第24話 最初のお客さん
店の中を一通り確認したところで、日和はオスカーの顔を見た。
「オスカーさん」
「はい」
「疲れてます?」
突然の問いに、オスカーが目を瞬いた。
「どうしてそのようなことを?」
「なんとなく。いつもより顔色がよくない気がして」
「日和様にご心配いただくほどではございませんよ」
「そういう言い方する人が一番怪しいんですよ」
日和はじっとオスカーを見る。
王宮を出てから、オスカーにはずっと世話になっている。
身の回りのことだけではない。文字を教えてもらい、市場へ連れていってもらい、この店を探すのにも付き合ってもらった。
考えてみれば、自分が来てから確実に仕事を増やしている気がする。
「……もしかして、私のせいですか?」
「何がでしょう」
「疲れてるの」
オスカーは少し考えた。
「半分ほどは」
「半分も?」
思ったより多かった。
「すみません」
「冗談でございます」
「今の間で言われても信用できません」
オスカーが笑う。
少なくとも倒れそうなほど疲れているわけではなさそうだが、いつもより少し疲れて見えるのは確かだった。
日和は店の奥にある厨房へ目を向けた。
「よし」
「何がでしょう」
「ごはんにしましょう」
「今からですか?」
「はい」
「まだ掃除も終わっておりませんが」
「厨房は使えるところまできれいにしました。竈も確認したいですし」
それに、と日和は続ける。
「今日はオスカーさんがお客さんです」
「私が?」
「記念すべき1人目です」
「まだ開店しておりませんよ」
「練習です」
日和はそう言って店を出た。
近くの市場で選んだのは、朝に獲れたという川魚だった。
白身で癖が少なく、焼いて食べることが多いらしい。
それから火玉と森茸、香草。汁物に使う葉物と卵も少し買う。
店へ戻ると、まず魚を下処理した。
「何を作られるのですか?」
カウンターの向こうからオスカーが尋ねる。
「まだ内緒です」
「私は見ていても?」
「どうぞ。今日は座っててください」
「落ち着きませんね」
「お客さんなんだから諦めてください」
日和は魚に軽く塩を振り、大きな葉の上に置いた。
薄く切った火玉と戻した森茸、香草を重ねる。少量の油を垂らして葉を閉じ、竈の上でじっくりと火を通していく。
もう一つの鍋には湯を沸かした。
火玉を薄く切って煮る。味を整え、最後に溶いた卵を細く流し入れた。
ふわりと卵が広がる。
「今日は軽めにします」
「私のために?」
「疲れてるときに重いもの食べたくないでしょう?」
「私は何でもいただきますよ」
「それ、侯爵様と同じこと言ってます」
「旦那様と一緒にされるのは光栄ですね」
「褒めてません」
葉の隙間から湯気が上がり始める。
香草と魚の匂いが、小さな厨房に広がった。
屋敷の厨房とは違う。
狭くて、道具の位置にもまだ慣れない。竈も思ったより火が強く、何度か薪を調整した。
けれど、嫌ではなかった。
日和はふと顔を上げる。
カウンターの向こうにはオスカーがいる。
「オスカーさん」
「はい」
「そこから、私の顔見えます?」
「よく見えますよ」
「私からも見えます」
当たり前のことを言ってから、日和は少し笑った。
やっぱり、この距離がいい。
料理を作りながら、食べる人の顔が見える。
昼に食堂を訪れたとき、自分がいいと思ったのもそこだった。
「お待たせしました」
日和は葉包みを皿にのせ、卵のスープと一緒にカウンターへ置いた。
葉を開くと、白身魚と火玉から湯気が立ち上る。
「川魚と火玉の包み焼きです。こっちは卵のスープ」
「おいしそうですね」
「ちゃんと食べてから言ってください」
オスカーが魚を一口食べる。
日和はカウンターの内側から、その顔を見る。
「……どうです?」
「おいしいですよ」
「ほんとですか?」
「ええ。魚が柔らかいですね」
「よかった」
火玉から出た水分と、葉の中に閉じ込めた蒸気のおかげだろう。
オスカーは続いてスープを口にした。
「こちらも優しい味ですね」
「今日はそのつもりで作りました」
「私の体調を考えて?」
「はい」
日和は少し考えてから付け足した。
「いつもお世話になってるので」
オスカーの手が止まった。
「私に?」
「他に誰がいるんですか」
「いえ……ありがとうございます」
「どういたしまして」
改まって礼を言われると、少し照れくさい。
日和は誤魔化すように厨房の道具を片づけ始めた。
しばらくして振り返ると、オスカーの皿はきれいに空になっていた。
「完食ですね」
「ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした」
日和は満足して皿を受け取る。
この店で初めて、自分の料理を誰かが食べた。
まだ看板もないし、店の名前すら決まっていない。
それでも、少しだけ店らしくなった気がした。
「ここでやっていけたらいいな」
自然と口から出た。
「日和様なら大丈夫ですよ」
「侯爵様と違って優しいですね」
「旦那様も心配しておられるだけかと」
「昨日はやめておけって言われましたけど」
「……左様でございましたか」
オスカーが一瞬だけ何とも言えない顔をした。
「何です?」
「いえ、何も」
怪しい。
この屋敷の人たちは、たまにこういう顔をする。
日和はカウンターを拭きながら、ふと思い出した。
「そうだ。オスカーさん」
「はい」
「私、1か月後には侯爵邸を出ようと思ってます」
オスカーの動きが止まった。
「……旦那様には?」
「まだ言ってません」
「左様でございますか」
さっきまでより明らかに声が低い。
「反対されますかね」
「私からは何とも申し上げられません」
「その言い方、絶対されるやつですよね」
オスカーは答えなかった。
日和は店の中を見回す。
「店をやるって決めたので、生活の方も少しずつ自分でできるようになりたいんです」
「こちらで暮らし続けることに、問題はございませんよ」
「分かってます」
エリアスも、オスカーも、自分を追い出そうとはしないだろう。
それはもう分かっている。
「でも、自分で稼ぐって決めたのに、ずっと侯爵様の屋敷でお世話になってるのも変でしょう?」
「私はそうは思いませんが」
「私が気になるんです」
今すぐ出ていくつもりはない。
店の準備もあるし、この世界の生活にもまだ慣れていない。
だから1か月。
それまでは甘えさせてもらう。
「その間に住むところも探します」
「まだ決まっておられないのですか?」
「これからです」
オスカーが小さく息を吐いた。
「日和様」
「はい」
「もう少しゆっくり進まれてもよろしいのですよ」
日和は少し考えた。
店を借りた。
これから掃除をして、必要なものを揃えて、料理を考える。
商業組合への登録もある。
住む場所まで探すとなれば、確かにやることは多い。
それでも。
「今は、やることがある方が楽しいです」
口にしてから、日和は笑った。
「まあ、ちょっと多すぎる気もしますけど」
「私もそう思います」
「そこは否定してくれないんですね」
「事実でございますので」
誰かと同じことを言う。
日和は空になった皿を持ち上げた。
「とりあえず、今はこの店ですね」
「左様でございますね」
「また食べに来てください」
「もちろんです」
オスカーはいつもの穏やかな笑みを浮かべる。
「次は客として、代金をお支払いしましょう」
「あ、それは大事ですね」
2人で笑った。
まだ何も始まっていない。
それでも、この店で初めて誰かのために料理を作った。
最初のお客さんがオスカーでよかったと、日和は思った。




