第20話 ずいぶん話が早いですね
翌朝、日和はオスカーとともにアルノルトの商会を訪れていた。
昨日エリアスに店を始めるために必要なものを聞き、その流れで商業組合の場所を尋ねたところ、なぜか連れてこられたのは商会だった。
「商業組合じゃないんですか?」
建物を見上げながら尋ねると、オスカーは頷く。
「営業の許可や登録については商業組合ですが、その前にこちらでお話を伺う方がよろしいかと」
「何の話をするんです?」
「店舗についてです」
「店舗?」
まだ店をやると決めたわけではないし、昨日もそう言ったはずなのだが。
「まずは話を聞くだけでもよろしいのでは?」
「……まあ、それはそうですけど」
商会の中へ入ると、いくつもの窓口が並んでいた。商人らしい人たちが書類を手に行き交い、奥では大きな荷物について何やら話し合っている。
オスカーが受付で名前を告げると、なぜかすぐに奥の部屋へ案内された。
「ずいぶん話が早いですね」
「そうでしょうか」
「そうですよ」
日和が受付を振り返れば、先ほどまで待っていた人たちはまだそこにいる。けれどオスカーは何でもないような顔をしていた。
案内された部屋で待っていると、やがて40代ほどの男性が入ってきた。
「お待たせいたしました。アルノルト商会のベルトと申します」
「穂積日和です」
日和も頭を下げる。
ベルトはオスカーと目を合わせ、ほんの一瞬だけ頷いた。
「お話は伺っております。料理店をお探しだとか」
「探してません」
ベルトの表情が固まった。
隣でオスカーが静かに口を開く。
「日和様、昨日ご自身の店についてお調べになっていたのでは?」
「調べてましたけど、まだやるって決めたわけじゃないです」
「なるほど」
ベルトが小さく咳払いをする。
「では、将来的に料理店を開くことをご検討されている、と」
「それなら合ってます」
なぜだろう。
話が微妙に噛み合っていない気がする。
「実は、ちょうどご紹介できそうな物件がございまして」
「……もう物件まであるんですか?」
「以前、料理店として使われていた建物です。少し前に店主が引退しまして、現在は空いております」
日和はオスカーを見る。
「そんな都合よくあります?」
「巡り合わせというものではないでしょうか」
「そういうものですかね」
「そういうものです」
いつも通り穏やかに微笑んでいる。
怪しい。
けれど何が怪しいのかまでは分からない。
「見るだけでも構いませんよ」
ベルトに言われ、日和は少し考えた。
店をやると決めたわけではない。それでも昨日から考えていた物件の広さや設備が、実際にはどの程度必要なのか見ておくのは無駄にはならないだろう。
「……見るだけなら」
「もちろんです」
なぜかベルトがほっとした顔をした。
商会から歩くこと10分ほど。
市場の中心から少し外れた通りで、ベルトは足を止めた。
「こちらです」
日和は目の前の建物を見上げる。
思っていたより小さい。
1階が店舗になっているらしく、通りに面した扉の横には大きめの窓がある。新しい建物ではなく、壁には少し汚れがあり、扉にも細かな傷がついていた。
「この辺りって、人通りはどうなんですか?」
「市場の中心ほどではありませんが、住宅地へ抜ける道ですので朝夕はそれなりにございます」
「昼は?」
「比較的静かですね」
なるほど。
人通りが多ければいいというものでもないが、料理店なら客が来なければ始まらない。日和は通りの広さや周囲の建物を見てから、店へ視線を戻した。
ベルトが鍵を開ける。
「どうぞ」
中へ入った日和は、思わず足を止めた。
「……いいかも」
客席は広くない。数人が座れそうなカウンターと、小さなテーブルが2つ、その奥には厨房がある。
日和は吸い寄せられるようにカウンターへ近づいた。
厨房に立てば客の顔が見える。料理をしながらでも言葉を交わせそうな距離だった。
