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第2話 どうやら帰れないらしい


その後の説明は、にわかには信じられないものだった。


ここは日和が暮らしていた場所とは違う世界。

この国は長く続く戦いを終わらせるため、異世界から特別な力を持つ人間を呼び出そうとしていた。


いわゆる、勇者召喚。

そして召喚対象として選ばれたのが、日和の弟である穂積湊だった。


ところが実際に現れたのは、姉の日和。

つまり。


「……人違いってことですか?」


「大変申し上げにくいのですが……」


目の前の男が気まずそうに視線を逸らした。

先ほど日和の名前を確認した、黒いローブの男だ。


「結果としては、そのような形になります」


「人違いで異世界に連れてこられることってあるんですね」


「本来は、あってはならないことです」


「でしょうね」


男の名前はノア・エルディン。

王立魔術院という場所に所属する魔術師で、今回の召喚にも術者の1人として参加していたらしい。


日和は用意された椅子に座りながら、先ほどから聞かされた話を頭の中で整理していた。


異世界。

魔法。

勇者。

戦争。

召喚。


どれも自分とは縁のない言葉ばかりだ。


普通なら、もっと混乱するものなのかもしれない。夢だと思ったり、嘘だと疑ったり、帰せと怒鳴ったり。


けれど、不思議と日和の頭は冷静だった。

それよりも気になることがある。


「弟は?」


「え?」


「湊です。こっちには来てないんですよね?」


「あ、はい。召喚されたのは日和様お1人です」


「そうですか」


日和は小さく息を吐いた。

それならいい。

少なくとも湊は、元の世界にいる。


「では、次なんですけど」


「はい」


「私、帰れます?」


ノアの表情が固まった。

その反応だけで、なんとなく答えが分かってしまった。


「……帰れない?」


「現時点では、異世界から召喚した人間を元の世界へ帰還させる方法は確立されていません」


日和は黙った。


帰れない。

その言葉が、妙に遠く感じる。


家族には、もう会えないかもしれない。

湊にも。

友人にも。

知っている人たちにも。

自分が暮らしていた場所にも。


もう戻れない。


「…………」


なのに。

何も感じない。


いや、何も感じないというのは少し違う。

驚いている。

困ってもいる。

これからどうなるのかという不安だってある。


でも。

もっと悲しくてもいいはずだった。

もっと取り乱してもいいはずだった。

帰りたいと泣いても、おかしくないはずなのに。

心のどこかが妙に静かだった。


まるで最初から、帰る場所なんてなかったみたいに。


「日和様?」


ノアの声で我に返る。


「……すみません。ちょっと考えてました」


「ご気分が悪いのであれば、休まれた方が」


「大丈夫です」


そう答えてから、日和はふと気づいた。


家族のことは覚えている。

父と母。

弟の湊。

湊が7歳年下で、小さい頃から何かと自分を頼ってきたことも覚えている。


でも。

昨日、何をしていた?


「…………」


日和は眉を寄せた。


思い出せない。


昨日だけではない。


最近、どこで暮らしていた?

仕事は何をしていた?

朝は何時に起きていた?

最後に話した相手は?

何を食べた?


「……あれ?」


「どうされました?」


日和は答えず、記憶を探った。


自分の名前は分かる。

年齢も分かる。

家族のことも分かる。

なのに、自分自身の最近の生活だけが、霧の向こうにあるようにぼやけている。


思い出そうとすると、頭の奥が鈍く痛んだ。


「っ……」


日和は額を押さえる。


「日和様?」


ノアが慌てて立ち上がった。


「大丈夫です。ちょっと頭が痛くて」


「召喚の影響かもしれません。すぐに医師を呼びます」


「そこまでじゃないです」


「しかし」


「本当に大丈夫です」


日和はゆっくりと息を吐いた。


召喚。


そうだ。

きっと、そのせいだ。


異世界へ人間を連れてくるような魔法なのだから、記憶に何かしら影響があってもおかしくない。

そう考えれば、一応は納得できる。


今は。


「それより」


日和は顔を上げた。


「私、これからどうすればいいんですか?」


ノアが黙った。

日和も黙る。

数秒待つ。

それでも答えない。


「……なんで黙るんですか?」


「いえ」


「すごく嫌な予感がするんですけど」


「その件につきましては、現在協議中でして」


「協議?」


「はい」


「私の今後を?」


「……はい」


また嫌な予感がした。

帰れない。

弟の代わりにもなれない。

そのうえ、これからどうするかすら決まっていないらしい。

どうやら異世界生活は、思っていた以上に前途多難なようだ。


そのとき。


ぐう。


静かな部屋に、妙に大きな音が響いた。


「…………」


「…………」


日和は自分のお腹を見る。

ノアも見ている。


気まずい。


「すみません」


「い、いえ」


「そういえば、いつから食べてないんだろう」


口にしてから、また引っかかった。


最後に食べたものは何だった?

いつ食べた?

思い出せない。


代わりに、一瞬だけ別の何かが頭をよぎった。


――冷たい。


頬を切るような風。

暗い空。

遠くに滲む光。

たくさんの光が、ずっと下に広がっている。


「…………っ」


頭の奥に鋭い痛みが走った。

日和は反射的に目を閉じる。


「日和様!」


「……大丈夫です」


「ですが」


「本当に。大丈夫なので」


ゆっくり息を吐く。

今のは何だったのだろう。

記憶?分からない。


考えようとすると、また頭が痛くなりそうだった。

だから、日和は考えるのをやめた。


今はそれより。


「……何か食べるもの、あります?」


ノアが目を瞬いた。


「食事、ですか?」


「はい」


こんな状況でも、お腹は空くらしい。


帰れなくても。

記憶がおかしくても。

異世界にいても。

身体は正直だ。

日和は小さく息を吐いた。


「お腹が空いてると、ろくなこと考えないので」


まずは食べよう。


これからのことは、それから考えればいい。


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