうです?」


エリアスが振り返る。


「何がだ」


「私のお店」


口にしてから、少しだけ照れくさくなった。


まだ開店すらしていない。


それでも、ここは自分で選んで、自分で借りた店だ。


エリアスはもう一度店内を見回した。


「いい店だと思う」


「……普通に褒めましたね」


「褒めてはいけないのか?」


「いえ。何か一つくらい文句を言われると思ってました」


「なぜだ」


「さっきから細かいところばっかり見てるからです」


「必要なことを確認しただけだ」


エリアスはそう言ってから、日和を見る。


「君に似合っている」


「……私に?」


「ああ」


日和も店内を見回した。


古くて、小さい。


華やかでもない。


「それ、褒めてます?」


「褒めている」


「なら、ありがとうございます」


素直に受け取っておくことにした。


大きくて立派な店より、これくらいの方が自分には落ち着く。


自分でもそう思って選んだのだから、似合っていると言われるのは悪い気はしなかった。


「あとは看板ですね」


日和が入口を見る。


店先には、前の店が使っていた看板を掛けるための金具だけが残っている。


「店名は決めたのか?」


「まだなんです」


「決めずに準備していたのか」


「料理するのに名前はいらないので」


「店にはいるだろう」


「分かってますよ」


考えていなかったわけではない。


覚えやすくて、この小さな店に似合う名前。


そう思ってはいるのだが、なかなかこれというものが浮かばなかった。


「何かいいのありません?」


「私に聞くな」


「視察に来たんだから、一つくらい考えてくださいよ」


「視察と店名は関係ない」


相変わらずである。


日和はエリアスを見る。


変装魔法で茶色くなった髪と瞳。


見慣れないその姿を眺めていると、逆にいつものエリアスの姿が頭に浮かんだ。


灰色の髪に、青みがかった灰色の瞳。


初めて会ったときは、怖い人だと思った。


黙っているだけで怒っているように見えるし、目つきも鋭い。


けれど、1か月以上も一緒にいれば、さすがに見慣れる。


むしろ今の姿の方が落ち着かないくらいだった。


特に、いつもの瞳の色。


暗くなり始めた空に、まだ少しだけ青が残っているような。


そんな色だった気がする。


「……宵」


ぽろりと口からこぼれた。


「ヨイ?」


エリアスが聞き返す。


「あ」


日和は瞬きをした。


オスカーも興味深そうにこちらを見ている。


「私がいた世界の言葉です」


「どういう意味だ?」


「夜になって間もない頃、かな。日が暮れて、これから夜になるくらいの時間です」


「なぜ急に?」


「侯爵様のいつもの目を思い出したら、なんとなく」


「私の目?」


「色がちょっと似てるなって。それだけです」


エリアスが黙った。


「宵……」


オスカーが確かめるように口にする。


「良い響きですね」


「そうですか?」


「ええ。店のお名前にも使えそうです」


「店の名前……」


日和は店内を見回した。


宵。


仕事を終えた人が、家へ帰る前に立ち寄る時間。


一人で温かいものを食べてもいい。


誰かと話しながら食べてもいい。


この店を開ける時間にも、よく似合う。


「宵……日和」


なんとなく、自分の名前を続けてみた。


「宵日和」


口にすると、不思議と馴染んだ。


「ヨイビヨリ?」


エリアスが聞き返す。


「はい」


「日和とは、どういう意味なんだ?」


思いがけない質問だった。


「私の名前ですけど」


「それは知っている。言葉の意味だ」


「ああ」


そういえば、考えたこともなかった。


自分にとっては、生まれたときからずっと名前だったから。


「天気とか、空模様っていう意味があります。それから、何かをするのにちょうどいい日っていう意味でも使います」


「ちょうどいい日?」


「例えば、天気がよくて出かけるのにぴったりなら、お出かけ日和、とか」


この世界の言葉に置き換えながら説明する。


「だから、宵日和なら……」


日和は少し考えた。


「夜をのんびり過ごすのに、ちょうどいい日。そんな感じかな」


「いいですね」


オスカーが微笑んだ。


「そうですか?」


「ええ。とても日和様らしいお名前だと思います」


「私の名前、そのまま入ってますけどね」


「ご自身のお店なのですから、よろしいのでは?」


それもそうなのだろうか。


日和はエリアスを見る。


「侯爵様は?」


「私に聞くのか」


「一応、視察に来た人の意見も聞いておこうかなと」


エリアスは少しだけ考えた。


「いい名だと思う」


「……今日はよく褒めますね」


「褒めてほしくないのか?」


「そういうわけじゃないですけど」


なんだか調子が狂う。


日和は、まだ何も掛かっていない店先を見た。


宵日和。


この世界にはなかった言葉。


自分がいた世界から持ってきた言葉。


それが、これから自分が暮らしていく世界の、小さな店の名前になる。


「……決めました」


日和は頷いた。


「この店、宵日和にします」

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