第3話 勇者の力はありません
しばらくして日和の前に運ばれてきたのは、硬そうなパンと湯気の立つスープだった。
「ありがとうございます」
「いえ。本来であれば、もっときちんとしたものをご用意するべきなのですが……」
ノアが申し訳なさそうに言う。
「食べられるなら何でもいいです」
空腹には勝てない。日和はまずパンを手に取ったが、想像以上に硬かった。少し力を入れてちぎり、口に運ぶ。
「…………」
食べられないことはない。ただ、水分が欲しくなる。
日和はすぐにスープへ手を伸ばした。中に入っているのは、玉ねぎによく似た野菜と、芋らしきもの。それから小さく切られた肉が少し。
匙ですくって口に運ぶ。
「…………」
薄い。
まずくはない。塩味もあるし、野菜にもちゃんと火が通っている。でも、何か足りない。
肉の旨味がほとんどスープに出ていないし、野菜の甘みも弱い。玉ねぎに似た野菜を最初に炒めたら、もう少し甘みが出るんじゃないだろうか。肉も先に焼いて、焼き色をつけてから煮込む。香草があるなら少し入れてもいい。
そこまで考えて、日和の手が止まった。
「……なんで分かるんだろう」
「何がですか?」
向かいに座っていたノアが首を傾げる。
「いえ、なんでもないです」
日和はもう1度スープを口に運んだ。やっぱり薄い。
自分が昨日まで何をしていたのかは思い出せない。仕事も、住んでいた場所も、昨日の夕食すら分からない。
なのに、料理のことは分かる。
玉ねぎを炒めれば甘くなる。肉は部位によって火の入れ方を変える。魚なら種類を見て、焼くか煮るかを考える。
昆布、鰹節、煮干し、干し椎茸。それぞれの出汁の取り方も分かる。米を炊くときの水加減も、包丁の持ち方も、魚の捌き方も、卵焼きをきれいに巻くコツまで覚えている。
記憶がなくなったというより、ところどころ抜け落ちている。そんな感じだ。
「召喚って、記憶がなくなることもあるんですか?」
「記憶が?」
ノアの表情が変わった。
「何か思い出せないことがあるのですか?」
「最近のことが、あんまり」
「最近?」
「昨日何をしてたとか、どこに住んでたとか。仕事とか」
ノアが黙り込む。
「やっぱり変ですか?」
「……少なくとも、召喚術に記憶を消すような作用はないはずです」
「そうなんですか」
それは困った。召喚のせいだと思っていたのに。
「身体に異常がないかも含めて、調べた方がいいかもしれません」
「お願いします」
日和は頷き、またスープを飲んだ。考えても分からないものは仕方がない。今は食べよう。冷めるともったいない。
それにしても。
「もうちょっと煮込んだら、おいしいのにな」
「え?」
「なんでもないです」
*
食事を終えた日和は、別の部屋へ連れていかれた。
中央には大きな水晶が置かれ、周囲には先ほどの召喚室で見かけた黒いローブの魔術師たちが数人いる。
「今から何をするんですか?」
「日和様の適性を確認します」
ノアが水晶の横に立つ。
「適性?」
「異世界から召喚された方には、こちらの人間にはない特殊な力が宿ることがあります。強力な魔力や身体能力、あるいは固有の加護などです」
ようやく勇者らしい話になってきた。
「本来召喚する予定だった湊様にも、何らかの力が宿ると予測されていました」
「弟に?」
「召喚対象を選定するための術式があります。湊様は極めて高い適性を示していました」
「へえ」
知らなかった。元の世界では、ごく普通の弟だった。少なくとも、魔王を倒せそうな雰囲気はなかったと思う。
「では、こちらへ手を」
言われた通り、日和は水晶に手を置いた。ひんやりしている。
「そのままで」
ノアたちが水晶を見つめる。日和も見つめる。
「…………」
何も起きない。
しばらく待っても、水晶は透明なままだった。やがて魔術師の1人が首を傾げ、別の魔術師も何かを確認し始める。ノアの眉間には少しずつ皺が寄っていった。
嫌な予感がする。
「……何か問題でも?」
「いえ。念のため、もう1度」
もう1度試した。
結果は同じだった。
*
その後も検査は続いた。
魔力量。特別な属性。身体能力。剣の適性。加護。
日和は言われるままに手をかざし、歩き、物を持ち上げ、最後には剣まで握らされた。
「これ、振るんですか?」
「できそうですか?」
「無理だと思います」
「1度だけお願いします」
仕方なく持ち上げる。
「よっ……」
重い。
なんとか振り下ろしたものの、完全に剣に振り回されていた。近くにいた兵士がそっと目を逸らす。
「今、目逸らしましたよね?」
「いえ」
「逸らしましたよね?」
「……申し訳ありません」
正直な人だった。
日和は静かに剣を返した。
*
すべての検査が終わった頃には、日和はすっかり疲れていた。
椅子に座って結果を待っていると、少し離れたところでノアたちが小声で話し合っている。時々こちらを見ては、また話す。
非常に居心地が悪い。
やがてノアが戻ってきた。その顔を見て、日和はだいたい察した。
「悪かったんですね」
「……はい」
「どのくらい?」
ノアが答えに詰まる。
「普通よりちょっと弱いとか?」
「いえ」
「じゃあ、魔法は使えるけど大したことないとか」
「その……」
「はっきり言ってもらって大丈夫ですよ」
ノアは少し迷ってから、口を開いた。
「魔力量は、この世界の一般的な成人とほぼ同程度です」
「普通なんですね」
「はい」
「剣は?」
「適性は確認できませんでした」
「まあ、さっきので分かります。加護は?」
「ありません」
「特殊能力は?」
「確認できませんでした」
「身体能力」
「一般的です」
「…………」
日和は頭の中で整理する。
魔法、普通。剣、使えない。加護、なし。特殊能力、なし。身体能力、普通。
「つまり」
日和はノアを見る。
「普通の人?」
「……はい」
異世界から勇者を召喚したら、その姉が来た。
しかも、その姉には何の特殊能力もなかった。
「ちなみに料理は?」
「料理?」
「適性検査」
「……そのようなものはありません」
「ですよね」
知っていた。
ノアは何とも言えない表情をしている。
「申し訳ありません」
「ノアさんが謝ることじゃないでしょう」
「ですが、私は召喚に参加した術者の1人です」
「じゃあ、間違えて呼んだことについては謝ってください」
「……申し訳ありません」
「はい」
そこはきっちり謝ってもらう。
勇者でもない。魔法使いでもない。剣士でもない。特別な力もない。
あるのは、なぜかはっきり覚えている料理の知識くらい。それがこの世界で何の役に立つのかは分からない。
「それで」
日和はノアを見る。
「普通の人だった私は、これからどうなるんですか?」
ノアの表情が曇った。
まただ。この顔。
「……その件について、明日お話があります」
「いい話ですか?」
「…………」
「なんで黙るんですか」
どうやら、いい話ではないらしい。




