第18話 もう少し愛想よくできませんか?
「し、失礼いたしました!」
突然深々と頭を下げた男に、日和は驚いた。少女も目を丸くしている。
「父さん?」
「リリィ、お前……! 侯爵様になんて口を……!」
「えっ。本当に侯爵様なの?」
「だからそう言っただろう」
エリアスが答えると、リリィの顔までさっと青くなった。
「ご、ごめんなさい!」
「何がだ」
「好きなところ座ってとか、注文決まったら呼んでとか……」
「客に言うことだろう」
「そうですけど!」
「なら問題ない」
エリアスは何事もなかったように料理を見る。
「冷める」
「は、はい!」
店主は慌てて皿を置き、逃げるように厨房へ戻っていった。リリィも何度も頭を下げながらそのあとを追う。
日和はその背中を見送ってから、向かいを見る。
「……めちゃくちゃ怖がられてません?」
「そうか?」
「そうですよ」
エリアスは気にした様子もなくパンを取った。
「何かしたんですか?」
「何もしていない」
「それであんなに怖がられることあります?」
「知らん」
日和はじっとエリアスを見る。
黙っていると怖い。喋っても言葉が少ない。しかも身分は侯爵。
なるほど。
「侯爵様」
「なんだ」
「もうちょっと笑った方がいいですよ」
「なぜだ」
「領民の皆さんが安心するので」
「必要ない」
「そういうところですよ」
エリアスは眉を寄せた。
その顔がさらに怖い。
けれど日和は知っている。
この男は、ローデンの話を聞いた翌朝には村へ人を向かわせた。異世界から勝手に呼び出された日和が捨てられそうになったときも、自分には関係のないことだったのに王宮に食ってかかった。
本人は、それを特別なことだと思っていないらしい。
たぶん、領民の前でも同じなのだろう。
やるべきことを黙ってやって、説明しない。
「……損してますね」
「今度は何の話だ」
「侯爵様の話です」
「意味が分からん」
「でしょうね」
日和は笑って、肉団子の煮込みをひと口食べた。
肉の旨味と火玉の甘みが広がる。香草が少し強いが、パンと一緒ならちょうどいい。
「おいしいです」
「そうか」
「侯爵様は?」
「悪くない」
「どこで食べてもそれですね」
食事をしているうちに、さっきまで空いていた席も少しずつ埋まり始めた。
仕事の途中らしい男たち。買い物帰りの女性。1人で静かに食べている老人。
ただ、どこか様子がおかしい。
さっきまで賑やかだった店内が、妙に静かだ。
ちらちらとこちらを見ては、目が合いそうになると慌てて逸らされる。
「……侯爵様」
「なんだ」
「完全にバレてます」
「そうだな」
「居心地悪くないですか?」
「別に」
本人だけが気にしていなかった。
そこへリリィが、おそるおそる水を持ってくる。
「お、お水のおかわりはいかがでしょうか、侯爵様」
さっきまでとは別人のような話し方だ。
エリアスが眉を寄せる。
「さっきまでと同じでいい」
「え?」
「その話し方はやめろ」
「でも、父さんが失礼のないようにって」
「私は食事をしに来ただけだ」
リリィは困ったように日和を見る。
日和は小声で言った。
「普通で大丈夫だと思います」
「……ほんと?」
「たぶん」
「たぶんとはなんだ」
リリィが吹き出した。
「あ」
慌てて口を押さえる。
けれどエリアスは怒らなかった。
「水を頼む」
「……うん。分かった!」
リリィは少しだけ安心した顔で厨房へ戻っていった。
日和はその背中を見ながら笑う。
「ちゃんと言えば分かってもらえるじゃないですか」
「何の話だ」
「こっちの話です」
食事を終えて店を出ようとすると、リリィが追いかけてきた。
「お姉さん!」
「はい?」
「これ、忘れてる!」
差し出されたのは、日和が椅子の横に置いていた小さな袋だった。
「あ、ありがとうございます」
「危なかったね」
リリィはにこっと笑った。
「私、リリィ。よかったらまた来てね」
日和は少しだけ目を瞬いた。
また。
胸の奥に、かすかな違和感が走る。
けれど、目の前のリリィはただ笑っている。
「……はい。また来ます」
口にしてから、自分でも少し驚いた。
リリィは嬉しそうに手を振った。
店を出ると、アルノルトの昼の風が頬を撫でる。
「気に入ったのか」
隣を歩くエリアスが尋ねた。
「はい」
日和は振り返り、小さな食堂を見る。
料理もおいしかった。
店の雰囲気も好きだった。
そして何より、店の人と客との距離が近い。
誰かが来て、ごはんを食べて、少し話して帰っていく。
「私がやるなら、もっと小さくてもいいかも」
「もう自分の店の話になっているな」
「あ」
言われて気づいた。
昨日までは、いつかできたら楽しそう、くらいだったはずなのに。
「……考えるだけなら無料ですから」
「そうだな」
エリアスはそれ以上何も言わなかった。
けれど、否定もしなかった。
日和はもう一度、店を振り返る。
「また来たいです」
今度は、さっきより自然に言えた。




