↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
26/118

第26話 ただの責任だ【エリアスSide】


初めて見たとき、妙に落ち着いた女だと思った。


突然、見知らぬ世界へ召喚されたというのに、泣き叫びもしなければ、取り乱しもしない。


自分ではなく、弟を呼ぶはずだったと聞かされても。勇者の力がないと分かっても。元の世界へ戻す方法がないと告げられても。


日和は困ったような顔をするだけだった。


王宮から出ていけと告げられたときでさえ、怒鳴りはしなかった。


この国の文字も読めない。金の価値も分からない。仕事の探し方も知らない。


そんな自分を放り出すのが、本当に責任を果たしたことになるのか。


静かな声で、そう問い返した。


もっともな話だった。


だから、エリアスは口を挟んだ。


勝手に連れてきておいて、役に立たないから捨てるのか、と。


あのときは、それだけだった。


日和だから助けたわけではない。誰であっても同じことをした。


召喚した側が責任を取るべきだと思った。それだけだ。


それから、およそ3週間。


日和は文字を覚え、市場へ行き、厨房に立ち、仕事を探し始めた。


そして今日、店を借りた。


その報告だけなら、何の問題もなかった。


――あと1か月で、この屋敷を出ようと思います。


問題は、その後だ。


日和が執務室を出てから、エリアスは手元の書類に目を戻した。


一行読む。


次へ進む。


そこで、何も頭に入っていないことに気づいた。


「……1か月か」


本人が望んでいるのなら、止める理由はない。


店を持ち、自分で稼ぎ、自分で暮らす。


むしろ、この世界で生きていくためには必要なことだ。


分かっている。


それなのに、妙に気になった。


扉が叩かれた。


「入れ」


「失礼いたします」


入ってきたのはオスカーだった。


「日和のことか」


「はい。本日、無事に店の契約を終えられました」


「聞いた」


「ずいぶんお気に召したご様子でしたよ」


「そうか」


エリアスは書類へ視線を戻す。


「旦那様から商会へお話しいただいていたおかげで、手続きも滞りなく進みました」


「私は身元を保証しただけだ」


日和は、この世界では身元を証明するものを何も持っていない。


そのままでは店を借りることすら難しい。だから、レーヴェン家で身元を保証すると商会へ伝えた。


「店を選んだのも、契約したのも日和だ。賃料も本人が払う」


「承知しております」


「ならいい」


自分でやりたいという日和の邪魔をするつもりはない。


必要なところだけ整えた。


それだけだ。


「そういえば」


オスカーが言った。


「本日は店の厨房も使われました」


「ああ」


「私もご馳走になりました」


エリアスの視線が書類から上がる。


「何を食べた」


「川魚の葉包み焼きと、卵のスープを」


「……そうか」


「少々疲れているように見えたらしく、私のために考えてくださったそうです」


エリアスは黙った。


「大変おいしゅうございましたよ」


「聞いていない」


「左様でございますか」


オスカーの口元が僅かに緩んでいる。


「何だ」


「いえ、何も」


気に障る。


「日和様は、旦那様にも作るとおっしゃっていましたよ」


「本人から聞いた」


「何を作っていただくのです?」


「知らん。何でもいいと言ったら禁止された」


今度こそ、オスカーが笑った。


「何がおかしい」


「日和様らしいと思いまして」


エリアスは眉を寄せる。


確かに、あの女なら言いそうなことではある。


以前、食事など空腹を満たせればいいと言ったときも、「人生、損してますね」と呆れられた。


「旦那様」


「何だ」


「日和様がお屋敷を出られれば、少し寂しくなりますね」


「なぜだ」


「日和様が来られてから、ずいぶん賑やかになりましたから」


エリアスは少し考えた。


「元に戻るだけだろう」


日和が来る前、この屋敷は静かだった。


それが普通だった。


「左様でございますね」


オスカーはそれ以上何も言わず、一礼して部屋を出ていった。


再び静かになった執務室で、エリアスは仕事に戻る。


そのとき、廊下の向こうから声が聞こえた。


「その布、明日お店に持っていってもいいですか?」


日和だ。


使用人が何かを答え、楽しそうな声が遠ざかっていく。


エリアスは扉へ目を向けた。


最近、この屋敷ではよく日和の声を聞く。


厨房から料理の匂いがすることも増えた。


使用人たちと話している姿も、文字の練習をしている姿も、いつの間にか見慣れていた。


それが、あと1か月でなくなる。


別に問題はない。


元に戻るだけだ。


エリアスは書類へ視線を戻した。


一行読む。


また同じ一行を読む。


「……静かになるな」


誰に聞かせるでもなく呟いてから、エリアスは眉間に皺を寄せた。


日和を屋敷へ連れてきたのは、ただの責任だ。


それ以上でも、それ以下でもない。


――そのはずだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。