第15話 ひとり分、多く作ります
男の名はローデンというらしい。
アルノルトから少し離れた村で、農地の管理を任されているという。
日和は3人分の皿に煮込みをよそった。森茸の香りと、じっくり火を通した火玉の甘い匂いが湯気とともに立ち上る。
「熱いので気をつけてください」
「……ありがとうございます」
ローデンは礼を言ったものの、なかなかスプーンを取ろうとしなかった。
向かいでは、エリアスがすでに食べ始めている。
「どうですか?」
「悪くない」
「今日はそれ以上の感想を期待してます」
「なぜだ」
「前よりおいしくできたので」
「私に聞く意味があるのか?」
確かに、この人に料理の感想を求める方が間違っているのかもしれない。
日和は諦めて、自分もひと口食べた。
うん。悪くない。
森茸の旨味が鶏肉と野菜に染みている。火玉も柔らかく、しっかり甘みが出ていた。
そこで、まだローデンの皿がほとんど減っていないことに気づいた。
「食欲、ないですか?」
「いえ」
ローデンはそう答えたが、手は動かない。
「お口に合わなかったら、無理しなくて大丈夫ですよ」
「そういうわけでは。ただ……少し、考え事をしておりまして」
「なるほど」
日和はパンをちぎり、煮込みにつけた。
「私、お腹が空いてると、ろくなこと考えないんですよね」
ローデンが顔を上げる。
「考え事があるときなんて特に。考えても考えても、だいたい悪い方にいくので」
パンを口に入れる。
「だから、とりあえず食べます」
「……そういうものですか」
「少なくとも、私は」
隣から視線を感じた。
見ると、エリアスがこちらを見ている。
「なんですか?」
「いや」
「侯爵様も、ちゃんと食べてくださいね」
「食べている」
ローデンが小さく笑った。
それからようやく、スプーンを手に取る。
ひと口。
ゆっくり噛んで、飲み込む。
そしてもうひと口。
日和は何も言わず、自分の食事に戻った。
しばらくして、ローデンがぽつりと呟いた。
「……うまい」
「よかったです」
それだけ答える。
食事が進むにつれて、ローデンは少しずつ話し始めた。
今年は雨が少なく、村の畑の状態がよくないらしい。このままでは冬に向けた蓄えが十分にできないかもしれないという。
「若い者たちは、アルノルトへ働きに出ると言っています」
ローデンはスプーンを置いた。
「気持ちは分かります。村に残れと言ったところで、食わせてやれなければ意味がない。ですが、若い者がいなくなれば、来年の畑をどうするのか……」
日和には何も言えなかった。
農業の知識があるわけではない。雨を降らせることもできないし、村の未来を決めることもできない。
エリアスも、すぐには答えなかった。
「明日、担当の者を村へ向かわせる」
その言葉に、胸の奥がざわりとした。
明日。
ほんの一瞬、息が詰まるような感覚がした。
日和は手元の皿を見る。
「現状を確認した上で、備蓄の一部を回せるか検討する。若者たちについても、冬の間だけアルノルトで働けるよう手配できるかもしれない」
「……よろしいのですか」
「まだ何も決まっていない」
エリアスは淡々と言う。
「だが、何もしないと決めたわけでもない」
ローデンはしばらく黙っていた。
やがて、深く頭を下げる。
「ありがとうございます」
問題が解決したわけではない。
雨が降るわけでも、畑が元通りになるわけでもない。
それでも、さっきまでよりローデンの顔が少しだけ軽くなったように見えた。
日和は空になりかけた彼の皿を見る。
「もう少し食べます?」
ローデンは顔を上げた。
「よろしいのですか?」
「まだありますよ」
「では……少しだけ」
「少しだけですね」
鍋から煮込みを足す。
少しだけ、と言ったわりには、ローデンはそれもきれいに食べた。
食事が終わる頃には、3人の皿はすっかり空になっていた。
ローデンが帰る前、日和に頭を下げた。
「日和さん」
「はい」
「ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした」
「久しぶりに、ちゃんと食事をした気がします」
日和は少し驚いた。
「普段、食べてないんですか?」
「食べてはいます。ただ、ここしばらくは何を食べても味がしないような気がして」
ローデンは照れたように笑った。
「今日は、うまかったです」
「……それなら、よかったです」
ローデンはもう一度頭を下げ、エリアスとともに部屋を出ていった。
日和は残された皿を重ねる。
全部、きれいに空だ。
料理をするのが好きなのだと思っていた。
もちろん、それもある。
食材を切って、煮て、焼いて、味を整える。頭の中にあるものが少しずつ形になっていく時間は楽しい。
けれど、それだけではないらしい。
作ったものを誰かが食べる。
おいしいと言ってくれる。
同じテーブルを囲んで、どうでもいい話をしたり、少しだけ真面目な話をしたりする。
そういう時間が、日和は好きだった。
「……食べてもらうのも、好きなのかも」
空になった皿を抱え、日和は厨房へ戻った。




