第17話 食堂を見に行きます
「食堂を見に行きたいです」
朝食を終えたあと、日和がそう言うと、エリアスは書類から顔を上げた。
「昨日も市場へ行っただろう」
「市場じゃなくて、食堂です」
「何が違う」
「全然違います」
即答すると、エリアスはわずかに眉を寄せた。
「料理を仕事にするなら、こっちの店がどんな感じなのか知っておいた方がいいかなって」
昨日、自分で小さな店を持つことを想像した。まだ夢というほど大げさなものではない。それでも、一度考え始めると気になってしまう。
どんな料理が出るのか。どんな人が来るのか。値段はいくらくらいなのか。そして、自分にもできそうなのか。
「オスカーに案内してもらいます」
「オスカーにも仕事がある」
「じゃあ侯爵様が案内してください」
「なぜそうなる」
「暇そうなので」
エリアスが手元の書類を持ち上げた。
「これが見えないのか?」
「見えてます。読めませんけど」
「……勉強しろ」
結局、エリアスが案内してくれることになった。
「なんでですか?」
屋敷を出たところで日和が尋ねると、エリアスは前を向いたまま答えた。
「ちょうど街へ出る用事があっただけだ」
「なるほど」
それなら納得だ。
アルノルトの街は今日も賑わっていた。市場のある通りから少し外れると、大小さまざまな店が並んでいる。パン屋、服屋、道具屋。その中に、食事を出す店もいくつかあった。
日和は歩きながら、店の中を覗いていく。
大きな食堂では長いテーブルを何人もの客が囲み、パンと煮込み料理を食べていた。別の店では肉を焼く香ばしい匂いが通りまで漂っている。
「結構いろんな店がありますね」
「アルノルトは人の出入りが多いからな」
「侯爵様もこういうところで食べるんですか?」
「ほとんどない」
「人生、損してますね」
「またそれか」
少し歩いたところで、日和は1軒の店の前で足を止めた。
他の店より小さい。扉の横に簡素な看板があり、中には5つほどのテーブルが見える。昼には少し早いせいか、客はまだ2人しかいなかった。
「ここ、入ってみたいです」
「なぜここだ」
「なんとなく」
「他にもあるだろう」
「ここがいいです」
日和が先に扉を開けると、エリアスは諦めたようについてきた。
「いらっしゃい!」
中から元気な声が飛んでくる。
声の主は、日和よりずっと若い少女だった。明るい茶色の髪を後ろでひとつに結び、両手いっぱいに皿を抱えている。
「2人ですか?」
「はい」
「好きなところ座ってください!」
日和は空いていた窓際の席に座った。エリアスも向かいに腰を下ろす。
少女がすぐにやってきて、木の板をテーブルに置いた。
「今日のおすすめは肉団子の煮込み。あと川魚の香草焼き。昼ならパンがつきます」
日和は木の板を見る。
文字が並んでいる。当然、まだほとんど読めない。
「……侯爵様」
「なんだ」
「読んでください」
少女がぴたりと動きを止めた。
「侯爵様?」
日和はしまった、と思った。
けれど少女はエリアスの顔をまじまじと見たあと、首を傾げただけだった。
「そういうあだ名?」
「違う」
エリアスが低い声で答える。
「本物です」
「日和」
「はい?」
「余計なことを言うな」
少女はますます不思議そうな顔をしたが、すぐに「まあいいか」とでも言うように笑った。
「注文決まったら呼んでね!」
そのまま別のテーブルへ行ってしまう。
日和はエリアスを見た。
「気づかれませんでしたね」
「その方がいい」
「侯爵様って、意外と顔知られてないんですか?」
「領民全員と顔を合わせるわけではない」
「それもそうか」
エリアスにメニューを読んでもらい、2人とも肉団子の煮込みを頼む。
「肉団子、2つ!」
少女が厨房へ声を飛ばす。
奥から「あいよ」と太い声が返ってきた。
しばらくすると、恰幅のいい中年の男が料理を持って厨房から出てきた。
「お待たせしま――」
男の足が止まった。
手にした皿が、かすかに揺れる。
その視線は、まっすぐエリアスへ向いていた。
「……レーヴェン、侯爵様?」
「そうだ」
男の顔から血の気が引いた。