昼に見た食堂より、ずっと小さい。
けれど、自分がやるならこれくらいがいい。
「厨房、見てもいいですか?」
「もちろんです」
カウンターの奥へ回る。
竈が2つ、作業台と水場があり、壁際には棚が並んでいる。鍋やフライパンもいくつか残されていた。
日和は竈の状態を見て、水場へ近づく。
「水はここまで運んでもらえるんですか?」
「ええ。共同の水場から定期的に運ばれます。別途費用は必要ですが」
「薪は?」
「商会からも手配できますし、ご自身で仕入れていただいても構いません」
日和は頷きながら棚を開けた。
中には皿や器まで残っている。
「これも使っていいんですか?」
「前の店主が置いていったものですので、すべてお使いいただけます」
「設備ごと借りられるんですね」
「ええ」
それはかなり大きい。
一から道具を揃えるつもりでいたが、使えるものが残っているなら初期費用をかなり抑えられる。
ただし。
「ちなみに、賃料はいくらですか?」
提示された金額を聞いて、日和は少し考えた。
高いのか安いのか、今の自分には判断できない。
「この辺りの同じくらいの店舗だと、だいたいいくらくらいなんです?」
ベルトが答えた金額は、今聞いたものより高かった。
「……安くないですか?」
「設備が古いことと、しばらく空いていた物件ですので」
「でも設備込みですよね?」
「はい」
「最初に必要なお金は?」
「最初の月の賃料と保証金が必要になります。保証金については分割でも構いません」
「設備が壊れた場合は?」
「通常の使用による故障であれば、商会で対応いたします」
日和は黙った。
そしてオスカーを見る。
「オスカーさん」
「はい」
「条件よすぎません?」
「そうでしょうか」
「そうですよ」
ベルトの視線が一瞬だけオスカーへ向いた。
見逃さなかった。
「今、目合わせましたよね?」
「気のせいではないでしょうか」
「昨日も侯爵様に同じこと言われました」
この屋敷の人たちは、都合が悪くなると気のせいにする決まりでもあるのだろうか。
「何か隠してません?」
「何も」
「本当に?」
「もちろんです」
笑顔が綺麗すぎて余計に怪しい。
日和はベルトを見る。
ベルトも微笑んだ。
怪しい。
ものすごく怪しい。
とはいえ、条件がいいからという理由だけで断るのもおかしな話だ。
「……契約期間は?」
「まずは1年を想定しておりますが、ご事情に合わせてご相談いただけます」
「途中で辞める場合は?」
「事前にお申し出いただければ問題ございません」
そこまで聞いて、日和はもう一度店の中を見回した。
小さなカウンター。
2つのテーブル。
使い込まれた厨房。
条件を確認すればするほど、悪くない。
むしろ今の自分には、出来すぎているくらいだった。
「まだ借りるとは言ってませんからね」
「もちろんです」
ベルトの返事が妙に早い。
日和はもう一度厨房へ戻った。
竈の前に立ち、カウンター越しに客席を見る。
ここに料理の匂いがして、人が座っているところを想像する。
誰かが扉を開ける。
料理を作る。
目の前に出す。
おいしいと言ってもらえたら嬉しい。
少し話をして、お腹いっぱいになって帰っていく。
その光景が、思っていたより簡単に浮かんだ。
「日和様?」
オスカーに呼ばれ、我に返る。
「すみません。ちょっと想像してました」
「何をでしょう」
日和はカウンターの内側に立ったまま、客席を見る。
「ここで、料理を出してるところです」
口にすると、胸の奥が少し弾んだ。
昨日までは、いつかできたらと思っていただけだった。
今日は、その場所に自分が立っている。
まだ決めるには早い。
お金のことも、許可のことも、この世界の料理店についても、もっと知らなければならない。
それでも。
「……いい店ですね」
日和がそう言うと、オスカーは何も答えなかった。
ただ、少しだけ嬉しそうに笑った。




