第16話 料理を仕事にしたいです
翌朝、日和が食堂へ行くと、エリアスはすでに朝食を取っていた。
パンとチーズ、卵、それに温かい飲み物。こちらの世界ではすっかり見慣れた朝食だ。
「おはようございます」
「ああ」
日和は向かいの席に座り、用意されたパンを手に取った。
「ローデンさん、帰ったんですか?」
「今朝早くにな」
「そうですか」
「担当の者も一緒に向かわせた。村の状況を確認させる」
日和はパンをちぎる手を止めた。
「ちゃんと動いてくれたんですね」
「昨夜そう言っただろう」
「言ってましたけど」
「私はできないことを口にしない」
どこかで聞いたような言葉だった。
ノアも似たようなことを言っていた気がする。
「侯爵様って、意外といい領主なんですね」
「意外とは余計だ」
「怖い顔してるのに」
「顔は関係ない」
日和は笑いながらパンを口に入れた。
しばらく食事を続けていると、エリアスがふいに口を開いた。
「昨日のことだが」
「はい?」
「君は、ああいうことがしたいのか?」
日和は首を傾げた。
「ああいうこと?」
「人に料理を作ることだ」
「ああ」
昨日の空になった皿を思い出す。
料理を作るのは楽しかった。ローデンがおいしいと言ってくれたのも嬉しかった。
それに、同じ食卓を囲んで話をした時間も。
「好きみたいです」
「みたい?」
「料理が好きなのは分かってたんですけど、人に食べてもらうのも好きみたいです」
エリアスは少し考えるように日和を見た。
「なら、それを仕事にすればいい」
「……そんな簡単に言います?」
「君が以前、料理の仕事があるかと聞いたのだろう」
「聞きましたけど」
あのときは、何でもいいから自分にできる仕事を探さなければと思っていた。
けれど今は、少し違う。
働かなければならないから料理をするのではなく、料理を仕事にしてみたいと思っている。
日和は自分の手を見る。
「料理の仕事って、どんなものがありますか?」
「店で働くか、貴族や商家に料理人として雇われるか。宿にも料理人はいる」
「なるほど」
「屋敷の厨房で働くこともできる」
日和は顔を上げた。
「ここで?」
「望むならな」
ありがたい話だと思う。
住む場所があって、食べるものにも困らない。オスカーもいるし、厨房の人たちにも少しずつ顔を覚えてもらっている。
何より、エリアスがそう言ってくれるのは嬉しかった。
けれど。
「……それは、ちょっと違う気がします」
「違う?」
「うまく言えないんですけど」
日和は考えながら言葉を探した。
「昨日みたいなのが、好きなんです」
「昨日?」
「作ったものを出して、一緒に食べて、話をして。おかわりしますかって聞いたり」
料理人なら、料理を作ることはできる。
けれど日和が昨日嬉しかったのは、それだけではなかった。
「作って終わりじゃなくて、食べてる人の顔が見える方がいいです」
エリアスは黙って聞いていた。
「……食堂か」
「食堂?」
「客に料理を出す店だ。アルノルトにもいくつもある」
「ああ、なるほど」
それなら市場へ行ったときにも見かけた。
けれど、日和が思い浮かべたのは少し違う。
大きな食堂ではなく、もっと小さな場所。
料理を作る自分と、それを食べる人との距離が近い場所。
「小さい店がいいな」
気づけば、口に出していた。
エリアスの眉がわずかに動く。
「店を持つつもりか?」
「いやいや、まだそこまでは」
慌てて手を振る。
文字も満足に読めない。こちらの料理についても知らないことばかりで、お金の扱いだって勉強中だ。
店なんて、どう考えても早すぎる。
「でも」
日和は少しだけ考えた。
「いつか、できたら楽しそうですね」
口にしてから、不思議な気持ちになった。
いつか。
それは明日よりも、ずっと先の言葉だ。
なのに今は、不思議と嫌な感じがしなかった。
「まずは文字を覚えろ」
現実的な言葉に、日和は顔をしかめた。
「せっかくいいこと考えてたのに」
「店をやるなら必要だ」
「分かってます」
「計算もだ」
「それも分かってます」
「この国の食文化も知らなければならない」
「侯爵様、急に厳しくないですか?」
「店をやりたいと言ったのは君だろう」
「いつかって言ったんです」
エリアスは温かい飲み物をひと口飲んだ。
「なら、今から覚えておけばいい」
日和は言葉に詰まった。
今から。
その先に何かがあることを前提にした言葉だった。
それなのに、嫌ではなかった。
「……そうですね」
日和は残っていたパンをひと口かじった。
料理を仕事にする。
自分で小さな店を持つ。
まだ、ずっと先の話だ。
できるかどうかも分からない。
それでも、想像すると少しだけ楽しかった。
まずは文字を覚えよう。
それから、この世界の料理をもっと知ろう。
できることを、ひとつずつ増やしていけばいい。
いつか。
自分の作った料理を、いろんな人に食べてもらえる場所を作れたら。
それはきっと、悪くない。




